第41話 川を読んで(1)
文字数 613文字
ここだけにか見られないだろう装画が当時を物語っている。
小説のキーマンYは、大正十五年生まれという。図らずも亡夫と同じ年、
同じ徳島中学校に通った同級生だったと知ると、身近に感じて興味が膨らんできた。
また、尋常高等小学校の話しは、磁気に引かれるように時空を飛んで小学生に戻った。
日中戦争の戦時下であった昭和十五年には国を挙げ
「金鵄輝く日本の……紀元は二千六百年あゝ一億の胸がなる」を謳歌し旗行列をした。
子供心に揚々日本を感じたのは八十余年も昔のことである。
しかし、翌年十二月八日には真珠湾攻撃し、日本は聖戦を布告した。戦える男性は前線へ、
銃後では八紘一宇を唱え「一億一心、火の玉だ」のスローガンのもと、勝と信じて日本の
民は食うものも食えず、一生懸命に生きた。子供まで「欲しがりません勝つまでは」と耐えた。
そして戦争に負けた。極暑の八月十五日の玉音放送を思い出す。多くの兵士の命を奪い空襲で
はたくさんの国民の命を生活を灰にし、沖縄は地上戦になって多くの命が無念に散った。
悔やみきれないのは「核」を投下されたことである。今日の平和は大きな犠牲の上にあること
を我々は決して忘れてはならないと切実に思う。
戦争に明け暮れた昭和という時代を筆者はyを通してつたえている。今ウクライナや中東で
は激しい戦いが続いている。人が人を殺す。何の抵抗もできない子供を殺す。この地上では
あってはならないことだ。この星に平和の来る日をただ祈るばかりだ。
小説のキーマンYは、大正十五年生まれという。図らずも亡夫と同じ年、
同じ徳島中学校に通った同級生だったと知ると、身近に感じて興味が膨らんできた。
また、尋常高等小学校の話しは、磁気に引かれるように時空を飛んで小学生に戻った。
日中戦争の戦時下であった昭和十五年には国を挙げ
「金鵄輝く日本の……紀元は二千六百年あゝ一億の胸がなる」を謳歌し旗行列をした。
子供心に揚々日本を感じたのは八十余年も昔のことである。
しかし、翌年十二月八日には真珠湾攻撃し、日本は聖戦を布告した。戦える男性は前線へ、
銃後では八紘一宇を唱え「一億一心、火の玉だ」のスローガンのもと、勝と信じて日本の
民は食うものも食えず、一生懸命に生きた。子供まで「欲しがりません勝つまでは」と耐えた。
そして戦争に負けた。極暑の八月十五日の玉音放送を思い出す。多くの兵士の命を奪い空襲で
はたくさんの国民の命を生活を灰にし、沖縄は地上戦になって多くの命が無念に散った。
悔やみきれないのは「核」を投下されたことである。今日の平和は大きな犠牲の上にあること
を我々は決して忘れてはならないと切実に思う。
戦争に明け暮れた昭和という時代を筆者はyを通してつたえている。今ウクライナや中東で
は激しい戦いが続いている。人が人を殺す。何の抵抗もできない子供を殺す。この地上では
あってはならないことだ。この星に平和の来る日をただ祈るばかりだ。
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