第43話

文字数 1,880文字

 ゲルディークの口から飛び出した単語にアンティの目がはっと見開かれる。おそるおそる、聞き覚えのあるその名前を繰り返した。
「シウル・フィーリス?」
「有名だよな、”メルイーシャの悪鬼の手”。クウェン(そっち)では”メルイーシャの宝石”なんて呼ばれてたんだっけ?」

 隠されることのない嫌悪の声。
 アンティの視線が動く。
 顔色を変えたトレンスキーの向こう、火の側でわずかに顔を上げたラウエルの姿が見えた。

招来術(しょうらいじゅつ)の天才なんて大層な名で呼ばれたものの、アーフェンレイト以降は無責任にも全てを投げ出して行方をくらませたんだろ。自分の招来獣(しょうらいじゅう)で死んだカーリーフよりたちが悪い。奴の創った”ネメアの三姉妹”にカルマ(こっち)の兵がどれだけ殺られたと……」

「止めい、ゲルディーク!」
 トレンスキーが鋭い声を上げた。
 雷鳴のような激しさに側にいたアンティはびくりと肩を震わせる。ゲルディークも毒気の抜かれた表情をトレンスキーに向けた。
「ゲルディーク、それ以上言うな。でなければワシが本気で怒る」
 低くうなるような声でトレンスキーが言う。有無を言わせぬ響きにゲルディークは口をつぐんだ。

 静まり返った空気の中で、初めに動いたのはラウエルだった。
 音もなく立ち上がると無言で三人から背を向ける。トレンスキーが呼び止める間もなく、その姿は白鴉へと変わり夜空に羽ばたいていった。

 あっけにとられていたゲルディークがふと左目を見開く。
「……あいつ。まさかシウル・フィーリスの作品か?」
 トレンスキーがちらりとゲルディークに視線を向けた。無言を肯定と受け取ったゲルディークが舌打ちする。
「たしかに性能は破格だが、……ありえねえだろ。悪鬼の手が、シウル・フィーリスがあんな人畜無害な招来獣(もの)を創るなんて」
「お主こそ、今日はどうしたのじゃ?」

 そう言ったトレンスキーの口調に先ほどまでの激しさは残っていなかった。責める調子ではない、逆に気遣うような声音を受けてゲルディークは戸惑ったように顎を引いた。
「どうした、って?」
「普段は本心なぞかけらも語らぬくせに、今日はずいぶんと苛ついておったではないか」
「それは……」
「一体何がお主の逆鱗(げきりん)に触れた、ゲルディーク?」
 ゲルディークはぐっと言葉につまる。二人から目を逸らして立ち上がると、赤毛を搔きむしりながら足早に木々の向こうへと姿を消した。

「……師匠(せんせい)
 トレンスキーは力なく首を振ると立ち上がって火の側まで戻った。アンティもその背中を追いかける。
 火精石(かせいせき)の火に照らされたトレンスキーの表情は暗く、沈鬱(ちんうつ)だった。アンティが不安そうに声をかける。
「その、ラウエルさんとゲルディさんは……」
「大丈夫じゃ。二人とも、明日になれば戻ってくるはずじゃよ」
 トレンスキーは一つ息を吐くと空を仰いだ。
「あやつらも色々と思うところがあるのじゃ。それでも、この旅を途中で抜けるようなことはせぬじゃろう」

 アンティはゲルディークが消えていった木々の方を眺めると、ためらいがちに口を開いた。
師匠(せんせい)は、招来術が嫌いではないのですか?」
 星空を見上げたトレンスキーは眉を寄せ、困ったように小さくうなる。
「ワシは、別に」
「どうしてですか?」
「そもそもワシは、ゲルディーク(あやつ)のように真面目に四精術(しせいじゅつ)を修めてきたわけではないし。高尚な考えなんてものも持ちあわせておらんからのう」

 どこか自嘲(じちょう)めいた響きで言うと、トレンスキーは視線をアンティに向けた。
「ワシはただ、クウェンとカルマも、四精術師と招来術師も、お互いに譲歩し合い協調できる世界になれば良いなと願っておるだけじゃ」
「仲良くしたい、ということですか?」
「綺麗事をと、どの立場からも怒られてしまうかもしれんがのう」
 苦笑したトレンスキーに、少し考えた後でアンティは聞いた。
「招来獣も、ですか?」
「ああ、招来獣もじゃ」
 金色の髪を揺らしてトレンスキーが頷く。その目がふと、アンティの手に握られたままの花を見た。

「その花も、ワシが何とかしておこうかのう。ちょうど火もあることじゃし」
「燃やしてしまうのですか?」
 綺麗なのにもったいない、という視線に刺されたトレンスキーは寂しそうに眉を下げた。
「用の終えたまがい物を、本物の中に放置するのは嫌なんじゃと」

 二本の花が火にくべられる。燃える薄青色の花弁を、似た色の瞳が静かに眺める。
 トレンスキーの唇からふと、囁くようなトフカ語がこぼれ落ちた。

『──(とお)面影(おもかげ)一時(ひととき)幸福(ゆめ)
 ()()(ねむ)れ、(やす)らかに──』

 それが四精術なのか、それともただトフカ語で呟かれただけの言葉だったのか。側で見ていたアンティには判断がつかなかった。
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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