第37話 青春のかけら

文字数 1,011文字

 昭和32年〜33年の頃、阪神で働いていて芦屋婦人の車の運転手だった。
婦人と秀さんと私の3人の女の館では、用心棒も兼ねていたような気が
いつもしていた。婦人は近鉄の大ファンで梅田にバッファローズという喫茶店
を経営していた。バッハローズの選手たちも常連で店によくきていた。
しかし、野球はあまり強くなかったように記憶している。
 月曜日から金曜日まで芦屋と梅田を婦人を乗せて往復し、店にいる時は、
レジを手伝っていた。その頃スリーキャッツの「黄色いさくらんぼ」が店で
よく流れていた。が、なにぶん音痴の私は、最後の「黄色いさくらんぼ」
のところだけしか歌えなかった。
 土日には、別のドライバーが迎えに来て婦人はゴルフに興じていた。
週休、二日の休日は、庭にある東屋で本を読むか、須磨の海岸へ出かけた。
しかし、金槌であるから泳げない。終日、砂浜で日光浴をしていた。
元来、色黒でその上すっぴんは見事に黒光りして、
つけられたニックネームは「アーサーキット」
 帰郷して程なく、新聞の片隅に黒人歌手「アーサーキット」婚約の記事を読んで、
驚いたどころではなかった。疎いでは済まされないだろう。
「知らぬが仏」とはこのことである「アーサーキット」と言われて平然としていたのだから。

 国道二号線を車窓をオンプンにして真っ赤はneckerchiefを巻いて爆進していた。
信号待ちの時、、オートバイの青年が寄ってきて「かっこいいなぁ誰の車」
「ママの車よ」
嘘ではない。店ではママと呼んでいたのだから。
「他人の00で相撲をとる」の諺の通り、一人で走行する時は、色黒のお嬢さんに
なって得意がっていたのだ。青春って いいね。
何もかも若さで許される気がする。

 振り返ることで今を生きているなんて嫌なことだ。
明日は駅前の温泉に行って、桃香でランチ、パーマをかけて、マッサージにゆく。
昨年から車は無いから、バスとタクシーをうまく使い分けているつもり。
 バスを待つ時間もだいぶ慣れた。諦めが身についたのだろう?
バス停では、異世界では人間が魚雷に乗って続々と駆け抜けてゆく。
 過ぎ去った昔の自分のように。
 立場が変われば、考えることも左右に分かれる。自然の原理だろう。
 歩く時は、なるだけ端に寄り添い歩く。なんと不親切なことだろう
 歩道は凸凹道と同じことだ。安心して歩けない。
排水路の上が一番安定感がある。しかしだ。汚水の匂いが上ってくる。
 ああ道路を歩くのは嫌だ。助けてくれ。







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