第5話

文字数 1,452文字

 ラウエルが案内した川は、思いのほか急な流れをしていた。
 岩と岩の間を縫うように走る水に溺れるほどの深さはなさそうだが、油断をすれば大人でも足をとられかねない勢いで流れている。周囲の石には音を立てながら絶えず水の飛沫(しぶき)が当たり、日が乾かすまでのあいだ黒い染みを残していた。
 鞍や荷物を抱えて先を歩いていたラウエルは川には寄らず、やや離れた手ごろな岩に腰かけた。そこで荷の番をしているということなのだろう。

 女はラウエルに篭手を預けると川へ近づいた。
 流れる水に触れた女はその冷たさと勢いに軽く息をつめる。しかし慣れれば先ほどまでの戦闘の火照りを冷ますのに丁度良い。
 女は両手で水をすくうと二度、三度と顔を洗った。
「……ふあっ、さっぱりしたのう」
 やがて女は満足そうに顔を上げると乾いた布でごしごしと顔を拭った。

 一息ついた女は改めて辺りを見渡す。
 雲のない初夏の日差しも、南トーヴァから吹き降りる清涼な風が心地良さへと変えてゆく。目の前の水の冷たさも山頂から転がり落ちてきた自然の厳しさから生まれたものなのだろう。

 そんなことを思いながら川の上流を見やった女は薄青色の瞳にあるものを映した。ややぽかんとした後で大きく叫び声を上げる。
「ら、ラウエルっ!」
 女の声に、座っていたラウエルが顔を上げた。
「どうかしたのだ?」
「ちょっと、ちょっとこちらへ来てくれ!」
 慌てた様子で上流へと走る女を見てラウエルは首をかしげる。
「魚でもいたのだ? そんなに勢いよく近づいては……」
「違う、人じゃ、人がおる! お主も手を貸してくれ!」
 若草色の目がきょとんと瞬いた。

 女の見下ろす先にいたのは子どもだった。
 年の頃は十歳前後だろうか。意識を失い、激しい水流の中にぐったりとその半身を沈めていた。

 やってきたラウエルと共に子どもを川から引き上げる。その両頬に手を添えて、女は褐色の肌をした子どもの顔をのぞき込んだ。
「……息はあるが、かなり体が冷えておる」
 短く揃えられた黒髪から胸元までは日光で十分に乾かされていたが、着ている服の大部分は水気を含んで子どもの体に重く貼りついていた。
 先ほど触れてその冷たさは体験済みだ。子どもの唇が真っ青に変わっているのを見た女は慌ただしく立ち上がった。
「ワシは火をつくる。お主はその子を拭いて着替えさせてやってくれ」
「心得たのだ」
 女は川辺の石を円形に並べると、術師装束のポケットから赤い布袋を取り出した。中に入っていたものを右手で軽く握った女は円の中央にそれを()く。

(よる)(おび)えぬ(ため)に、()()(おく)らん
 (ふゆ)(こご)えぬ(ため)に、()()(おく)らん
 (いわ)うが(ゆえ)灯火(ともしび)(なげ)くが(ゆえ)灯火(ともしび)……』

 女がトフカ語で語りかけると、散らせた赤いかけらが光った。
 それは女が積んだ円の中でひとかたまりの炎になる。炎は円の外へ出ることなく、()(くさ)もないまま揺らめき続ける。
「使ってくれ、ワシは火が消えぬうちに(たきぎ)を集めてくる」
 本来の焚き火のおこし方とは手順が逆だが、女の作った火が簡単に消えないことを知っているラウエルは小さく頷いた。
(それにしても……)
 赤い装束を(ひるがえ)して駆け出そうとした女は、一度ちらりと子どもの方を振り返った。

 こんな所に人が、しかも子どもが一人とは。
 なぜこんな所に? 両親は一緒だったのだろうか? それとも、上流から流されてきたのだろうか?
 様々な疑問が湧きつつも、女はすぐにその考えを断ち切った。
 気になることは子どもが目を覚ました時に改めて聞けばいい。女は川を離れると木々の生える方へと向かった。
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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