間話6

文字数 1,357文字

 浅い眠りについていたアンティは、トレンスキーたちが川辺を発つ音にはっと目を開いた。次第に遠のいてゆく蹄の音が完全に聞こえなくなると、そっと起き上がって暗い川の向こうに目を向ける。
 その顔には抑えきれない不安ともどかしさが浮かんでいた。言葉にならない思いはやがて深いため息へと変わった。

「……子犬ちゃん」
 少し離れた先で横になったままのゲルディークが声をかけた。寝起きの揺らいだ声ではない。しばらく前から起きていたのだろう。
「ゲルディさん、……具合は大丈夫ですか?」
 熾火(おきび)の淡い明かりの中、そっとゲルディークの側に寄りながらアンティが尋ねる。少し待つと答える声が返ってきた。
「ちょっとはましになったが、相変わらずだ。それより……」
 鳶色(とびいろ)の目を月明かりに向けていたゲルディークが、アンティへと視線を移した。
「どうして言わなかったんだ?」
「え……?」
「お前の師匠にだよ。自分は大丈夫だから、一緒に連れてってくれって」

 アンティはぎゅっと両手を握って黙り込む。ゲルディークは小さく息を吐くと、右手を支えにしてゆっくりと体を起こした。
「ゲルディさん、まだ起き上がらない方が……」
「それじゃお前、いつまで経ってもあいつらを追いかけられないだろ。……ああ、頼りの綱がこんな子犬ちゃんだなんてな」
 上体を起こしたゲルディークが気だるげに懐を探る。革袋から青く澄んだひとかけらを取り出すと無造作に口に含んだ。
「ゲルディさん、それは?」
水精石(いし)。”彼女”のためのな」
 その言葉にアンティはびくりと体を固める。少し迷った後でそっとゲルディークに問いかけた。
「その、どうしてゲルディさんは、……

をしたのですか?」

 なぜ自分と植物を混ぜたのか。聞かれたゲルディークは不快そうに眉を寄せたが、水精石(すいせいせき)に目を落とすと渋々といった様子で答えた。
「……そうしなけりゃ生き延びられなかったってのもあるけど。やっぱり、お花さんは俺の理想だからだよ」
 アンティは困ったように首をかしげる。
「理想、……というのは。そんなにも大事なものですか?」
「人による。俺は、どうでもいい他人のどうでもいい思惑に飼い殺されるくらいなら、自分の理想に生かされて死んだ方がましだと思った。今だって後悔はしてない」
 言ったゲルディークは小さく鼻を鳴らした。
「……まあそうは言っても。結局俺は焦がれるだけで人にも花にも、竜にも成れねぇまがい物なんだけどな」

 アンティはきょとんとした目をゲルディークに向けた。
「竜、ですか?」
「子犬ちゃん、もしかして俺の名前(ゲルディーク)の由来知らねえの?」
 意外そうに問われたアンティは戸惑った顔で言った。
「知らないです」
「そっか、けっこう有名なんだけどな」

 水精石(すいせいせき)をもう一つまみ口に含むと、ゲルディークはわずかに目を伏せて語りだす。
「ゲルディークってのはさ、昔話に出てくる邪竜の名前だよ。世界を滅ぼそうとした悪しき竜。自らの師匠を殺してその知識を奪った、師殺しの竜の名前だ」
 金色の目を見張ったアンティにゲルディークは苦笑してみせる。
「師匠もさ、よくそんな名前を弟子の俺にわざわざ付けようと思ったよな。本当に、四精術師(しせいじゅつし)ってやつは名付けの趣味が悪すぎる」

「ゲルディさんの、師匠(せんせい)は……?」
「俺が殺した」
 苦い笑みを浮かべたまま、ゲルディークは言った。
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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