第50話 二年を経て

文字数 904文字

 内館牧子のもうすぐ死ぬんだを読んでから2年は越えていると思う。
感動というより同感して、思いのままをあちこちに書きまくったから、探せば、
何か出てくると思うが、もうその気が失せている。
 やがて死ぬんだに夢の様なものがあった。道のりが予測できた。書いて全てを忘却。
神を仏を信じている方は魂の来世を信じて永遠の眠りと悟っているのだろう。
信じるものは救われると思う。
 今更、何を言う。とも思うけど、永遠の別れが近くなると、
今まで築いて来た人間性まで変わるのだろうか。  
 
 今、キリストが弘法大師が、現れたとしたらあなたはどうしますか?
昨日、郵便受けにパンフレットが入っていた。
 私は幼女に還って、きっと説法を聞きにゆくだろうなと思う。魂の永遠を子供心は
信じて、突き当たり、迷い、修験者と共にしたあの行はなにだったのだろう。

 「どうぞ00になります様に」どうぞ、どうぞと。それは欲望。強欲でしかなった。
二男が、縁遠かったから、ひたすら良縁を祈願した。先祖供養が足らないという
先駆者には、供養を頼み、先祖の色情因縁という自称霊能者にはお祓いをしてもらい、
00には会費を騙し取られ、一通りすることは全て終えた。 

 もういい。神にも、人間にもお願いすることはやめにした。
 お願いはありがとうに変わった。
 親の心など関係ない。当の本人は独身貴族を欲しいままにした。
 他所から見たら、80ババアと50息子は現代を象徴するごとくだった。

 明日が見えない。よめない。会話も今、必要なものだけである。
 神も仏もない神棚も取り外した。さすがその時は、自分で出来る限りの
感謝をとなえお別れをしたつもりだった。それからが長い。
 神仏に手を合わさなくなると、安定が悪いというか、翳りができた様な気がする。
心の拠り所を自ら捨てた。雛の季節が来たが、雛はもう灰になってしまっている。
 
 あれから幾年。
 あの世を信じたい。信じられる者の幸せを思う様になった。

 亡夫の時代から仕事一筋に励んでくれているAが救急搬送されたと今、
長男から連絡があった。Aは生き字引のような方。ひたすら回復を祈るのみ。
 尻切れトンボになったが、ドキドキして落ち着かない。












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