第14話

文字数 1,634文字

 しんと静まり返った深夜の空気の中、室内は薄く火精石(かせいせき)の灯りだけで照らされていた。
 椅子に座ったトレンスキーは卓に置かれた燭台(しょくだい)をぼんやりと見つめている。背にした寝台の上ではトレンスキーとラウエルの外套(がいとう)にくるまったアンティが深い寝息を立てていた。

「まだ眠らないのだ?」
 声をかけられたトレンスキーが燭台の脇に視線を向ける。
 そこには一匹の白い(ねずみ)の姿があった。
「……ラウエル」
 ふくふくとした白の毛並みと、見上げてくるつぶらな緑の瞳。トレンスキーはわずかに頬を緩める。
「本当に、お主はどの姿もふかふかしておるのう」
 トレンスキーは指を伸ばすと白鼠の額に触れ、その温かな首元に指先を埋めようとする。白鼠は彼女の指を避けると体を伸ばしてトレンスキーを見上げた。
「君は、これからどうするのだ?」

 尋ねられたトレンスキーの表情が再び物憂(ものう)げに曇った。
「お主、今日はそればっかり聞いてくるのう」
「行き先を判断するのは、指し示すのは君なのだ。私はそれについてゆくのだ」
 トレンスキーはむう、とうなると卓の上に両肘をついて小さくため息を吐く。
「……ワシだって、どうすれば良いかなぞ見当もつかんよ」

 薄青色の目がちらりと動いて卓上に広げてあった地図を見る。クーウェルコルトの北部三領を描いた地図だ。
 トーヴァ連峰とバファル海に挟まれた北のフィリエル領。その南に位置する聖都(せいと)クウェンティスと、聖都の膝元として栄えるメルイーシャ領。そこから(イル)トーヴァを迂回するように東に進めば緑の景観が美しいエトラ領がある。

「フィリエル領、アレット……」
 現在地に目を落としたトレンスキーは一つ息を吐いて白鼠に答えた。
「アンティが増えたのじゃ。予定は変更、これ以上北へ向かうのは止めておいた方が良いじゃろうな」
「では、エトラ領へ戻るのだ?」
 白鼠の言葉にトレンスキーは頷く。
「リタたちの所ならば多少は長居もさせてくれよう。そこで支度(したく)を整え、改めて次の行き先を決めようかと思う」
 白鼠が卓上をするりと移動する。地図の上まで来るとトーヴァ連峰を示して首をかしげた。
「行程は? 峠を使うのだ?」
「……いや、止めておこう」
 トレンスキーは少し考えた後で首を横に振った。
「一度メルイーシャに出てから道なりにエトラ領へ向かう。やや時間はかかるじゃろうが、それが一番安全じゃ」
「君が安全を考慮するとは珍しいのだ」
 白鼠がトレンスキーを見上げて細いヒゲを揺らした。
「それが、師匠になるということなのだ?」

 その言葉にトレンスキーはきゅっと眉を寄せた。白鼠をどかせて地図を巻き直すと荷物の中に放り込む。
「全く、想像もしておらんかったよ。出来損ないのワシが弟子を取って、師匠だなどと……」
 トレンスキーはちらりと側に置かれた鈍色(にびいろ)の篭手に視線をやった。
 その表情は、見知らぬ土地に迷い込んでしまった子どものようだった。
「……お師匠様が生きておったら、一体何と言われていたかのう?」
「君も日々成長しているということなのだ。喜ぶのではないのだ?」
 白鼠は首をかしげてトレンスキーを見上げる。トレンスキーは暗い面持ちで目を伏せた。

「……さて、ワシもそろそろ休むかのう」
 やがてトレンスキーは椅子を立って大きく伸びをした。それを見た白鼠は心得たとばかりに卓を降りて壁際に近づく。
 次の瞬間、白鼠は大きな巻き角を持った白山羊の姿に変わった。
 ぎしりと床を軋ませながら白山羊が四肢(しし)を折って床に寝そべる。若草色の瞳をトレンスキーに向けると、淡々とした声音で伝えた。
「今日は色々あったのだし、君もゆっくり眠るといいのだ」
「ああ、そうじゃな」
 篭手を抱えたトレンスキーは寝台で眠るアンティを眺めた後で、白山羊のいる壁際へと寄った。なめらかな腹の毛皮をゆるく撫でると、ぴたりと白山羊の側に体を寄せて横になる。

 これからのこと。
 アンティのこと。

 考えなければならないことは多かったが、白山羊の温かさに目を閉じればトレンスキーはすぐに眠りについてしまった。
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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