第11話 8月がくれば思い出す

文字数 517文字

 8月がきたら毎年決まったように戦争や空襲の特版が出る。
つられて、走馬灯のように思い出が巡る。
 
 父も兄も戦った地は支那だった。
出征の時千人針を作った。寅年の人は勢いが
いいから歳の数だけ、玉をつくれた。が、私は一玉。
父は、被弾して取りきれぬ2発の弾と生涯を共にした。
夫は特攻の生き残りで「この命お釣りの人生だ」が、
魂の根源にあり太く、短く生きた。

 昭和一桁生まれの者は、
もう数えるしか生きていない。心許ない。
ともに生き、共に戦った同胞であった。
同胞は米のご飯が何よりの馳走であった。
農繁期には、兄が弟を子守しながら登校した。
嘘のような、本当の話であった。
 兄13歳、弟3歳。
「皆んな腰掛けているのに僕だけ立てっていた」
と言う。悲しい3ツごの記憶である。

 警戒警報に続いて、空襲警報がなる。
家の居間にただ一つある裸電球はすっぽり黒い布で覆った。
 1945年7月4日未明、町はB29により焼の原になった。
知人も多くの人が犠牲になった。
東の空はいつまでも赤かった。今まで見たことのない。   
赤い色だった。
 焼け出された人(縁故)の人が来た。
客間に布団を出してもてなしたようだが、農家にもお米が
なかたったのだ。双方とも大変だったことだろう。


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