第46話

文字数 1,399文字

師匠(せんせい)招来獣(しょうらいじゅう)が来ます!」
 張りつめたアンティの声に視線を上げる。
 薄青色の瞳が大きく見開かれた。トレンスキーが引きつった表情で叫ぶ。
「……なにが”いくつか”じゃ、あんな大群とは聞いとらんぞ!」

 湖岸から向かってくる数は二十をゆうに超えていた。
 キツネモドキとさらに大型のオオカミモドキが低く列を組んで駆け、その頭上を二対のヒレを泳がせて飛ぶツバサヘビたちが追随(ついずい)する。

 悪態を吐きかけたトレンスキーがはっと息をのむ。ここに、招来獣の敵意に人一倍敏感な存在がいることを思い出したのだ。
 ゲルディークを抱えたままトレンスキーが振り返った。
「アンティ、お主は、」
「大丈夫ですっ!」

 答える声は鋭く、普段にはない険があった。
 見上げたアンティの顔は険しく歪み、きつく噛んだ唇からはわずかに血が滲んでいる。それでもトレンスキーを見つめ返す金色の瞳には正気の色があった。
「大丈夫、僕は、アンティ・アレットですから……っ!」
 黒い装束の胸元を握りながらアンティが言う。その手がまだ腰の短剣に伸びていないところを見てトレンスキーは苦しげに奥歯を噛んだ。

 闘わせるつもりのなかったアンティ。意識のないゲルディーク。前方のアーシャ湖には白のサリエート。そして迫りくる対峙したことのない数の招来獣たち……。
 トレンスキーの視界に篭手をつけた右腕が映る。
 迷う時間はなかった。

「……ワシが術であやつらの足を止める。止められなかった分はお主に任せて良いか?」
 ゲルディークを地面に横たえたトレンスキーはアンティに向き直った。その目をのぞき込みながらゆっくりと言う。
「すぐにラウエルがここに戻ってくるはずじゃ。合流したらゲルディークを連れて一旦退く」
「ゲルディさんを守るのですね」
 頷いたトレンスキーはアンティを軽く抱き寄せた。アンティの目が見開かれる。
「どうか自分の身を優先して、斬らねばならなくなった時は斬ってくれ。……ワシのためにじゃ」

 低い声にアンティの肩が震えた。
 本当は、そんなことを言う人ではない。
 分かっているのだ。歯止めが効かなくなるのではと、剣を抜くことに躊躇(ちゅうちょ)する自分がいることに。(たお)さずに済む方法を敵意で揺れる心の中で探そうとしていることに。……そして、その半端な行動が命取りになりかねないことも。
 犠牲もやむなしと伝えるしかない現状で、それでも弟子(じぶん)の振る剣に責任を持つと告げる声に、返す言葉がつまった。
「分かり、ました」

 防衛線はできるだけ離した方がいい。立ち上がったトレンスキーは二人をその場に残すと平地を駆けた。
 夏草の上に灰茶の外套(がいとう)が翻る。

 次第に迫り来る招来獣たちのさらに前に、土を巻き上げながら疾走する一つの姿があった。見つかってしまった以上、最速で戻れる道を選んできたのだろう。
 白い馬体を認めたトレンスキーはわずかな安堵に表情を緩めた。
「ラウエル、アンティたちを頼んだ!」
 声を上げたトレンスキーは息を整えながら右手を強く握る。

『護る為、脱する為に。今はこの力を、最大限に……!』

 低く囁くトフカ語に、薄く輝く鈍色(にびいろ)が高い共鳴音で応えた。
 招来獣たちを大きく引き離した白馬は、トレンスキーの側を横切る瞬間に白鴉の形態に変わる。その羽音を聞きながら、青の包みを取り出したトレンスキーが鋭く息を吸った。

晴天(せいてん)(さえぎ)大地(だいち)()()
 積雪(せきせつ)魔女(まじょ)微笑(ほほえみ)
 (あらが)(こえ)()くも(はかな)
 ()(ともしび)()(わた)さん──!』
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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