第15話

文字数 1,526文字

「いやあ、ようやく着いたのう!」
 歩きつめていたトレンスキーが眼下に広がる景色を見て歓声を上げた。
 道中ずっと東に見えていたトーヴァ連峰が途切れ、音を立てて流れる川の先にはなだらかな平地と整然と植えられた木々が見えた。

 振り返ったトレンスキーはアンティを手まねきすると、青々と並ぶ木々を指差して言う。
「見てみい、アンティ。このクレナ川を越えた向こうがエトラ領じゃ。あのきれいに並んだ木はな、全部リンゴの木なんじゃよ」
 トレンスキーの言葉を聞き、アンティが金色の目を見開いた。
「そうなのですか?」
「ああ、この辺りのリンゴの蒸留酒は本当に美味くてな。早くイルルカの町に行きたいのう!」

 楽しげに話す二人の後ろからラウエルが近づく。全員分の旅荷を背負っているが、招来獣(しょうらいじゅう)に疲れはないので表情は涼しいものだった。
「まだ目的地まで遠いのだ」
 見下ろす景色に特に心動かされた様子もなく、ラウエルは普段と変わらない淡々とした口調で言った。
「はしゃいでないで、君たちはちゃんと休憩をとった方が良いと思うのだ」
「そうじゃな、ここで少し休んでいくか」
 頷いたトレンスキーの横で、荷物を置いたラウエルがアンティに水筒を手渡す。

「ありがとうございます、ラウエルさん」
 受け取ったアンティは薄くにじんだ汗を拭いながら水筒を傾けた。
 その服はアレットで出会った時のものではなく、メルイーシャの古着市で買った子ども用の旅装束だ。頭には日差しよけの麦わら帽子をかぶっている。
「歩きづめで辛くはないのだ?」
 ラウエルの問いにアンティは頷いて答えた。
「大丈夫です」
「ここからは日が強く差すようになる。不調を感じたらすぐに言うのだ」
「はい」

 トレンスキーは二人の会話を鷹揚(おうよう)に聞いていたが、内心では旅慣れない子どもに対するラウエルの気配りに若干舌を巻いていた。
(……いかんのう、気を抜けばつい自分のことしか見えなくなる。ワシも師匠としてちゃんとアンティを見てやらねば)
 気持ちも新たにトレンスキーはアンティを眺める。やや気張った視線に気づいたアンティが不思議そうな顔をした。
「どうしたのですか?」
「ああ、いや……」
 首を振ったトレンスキーは、水筒を戻して荷物を背負い直したラウエルと自分を見上げるアンティに言った。
「今日は早めに宿を決めようかのう。部屋で落ち着いたら一緒にトフカ語のおさらいをしような、アンティ」
 帽子越しにその頭を撫でると、アンティもぎこちない笑顔を浮かべて頷いた。
「はい、師匠(せんせい)

 トレンスキーがアンティと出会い、共に旅を始めてから数日。その間に、アンティは彼女のことをそう呼ぶようになっていた。
「何かを教えてくれる人は、師匠(せんせい)ですから」
 アンティ自身、その呼び方がどこかしっくりくるようだった。
 ということは、記憶を失う前にそのような人物がアンティの側にいたのだろうか。疑問は湧いたが、本人にも分からないことを聞いても仕方ないだろうとトレンスキーは追及しなかった。
 代わりに、トレンスキーは四精術(しせいじゅつ)の基礎をアンティに教え始めていた。
 トフカ語の読み書き、四色四晶(ししょくししょう)の石の区分と術の成り立ち、その歴史……。
 新しいことを知るのは楽しいようで、アンティは旅の景色を眺める時と同様にきらきらとした目でトレンスキーの話に耳を傾けていた。
 そんなアンティを見るたびに、トレンスキーはちくりと苦い思いを胸に抱えてしまうのだった。

「……この先に、村があるはずなのだ」
 地図を広げたラウエルがトレンスキーを振り返って言う。
「ヒースという村なのだ。今日の宿はそこでいいのだ?」
「そうじゃな。ここから先は緩やかな下り道じゃ、気楽に進むとしよう」

 中天にかかり始めた太陽を見上げてトレンスキーは頷いた。
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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