第26話 泥棒 (1)

文字数 928文字

 90年の人生で二度も泥棒に遭遇した。
最初は小さい八百屋のレジが丸ごと盗まれ、空っぽになって団地の草むらに放置されていた。
朝になって気がつき、それからが大変で、派出所からも東署からも警官が来るわ来るわ。その上、指紋を取るため「アルミ粉末かシリカ」を振り回し、当然家族の指紋を摂取した。店は半日お休みになるし、後始末に難儀した。被害は、金庫兼レジ一台と、ちょっとした食品。レジの中には小銭
が入っていただけ、空になったレジは団地の草むらに捨ててあった。その後、警察からは何の知らせもないまま、時効で決着したのだろう。
 
 津田山の麓に越して間もなくのことだから、二十数年になるか。雨のそぼふる五月のある日。
玄関はきちっと鍵をかけたが、坪庭に面した掃き出し窓を半分開けたまま出かけた。二十分ほどで
帰宅した。玄関に変わりはないが、家に入るなり違う何かを感じた。なんだろうと玄関の次の間を開けたが異常なし、続いて客を覗くと、何あろう。半分開けてあった窓が全開きになっている。
急いで窓辺へゆく。沓脱にドカ靴と傘が立てかけてある。遠隔地にいる息子が帰ったのか?それにしても「生活が苦しいのか新しい靴でも買ってやらなくては」と「剛志、つよし」と呼んだが返事がない。二階だろうと、息子の名前を呼びながら階段へ、階段のLのところへ昇ると、ちらっと黒い影が、動くのを見た。「あの息子ったらかくれんぼでもする気か?そんなら乗ってやろう」と階を進めた。
 突然、2階の踊り場で息子の部屋から出て来た人間と鉢合わせになった。
ドカ靴の泥さんだった。
「ドロボー、ドロボー。川崎さん早よう来て。ドロボーだぁ」大音声で叫んだ。

 踊り場で、思いもよらず泥さんと格闘する羽目になった。私は無傷だったが泥さんは、
私に引っ掻かれ腕に少し血が滲んでいた。
「わしは泥棒でない。何も盗ってはいない」と言うのへ飛びかかったのだ。まだ還暦を過ぎたころ若かったし、伊達に肉体労働はしていない。

 大音声で野次馬が三人、五人、十人と集まって来た。が、皆、遠巻きにして様子見をしているだけだ。刃物を持っているかもしれないから、手も足も出せないそうである。
泥さんはドタ靴も履き、傘もちやんと持って何も盗らずに逃げていった。



 









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