第48話

文字数 1,167文字

 夏草の上に噴き出した赤色が飛び散るのを見た瞬間、アンティの顔から大きく血の気が引いた。
 すぐに止血をと思ったところにトレンスキーからの声が届く。

「早く、ゲルディークから離れるのじゃ!」
 アンティは立ちすくむ。聞いた言葉が理解できなかった。

 先に反応したのは白鴉の方だった。空中のツバサヘビたちを振り払うと地面に降りて人の姿へと戻る。硬直したアンティを抱え上げるとゲルディークから背を向けて走り出した。
「ラウエルさん、ゲルディさんが……!」
「今は離れる、角に掴まるのだ」
 アンティを背中に回したラウエルが走りながら低く身をかがめる。その体が急に白山羊の姿へと変わった。跳ねる背中に振り落とされる前に、アンティは白山羊の側頭部に大きく巻かれた角にしがみつく。
 背後で空気を裂くような声が聞こえた。白山羊の背から後ろを振り返ったアンティが息をのむ。

 白い鱗のツバサヘビが空中に縫い留められていた。激しく痙攣(けいれん)する身体の中心には鋭い棘を持った茨が貫通している。地上にいたキツネモドキたちも大地を這って伸びる茨に次々と絡めとられてゆく。錆びた赤を散らせた棘はもがく招来獣(しょうらいじゅう)たちの四肢にきつく食い込み、頭を(くび)り、核を砕いていた。

「アンティ、ラウエル、無事かっ!?」
 灰茶の外套(がいとう)を跳ね上げてトレンスキーが白山羊と合流する。氷上のサリエートは伸びる茨を見て警戒するようにアーシャ湖へと翼を翻したところだった。
師匠(せんせい)、ゲルディさんは……」
 金色の瞳に断末魔と共に崩れて消えるキツネモドキの姿が映る。言葉を失ったアンティにトレンスキーは固い顔で言った。
「おそらく暴走しておる」
「暴走?」
「ゲルディークの意識がなかったせいじゃろう。このままでは

、敵と見たものを見境なく喰らい始めるぞ」
 不安げな表情を浮かべるアンティの下で、白山羊が淡々とした声で尋ねた。
「何とかできそうなのだ?」
 トレンスキーはぐっと眉を寄せて右手に視線を落とした。
「分からぬが、……やってみるほかあるまい。こんな時のために聞いた”彼女”の名じゃ」

 それだけ言って、トレンスキーはくるりと茨に向き直った。篭手の右手と素手の左手を祈るように組み合わせて細くトフカ語を紡ぐ。
『鎮めの火は、高く、広く……』
 ほどかれた指が外套をはだけ術師装束のポケットへと伸びる。取り出した包みの布は赤色だった。

「お主らは離れておってくれ!」
 トレンスキーが伸び続ける茨の前に躍り出る。包みを握り込んだ篭手は先の術から熱を帯び続け、再び高い金属音を上げ始めていた。
 深い呼吸の後でトレンスキーがうごめく茨に向けて声を発した。

(しず)まり(たま)え、(にく)しみの(とげ)
 ()(あか)(りゅう)(たから)
 ()夢幻(むげん)様相(ようそう)
 ()不可侵(ふかしん)(はな)
 (しず)まり(たま)え、慈愛(じあい)(とも)
 ──”三日月の花乙女(クレセンタ・アルアーラ)”──!』

 鋭さを秘めた必死の声。それは懇願(こんがん)の響きをしていた。
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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