第43話 吉野川よ永遠に

文字数 1,072文字

 東風に帆を受けてより、四国三郎と異名をとるほどの暴れ川であったという
吉野川。暴れる様子は文献や人伝にしか知らない。が、平田船が航行していたことは
知っていた。第十の堰を帆船はどのようにして越えたのだろうかと、ある日、
北方の友に尋ねたところ「そら堰のない川を迂回していたのよ」
という返事だったが、理解できないまま忘れ、時は過ぎていった。
 ここには、海士だった作蔵が平田船の船員になるまでの苦闘の日々が綴られていた。
徳島の浜から県西部まで一週間余をかけて、航行したという航路をイメージしてみた。
始発の浜から北上して榎瀬川、今切川、……と続いて大寺の板野まで遠回りをして
第十の堰の上手まで上った。そこは東風がそよぎ緩やかで、川には大輪の白い花が
浮かんで、浮世離れした装画の帆船に出合った。帆掛けでなく白い花が川に浮いている
と表現したところに作者のロマンを感じている。
 しかし、現実は高越山を左に仰いてからは、帆船は進退極まり浅瀬は作蔵が下船して
死に物狂いで帆船を手で引いたのだと知る。
作蔵が長い綱を肩にかけて船を降り、川を上り出す項から息もつかずに読んだ。
「今だ。身体を前に倒せ。もっと倒せ」と叫ぶゴン爺の声が聞こえた。ドキドキしながら
臨場感あふれる筆の運びに引き込まれていった。
 立ち位置の差こそあれ膝の悪い私は、低い椅子から立ち上がる時は、
思い切り前のめりになり下を向いたまま立ち上がる。
 作蔵の体を折らねば一歩が踏み出せない状態はうなづける。
ゴン爺の首の曲がりも肩にできた瘤も理解した。
東風に帆を張りゆったりと浮かんでいる帆の数だけ、作蔵と同じ辛苦に耐えた
船乗りのいたことに深い思いを馳せている。

 停泊の港は下ってゆく船が優先しその後で、登りの船が帆を進めた。
信号のない坂道と同じだと、自然のルールに感心する。
寄港の沢山あったのも新しい発見だった。 
 帆船は県西部のみならず徳島を水の都としての発展に寄与した。
その功績は今も語り継がれている。
「濁流ががくるぞー」半鐘を鳴らせーと伝達した筆者の前前作の記憶が
よみがえる。川の流域に住んだ人々は濁流に難渋したが、その濁流が肥沃な
土を下流に運び、川中島を作った。皮肉にもそこは藍染料日本一の産地と
なり、防水竹林は和傘の伝統工芸を産んだ。

 ひょうたん島巡りをしてたくさんの橋を潜った。
橋が川にかかるのは必定。また川の水の澄んでいるのにも感銘した。
水都徳島と言われる所以にうなづいている。

作蔵は押しも押されもせぬ平田船の船員になったことは言うまでもない。
「わしの目に狂いはなかった」権爺の顔が目に浮かぶ。















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