第21話 父と娘

文字数 863文字

 体が弱かった娘はスポーツを始めてみるみる健康になった。
そうだ、あれは3年生の時だった。
夫は、底辺つまり分母の小さいスポーツに拘った。
つまり、始めた時既にライバルは少ないのである。
「飛び込み」を選んだ。送迎はいつも夫である。ピアノの
レッスンと両方を父と娘は二人三脚でこなしていた。私は
全然知らぬ所の日常であった。

 私は夜なべに薄くなった娘の靴下の踵を刺している。
「母さん明日は体操があるから新しい靴下履いてゆくわ」
「うんそうしい」この会話を横で聞いた友達が、
「ユウ補修した靴下履いているの」
「綺麗に刺してあるから大丈夫よ」「ふぅーん」と友は呆れる。
貧乏性の私は、苦しかった時のことが、頭をよぎり、勿体ないので
ある。高校の女生徒が、刺した靴下を嫌がりもせず得意げに履く。
おかしな、不思議な娘である。

 ある時、娘の通う高校の体育館の新築工事の時、私は屋上にいた。
その下を2〜3の友と通りかかった娘を見て、つい名前を呼んでしまった。
気がついた娘は手を振って遠ざかっていった。

 その後、しばらくは労働者風の女性を見ると「お母さんがいるよ」と
揶揄われたそうである。
時と場合によってはイジメの発端になりかねないのかも……。
しかし、それは杞憂。
「恥ずかしかっただろう。ごめんな」
「ううん平気よ。私は母さんを誇りに思っているから平気。平気よ」
忙しさにかまけて勉強も見てやらず、怒り通して育てて来たのに、
これは、何ということだろう。この子、わかっているんだと思うと、
苦労が、苦労で無くなって点る灯火を感じた。それでもこの子は父の
子で夫婦喧嘩になるといつも親父の味方をしていた。

 高校2年生のインターハイを最後に娘はスポーツをやめた。
中学と高校とそれなりの成績と名前を残して去った。
 
 最後は松本国体だった。私は初めて応援に行って、身の引き
締まる思いで、声援した。10メートルもある高台から回転を
繰り返し飛び込んだ。この子の根性にただ脱帽していた。
 
 その日の夜浅間山の麓で、親子3人寛いだことを思い出す。
 3人の旅は浅間が最初で最後の旅だった。

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