第49話 地震と一寸先(2)

文字数 1,076文字

書きたいのは地震だけではなかった。
私が今一ばん腐心しているのは風呂である。借家だからと手すりをつけずに
我慢していた。が、取り外しのできる手摺があってつけてもらった。安心して
入浴ができる様になって、ほっとした。しかし窓がない。窓のない狭いあの空間に
入ると息苦しくなる。だから、やっぱり温泉にゆく。行くといっても市バスか
タクシーである。バスに乗るたび虚しくなる。諦めの悪いババアである。
それでもゆっくり手足を伸ばせて、あゝ来て良かったと思う。
 十五時半のバスに乗る予定で浴室を出た。十五番に入れたはずの履き物が無い。
鍵の掛かっていない、そこら辺を開けてみたがどこにも見当たらない。 
「しょうがない」靴下のまま帰るつもりで、入湯券を受付に返した。
「靴はどうしたの」
「入れたところにない。そこら辺を探したが、見つからないのです」
「ちょっと待って」受付の女性は言ったが、
「バスの時間ですので帰ります。もういいんです」屁理屈屋がすんなり諦めて
なぜ下足無しで帰ったのか?
 下足箱に限らず鍵のかかるところには、忘れた時のことを考えて五とか十五とか
五を基準に利用している。今日も十五が空いてたあら入れたまで。よればよいが鍵を
抜かなかったのだ。怠慢というほかない。このごろ、やたらと探物の時間が増えてきた。
鍵を抜いて保管するのが億劫なので、付けっ放しにしていた。窓口の女性に、色々聞かれる
のが煩わしいので、靴下のまま逃げる様に帰った次第である。
 無事帰ったが、足の裏から冷えは登って来た。「一寸先は闇か」そうばかりでなはい。
 午後の紅茶を飲みながらいつもの様に故郷の山の方角を見る。垂れ下がった雲に遮られた
視界を鴉か否、トンビが番で低飛行している。借景は鉛一色、平和だなあと思う。

 窓べに並べてある寄せ花も、シクラメンも、満足げに咲き誇っている。我が家も平和である。
数珠珊瑚の赤い実が声に反応して微かに揺れるような気がする。
 タブレットもプリンターもどこかが悪いが機械音痴はなにもできない。長男が来て、
スッキリ直してくれた。もっと早くに頼べばかった。
「ほんまに可愛げのない女だ」亡夫のセリフを思い出してせめて「可愛げのある婆さん」に
なりた。日暮れて、しみじみ亡夫の言葉を噛み締めている。
 人間一人では生きられない。多くの方に支えられて生かされて来たし、これからは更に
支援を求めなくては生きられないだろう。殊勝なことを言うけど言葉は心である。
 今日も良い一日であった。
 明日を患うことはない。今日がよければそれでよい。
 明日は明日の風が吹き、明日は明日の陽が昇る。




さえぎられ











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