第15話 親バカとボクシング

文字数 973文字

 体育が得意だった二男は少年野球に入り、長嶋に認め
られて巨人に入るんだと夢のような夢も追う少年だった。

中2の終わりの頃、野球部でトラブルがあり、居合わせた
亡夫は息子を有無を言わせず退部させてしまった。
高校入試を控えていたから、あとしばらくの我慢だったのに、
息子は辛抱しているのに親父が切れてしまった。

「全員スポーツより個人プレーの方が性にあっているのだ」と
亡夫は息子に有無を言わさずボクシング道場へ連れていった。

 私は反対したが、大正生まれの頑固者は妻の意見など聞く
耳は持っていない
「将来見込みがある。左フックは抜群だし感がよい」
監督はほめそやす。

 親バカを地で行った亡夫は昭和54年、スポーツ青少年育成
一助となればとの美名に、次男への償いを重ねてボクシング道場
を建立した

 ボクシング協会を作り当時の副総理を名誉会長に迎え西日本屈指
のアマチア道場をつくった。

 こけら落としとは道場のオーブン戦でもあった。盛大にオープン
した。息子に謝罪の意もあって建立した道場のオープン戦に息子は
判定で敗れた。息子が弱かったというより、対戦相手のランクが上
だったらしい。とは後から聞いた。
 息子の根性を鍛えるためにも強い相手と対戦させると監督はいうが、
息子は帰ってこなかった。
 素人とはいえ、最もハングリー精神の重要視されるこの世界に足を入れ
るれるだけでも、ど根性が求められたはずだ。初心が間違っていたのだ。

 息子は親父に反発し、親父は息子に落胆し二人のぎくしゃくは、
しばらく続いた。私は複雑な気持ちで二人を見るしか能がなかった。

 息子が去っても、息子の道場には多くの門下生がいた。
インターハイや国体が近づくと道場は俄然、熱を帯びてくる。
晩年の亡夫は国体に選手を伴って出場することを楽しんでいた。

夫の没後、私は2代目会長を継承した。本業は多忙で、名
ばかりの代表であったが、技はわからないが、
スポーツマンらしい礼儀の正しさにほのぼのとしたものだ。

 この道場から大学チャンピオンが生まれた。
 宿舎といっても、プレハブの2Fだが、隣町から親子で泊まりこ
んで励んでいた少年が後に、チャンピオンになった。

 4年目。気がついてみると道場は一人歩きしていた。
己の無能を悟り亡夫や門人に詫びつつジムを閉鎖。

 場所を変えて監督がジムを継承した。
亡夫のつけた○○ジムは今も健在である。



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