第24話

文字数 1,613文字

 気を落ち着けるように深く息を吸うと、トレンスキーは深紅の装束のポケットから透き通る黄褐色(おうかっしょく)の小石を取り出した。

(すな)(しろ)(くず)れ、()めし(おも)いは(わす)()られる
 其処(そこ)(のこ)るは、(ただ)(ゆめ)ばかり……』

 トレンスキーの唇から低く緩やかなトフカ語が発せられる。
 地精石(ちせいせき)が軽い音を立てて砕ける。同時に、目の前にあった岩壁が海辺の砂のようにさらりと崩れ、大きな空洞ができあがった。
 そっと横穴をのぞき込んだトレンスキーがわずかに身震いする。
「……ずいぶんと冷たい風が通っておる」
 耳を澄ませ招来獣(しょうらいじゅう)が近くにいないことを確認すると、トレンスキーはラウエルに位置を譲った。
「頼めるか、ラウエル?」
「心得たのだ」

 頷いたラウエルはすぐに白鼠の姿に変わった。
 開かれた暗闇の先へ白鼠は臆することなく進んでゆく。その小さな背中を見送ったアンティはトレンスキーに尋ねた。
「ラウエルさんに、何を頼んだのですか?」
「中の確認と探索じゃよ。人には歩けぬ暗闇も、あやつにはさしたる障害ではないし。それにあの姿は静かで小回りが利くからのう」
 説明するトレンスキーの背後で、ゲルディークが小さく何かを呟いた。
 クウェン公用語とも、トフカ語とも違う響き。アンティにその言葉を聞き取ることはできなかったが、トレンスキーは表情を険しくしてゲルディークを睨みつけた。

 しばらく待っていると、やがてラウエルの戻ってくる音が暗闇の奥から響いてきた。
 その足音は鼠ではなく人間のものだ。目を凝らし、ようやくその姿を視認したトレンスキーはさっと顔色を変えた。

 ラウエルの両腕に抱えられていたのは人間の亡骸(なきがら)だった。
 見たところ年の頃は二十歳前後か。ざっくりと裂かれた傷跡から流れたであろう血でその衣服は真っ黒に固まっていた。

 ラウエルが亡骸をそっと地面に横たえる。襟元につけられた金色のバッチに触れて、若草色の目がわずかに細められた。
「……間に合わなかったか」
 亡骸の側に屈みこんだトレンスキーは悔しげに唇を噛む。
「おい、待てよ……」

 やや距離をおいて見下ろしていたゲルディークが、ふと弾かれたように横穴へと視線を向けた。
「この音、招来獣はまだ残ってるのか?」
「奥にオオカミグマが一体。既にこちらに気づいているのだ」
 聞いたゲルディークは大きく赤毛を搔きむしった。
「なのに悠長(ゆうちょう)にこんな死体(もの)を持ってきたのか、何考えてんだお前!?」
「あのまま置いておけば、亡骸が踏みつけられてしまう危険があったのだ」
「それでこいつらまで危険に晒してどうする!? 一体何のためにお前が……!」
「──来るぞ!」
 トレンスキーが声を上げて横穴に対峙した。

 獰猛(どうもう)な唸り声がすぐ近くから響いてくる。
 重い足音を立てて姿を見せたのはラウエルの言った通りオオカミグマ、大柄な熊の体と狼の頭部を模した招来獣だった。
「アンティはラウエルの側に!」
 鋭く言ったトレンスキーが横目でゲルディークを見やる。
「ゲルディーク、頼めるか!?」
 ゲルディークは舌打ちをして懐を探る。焦茶の平たい種を取り出すと、その上に水精石(すいせいせき)のかけらを落としながらトフカ語で囁いた。

朝露(あさつゆ)()う、(まみ)えの僥倖(ぎょうこう)──!』

 ゲルディークはオオカミグマに向けて種を放つ。その手から離れると、それはすぐに(つる)を伸ばして巨大な体に巻きついた。
 四肢を絞めつける(つた)にオオカミグマは怒声を上げる。黒い毛皮に覆われた腕が力任せに振り上げられると、ぎりりと嫌な音を立てて蔦が引き伸ばされた。
「嘘だろ、馬でも止める強度はあるんだぞ?」
 わずかに狼狽(ろうばい)するゲルディークにトレンスキーが問う。
「もっと強度のあるものはないのか!?」
「数を増やせば何とか、……けど少し時間が欲しい!」
 聞いたトレンスキーは眼前を鋭く見すえる。オオカミグマは今にも絡まる蔦を引きちぎりそうである。
「ラウエル、ワシらで何とか時間を──っ」
 叫びかけたトレンスキーの脇を黒い影が駆け抜けた。

 ナイフを(たずさ)えたアンティだった。
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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