第45話

文字数 1,311文字

 白鴉が飛び去ってからやや過ぎた頃。
 その異変に最初に気づいたのはアンティだった。

「……ゲルディさん?」

 不安げな呼び声に、目を離さずにアーシャ湖の様子をうかがっていたトレンスキーも後ろを振り返った。
 見ればゲルディークは右手で顔を覆い、猫背を過ぎるほどに体を折っている。トレンスキーは目を見張ってその側に寄った。

「どうしたのじゃ、具合でも悪くなったか?」
 問いかけると、ゲルディークは噛みしめた歯の間からうなるように言った。
「声が……」
「声?」
 トレンスキーとアンティが揃って首をかしげる。
「お前ら、聞こえないの?」
「あいにくワシら、地獄耳のお主ほど耳は良くないのでな」
「ああ、そう……」
 ゲルディークは頭を抱えて息を吐く。改めて顔を上げると、集中するように湖へ向かって耳をそばだてはじめた。

 しばらくして、腕を下したゲルディークが唐突に歩き出した。進む先は薄靄(うすもや)漂うアーシャ湖の方角である。
「ど、どうしたのじゃ?」
 尋ねてみてもゲルディークは足を止めない。トレンスキーとアンティが顔を見合わせる。

「ちょ、お主ちょっと待たんか!」
 ずんずんと進んでゆく背中を小走りに追いかけたトレンスキーがゲルディークの右腕を引っ張る。
「そんなに堂々と歩くのはさすがに不用心じゃぞ。普段のお主らしく、ない……」
 その顔を見上げたトレンスキーは言葉を失った。
 鳶色(とびいろ)の左目に浮かぶ色は虚ろだった。ぼんやりとした表情は、こちらの言葉が届いているようには見えなかった。
「ゲルディーク……?」

 視線を合わせることもなく、ゲルディークがトレンスキーの腕を振り払った。
 空いた右手が気だるげな動きで胸元を探る。首から下げた装飾を手に取ると、ゲルディークは無造作にそれを後方へと放り投げた。
「ばっ、お主!」
 日に輝く黄褐色の石を見たトレンスキーが顔色を変えた。
「何をしておる、あれはお主の身を守る加護の石じゃろう!?」
 慌てて投げ捨てられた軌道を追う。夏草の上に落ちた地精石(ちせいせき)を拾い上げた瞬間、高い鳴き声が辺りに響き渡った。

 細かく空気を震わせる水笛にも似た音色。頭の奥を揺らすような響きにトレンスキーは思わず耳を押さえた。
「な、何じゃ?」
師匠(せんせい)、あれを……!」
 駆け寄ってきたアンティが指を差す。凍る湖の上に大きく翼を広げる招来獣(しょうらいじゅう)の影が見えた。

 仰ぎ見たトレンスキーの口から、ぽつりとその名がこぼれ落ちる。
「あれが、”白のサリエート”……」

 優美に羽ばたいて(もや)()ぐ姿は白鳥のそれに近かった。だが体長は通常の白鳥よりも一回り以上大きい。細くたおやかな流れを描く首の先はトレンスキーたちの方を向き、その(くちばし)から聴く者の胸をざわつかせる水笛の音色を奏で続けている。

 間違いない。気づかれている。

 身を強ばらせたトレンスキーの視界で、先を歩いていたゲルディークが急に膝をついた。ぐらりと傾いた背中が地面に倒れる。
「ゲルディーク!」
 トレンスキーが側に寄り、地面に突っ伏したゲルディークの体を仰向かせる。
「どうしたのじゃ、しっかりせいゲルディーク!」
 前髪をかき上げてみても反応はない。揺さぶっても意識は戻らず、その呼吸は消え入りそうなほどに浅く小さくなっていた。
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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