第38話

文字数 1,679文字

 五年前に起きたアーフェンレイトの大災禍(だいさいか)。その発端(ほったん)となったのは二体の招来獣(しょうらいじゅう)だといわれている。

 二体の通称は”黒のグラスメア”、そして”白のサリエート”。

 クーウェルコルトの招来術師(しょうらいじゅつし)カーリーフが創り上げた(つい)の招来獣であるといわれているが、その詳細はフェーダ教の上層部と招来術(しょうらいじゅつ)工房によって固く秘されている。アーフェンレイト以降は数多くの町や村を壊滅させ、クウェン、カルマ両国で恐怖の象徴となった名だ。

「もちろん討伐(とうばつ)にあたっての被害は軽くなかったようだが。五年もの間果たせなかった快挙だ、皇帝への評価も新たな騎兵隊への信頼も高まった」
 そこまで言ったゲルディークは卓に両肘をついて身を寄せた。
「……もしもクウェンとの戦が再開されれば。四精術師隊(しせいじゅつしたい)に代わって、今後は招来獣騎兵隊がカルマの主戦力になるのかもしれないな」
 囁いた言葉は冗談めかしてはいたが、その目は笑っていない。トレンスキーも険しい表情で地図を見下ろした。
「話はそれだけじゃない」
 ゲルディークが地図上をなぞる。節くれだった指がクウェン北部から(アル)トーヴァ連峰を隔てた先、消された一つの名を指し示した。
「二か月前、残った”白のサリエート”の居場所が特定された」
「亡国、カルバラか……」

 そこは、かつて豊富な水源と麗しい景観で名を馳せた国だった。しかしクウェンとカルマの戦争の際に中立の姿勢をとっていたため、アーフェンレイト後に起こった招来獣の襲撃にどちらの国からも救援を受けられなかった不遇の国だ。

「あの辺りは火事場泥棒を働いてるやつらが多い。その道中にサリエートと遭遇した一団がいたそうだ」
 トレンスキーの目がぱちりと瞬く。
「”皆殺し”で有名なカーリーフの招来獣を相手に、よく生き残れたものだ」
「全員無事ってわけじゃなかったらしいがな。十数人といて、命からがら逃げのびたのは雑用を担っていた端女(はしため)が二人だけだったという話だ」
「なるほど」
 頷いたトレンスキーはふと怪訝(けげん)そうな目をゲルディークに向けた。
「それにしても。貴殿(きでん)は一体どこからそういった情報を引き出してくる?」

 ゲルディークはちらりと笑みを浮かべると、答える代わりに地図に目を落として言った。
「その後、サリエートはカルバラ内の湖に()みついた。湖を丸々一つ氷漬けにして未だに拠点を変えていないそうだ。場所は、……ここだな」
「亡国カルバラ、クレスタリカのアーシャ湖か」
 ゲルディークの示した湖はエトラ領の大針葉樹林を抜けた先、イルルカとも距離はそう遠くない位置にあった。
「それにしても、この季節に湖を凍らせるなど……」
 トレンスキーは固い声で呟くと、想像した寒気にすくむようにむき出しの腕を抱えた。
「とりあえず、俺が持ってきた情報はこんなものかな」
 ゲルディークはそれきり口を閉ざした。鳶色(とびいろ)の左目がうかがうようにトレンスキーを眺める。

 じり、と燭台(しょくだい)の火が揺れた。

「……場所まで分かっているなら、行かぬわけにはゆかない」
 唇を強く噛みしめて黙考(もっこう)していたトレンスキーは、やがて低い声で言った。
「白のサリエートを”還す”」
「……まあ、そうなるよな」
 深く息を吐いたゲルディークは皮肉げな笑みを浮かべた。
「お前がサリエートを”還す”ことに成功したら、休戦の大きな理由が消える。そしたら、クウェンとカルマは再び戦争を始めるのかね?」
「情報、感謝する」
 トレンスキーはそれだけ言って椅子を立った。そのまま部屋を出てゆこうとする背中にゲルディークが声をかける。

「お前の弟子は? 連れて行くのか?」
 その声音は妙に鋭かった。
「サリエートは”皆殺し”と冠された招来獣の片割れだ。そこらの招来獣とは違うだろ。オオカミグマの時はお前だったが、次はあの弟子が傷を負わないとも限らない。下手をすりゃ……」
 振り返ることなくトレンスキーが扉を開いた。

 薄氷を砕くような(かす)かな響きと空気の振動が伝わる。ゲルディークの張った結界が霧散(むさん)する気配がした。
 暗く冷ややかな廊下へと出たトレンスキーの耳に、クウェン公用語へと戻したゲルディークの言葉が届いた。

「置いていくべきだと、俺は思うがね」
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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