第51話

文字数 1,304文字

 アンティは驚いたように息をのんだ。トレンスキーは静かな声で説明を続ける。

「そのおかげで、あやつは定期的に四精石(しせいせき)さえ摂取すれば過酷な地でも生き延びることができるし、体液──主に血液からあの茨をトフカ語の詠唱なしで発芽させることもできる。しっかりと制御するにはトフカ語も必要なようじゃが」

 焚き火が軽い音を立てて爆ぜた。しばらく黙りこんでいたアンティは固い声で聞いた。
「……人では、ないのですか?」
「いいや、人じゃよ」
 揺れる火を眺めるトレンスキーが短く言う。
「その半分が植物で、そのさらに何割かは四精術(しせいじゅつ)というだけで。ゲルディーク(あやつ)は人間じゃよ」
 それきりトレンスキーが口を閉ざす。辺りに響くのは川の流れと焚き火の音だけになった。

 アンティは以前、ゲルディークが血を流した時は近づいてはいけないとラウエルに言われたことを思い出した。危険だから、という説明に今さらながら理解がいった。
 ゲルディークに噛みついたキツネモドキはその返り血を浴びた瞬間に鋭い棘の餌食になった。もし知っていたとしても避けられたかは分からない。あれは、自分の身を犠牲にしても相手を必ず仕留める強烈な反撃だった。

「……アンティ」
 毒々しい茨の姿を思い返して顔を強ばらせていたアンティに、トレンスキーが声をかけた。
「その、無理にとは言わんが。あまりあやつを怖がらないでやってくれ」
師匠(せんせい)?」
 見れば、トレンスキーは気遣わしげな眼差しをアンティに向けていた。
「普段はな、あやつ自身が周囲に気を遣っておる。今までお主にも気づかせなかったじゃろう。他人にはめったに近づかぬし、近づく時は不慮のことが起こらぬようにと常に考えておる。だから……」

「君がいくら言ったところで、毒蛇が近くを這っているのを見て冷静でいられる人間は少ないと思うのだ」

 淡々とした声が二人に届く。先ほどよりも大きな枝を持って戻ってきたラウエルがすぐ近くに立っていた。
「……お主、辛辣じゃのう」
「それが不安に思うのも無理はない、誰もが君のように考えるのは難しいのだ」
 ラウエルが再び枝を火にくべながら言う。トレンスキーは不服そうな表情を浮かべたが、反論の言葉は出てこなかった。

 アンティはふと思い返す。
 ヒースの山で出会った時、オオカミグマと対峙して左肩を負傷した時、イルルカでその治療を受けていた時。ゲルディークと接するトレンスキーの様子に違和感はなかった。まったくの自然体だった。

師匠(せんせい)は怖くないのですか、ゲルディさんに触られて?」
「怖い、というよりワシは不安じゃよ」
 トレンスキーは息を吐いた。
「あやつはどこか、自分自身さえ消耗品のように捉えているふしがある。もし目標を達成した時に、理解してやれる人間が、触れてやれる人間が一人もいなければ。あやつはそのまま命を絶ってしまいそうな気がする。……そんなところを見るのは嫌じゃ」

 アンティが目を丸くする。ラウエルは残りの枝を火の周りに積みながら小さく言った。
「そういうところが、君がお人好しと言われる所以(ゆえん)なのだ」
 最後の一本をそっと火に乗せると、ラウエルはふと瞬いて若草色の視線をゲルディークへ向けた。

「……目が覚めたようなのだ」
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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