第31話

文字数 1,784文字

 荷物の包みを抱えたラウエルが食堂に姿を見せたのは、卓上に四人分の食器が並び、焼けた肉の香りが漂いはじめた頃だった。

「お帰りなさい、ラウエルさん!」
 リタの声でトレンスキーも食堂の扉を振り返る。萌黄(もえぎ)の裾を揺らしながらラウエルの側に寄って言った。
「ラウエル、使いを頼んですまなかったのう」
「問題ない、私が行くのが一番早いのだ」
 ラウエルが運んできた二つの荷物を入口近くの卓に置く。トレンスキーはすぐにその片方を解いて中身を見下ろした。
「……これは、良い仕事をしてくれたものじゃ」
 トレンスキーが手に取って広げたのは深紅の術師装束だった。
 左肩の裂け目はほとんど目立たたず、留め具と加護(かご)風精石(ふうせいせき)は丁寧に磨き上げられている。トレンスキーの唇から安堵(あんど)の息がこぼれた。

 無言で装束を眺める続けるトレンスキーに、前掛けを外したリタが呆れたような目を向ける。
「早く席に座らないと、先に食べちゃうわよ」
「ああ、すまぬ」
 見ればアンティとラウエルはもう席についている。トレンスキーもすぐに装束を置いて向かいの席に座った。

 トレンスキーは食卓を眺めると隣に座るリタに上機嫌で話しかけた。
「このジャム、昨日は出てなかったのう。良い色じゃな、スグリじゃろうか?」
「うん、アンティにも煮るのを手伝ってもらったのよ。自信作だからいっぱい食べてね。……ラウエルさんもどう?」
 リタが斜め向かいに座るラウエルに声をかける。鶏肉にナイフを入れていたラウエルは若草色の目をちらとリタに向けると、すぐに視線を落として言った。
「私には必要ないのだ」
「え、そ、そう……?」
「自信作ならば、私ではなく、君たちで食べた方が良いと思うのだ」

 トレンスキーが深いため息を吐いた。
「……お主のう」
 向かいからひょいと腕を伸ばし、トレンスキーがラウエルの皿に一すくいのジャムを落とす。抗議の声が上がる前に小言めいた口調で言った。
「こういう時はな、遠慮せずにいただくものじゃ。せっかくリタとアンティが作ったのじゃぞ?」
「しかし、私は……」
 そもそも食事自体必要ないのだと視線で告げるラウエルにトレンスキーは首を振る。
「お主にとっては必要なくとも、共に食卓を囲むワシらにはお主の反応が必要なのじゃ。いいから食べて二人に感想を言ってやれ」

 ラウエルは不思議そうにリタを眺めた。その顔に浮かぶ不安げな表情を見ると、少し考えた後で切り分けた肉にジャムをのせる。ゆっくりと味わうと小さく頷いてリタに言った。
「……とても、美味しいと思うのだ」
「ほ、本当に?」
「もし、また作る機会があるなら言ってほしい。私も、摘みにいくのを手伝うのだ」
 その言葉を聞いたリタは息が止まるような表情をした。口元を覆った顔にぱっと赤みが差す。
「あ、ありがとう。それじゃ来年、また絶対に作るから……!」
「うんうん、良かったのうリタ」
 食卓で広げられるそんな会話を、アンティは耳をそばだてながら聞いていた。

 やがて食事が済んだ頃、全員の食器を下げ終えたリタがトレンスキーに声をかけた。
「……ねえ、エル?」
「ん、どうしたのじゃ?」
 言ったトレンスキーは至福の表情で食後のコーヒーを傾けていた。置き放たれたままの術師装束をちらりと見やったリタは、座る彼女を見下ろして尋ねた。
「いつもの服が直ったってことは、また旅に出るつもりなのよね?」

 向かいで午後の予定を話していたアンティとラウエルがぴたりと会話を止めた。トレンスキーがきょとんとした顔でリタを見上げる。
 前掛けを両手で握りしめたリタは薄青色の瞳を見つめて言った。
「でも、今はアンティだっているんだし。この前みたいに怪我するような、危険なことは止めた方がいいんじゃない?」
「いやその、この前のは……」
 視界の端に、いたたまれない様子で顔を伏せるアンティが映った。言葉をにごしたトレンスキーにリタは勢い込むように続けた。
「いっそ、旅なんてやめてアンティとラウエルさんとこの町(イルルカ)に落ち着いたらどう? エルだったらきっと、町のみんなだって歓迎してくれるだろうし」
「リタ、それは……」
「エルはいつだって誰かのために頑張ってきたけど、そろそろ自分のために、穏やかな暮らしをしたっていいんじゃない?」

 リタの言葉にトレンスキーは小さく肩を震わせた。ぎゅっと眉を寄せると、トレンスキーはカップの中で揺れるコーヒーに目を落とした。
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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