第55話

文字数 1,873文字

 はっと顔色を変えたトレンスキーが弾かれたようにアンティの側へ走り寄る。
「アンティ、どうしたのじゃ!?」

 合流した途端、アンティは膝をついて激しく息を切らせた。その背中をさすりながらトレンスキーは尋ねる。
「ゲルディークに何かあったか、それとも……」
「せ、師匠(せんせい)
 アンティが息を整えながらトレンスキーを見上げる。その右手には薄紅色をした一本の花が握られていた。
 乱れた髪、汗にまみれた顔、全力で走った後の苦しげな表情。その中で、金色の瞳だけは普段以上の輝きを放っていた。

「僕にも、手伝わせてください」
「な、何じゃと……?」
 アンティは握っていた花を装束の襟元にはさむと、ポケットから小さな革袋と、澄んだ色で輝く水精石(すいせいせき)の結晶を取り出した。
「ゲルディさんから預かってきました。(つた)の花の種です」
「何……?」
師匠(せんせい)言伝(ことづて)です。これを使えばサリエートを”還せる”はずだと」

 トレンスキーが息をのんで受け取った包みを眺めた。その後ろで、人の姿に戻ったラウエルが首をかしげてアンティに尋ねる。
「あれは、もう大丈夫なのだ?」
「はい。自分は結界を張るから平気だと言っていました」
「なるほどなのだ」

 会話を交わす二人の間で、真剣な面持ちで考えを巡らせていたトレンスキーがうなるように息を吐いた。
「……サリエートごと、招来獣(しょうらいじゅう)を全て蔦に巻き込む。言うのは(やさ)しいが実際に行うのは難しいぞ。時機(じき)を上手く読まねばならぬし、そもそも術を使うためには距離的にも十分な余裕がなければ」
「僕とラウエルさんが行きます」
 言ってアンティが立ち上がった。
 既に決めていたような迷いのない言葉だった。
「僕たちが招来獣を引きつけながら種を撒きます。師匠(せんせい)は遠くから、頃合いを見て四精術(しせいじゅつ)を使ってください」
「お主らを囮にするというのか?」

 トレンスキーは顔を強ばらせると強く首を振った。
「そんなことはできぬ。危険すぎる。それにほれ、お主にはサリエートの声のこともあるのじゃし……」
師匠(せんせい)
 アンティはゆっくりと言葉を紡いだ。
「僕は、大丈夫です」

 緩やかな風が平地を吹き抜けた。
 東の地平からは既に太陽が昇り始めている。その光を横顔に受けながらアンティはトレンスキーを見つめた。
「ラウエルさんなら、招来獣の攻撃は絶対に避けられます。僕たちが時間を稼げば、師匠(せんせい)は必ず四精術を成功させてくれます。僕はそう思います」
 トレンスキーが言葉を発する前に、アンティはアーシャ湖へと視線を向けた。

 漂う(もや)はその一瞬、白ではなかった。夜明けの薄青や朝日の黄色、山辺の緑を溶け込ませた鮮やかな色合いをしていた。
 その眺めを見て、アンティはぽつりと言った。

師匠(せんせい)、サリエートは悲しんでいます」
「何じゃと?」
「ここを動かないのは、これ以上どうすることもできないからです。片割れを失った寂しさに、どこに行くことも、帰ることもできないのです」
 アンティが胸を押さえた。トレンスキーは薄青色の目を見開く。
「お主、あやつの気持ちに……」

 アンティは小さく微笑んでトレンスキーを見た。その顔は、今まで見せたどの表情よりも柔らかく優しかった。
「オオカミグマは、師匠(せんせい)に感謝していました。救われたと思っていました。前に師匠(せんせい)が言っていた”救い”の意味を、僕はそれで知ることができました」
 アンティがトレンスキーに向かって、そっと右手を差し出した。
「だから、僕もそんな師匠(せんせい)のことを助けたい。師匠(せんせい)のお手伝いをさせてほしいです」

 トレンスキーは呆然とアンティを見つめた。
 出会った当初は無口で、周りを見上げるばかりの子どもだった。日々成長しているとは言ったが、それでもまだ庇護が必要な存在だと心のどこかで思っていた。
 それがいつの間に、自分の思いをこんなにもはっきりと自身の言葉で話せるようになっていたのだろう。

「サリエートを”還し”ましょう、僕たちみんなの力を使って」
 目の前にある金色の瞳は揺るぎなかった。
 トレンスキーは戸惑ったように隣を見る。側に立つラウエルの様子は普段と変わらないが、トレンスキーを見下ろすとほんのわずかに頷いたようだった。
 もう一度ゲルディークから託された包みに目を落とすと、トレンスキーは静かに目を瞑った。
「……頼っても、良いのじゃろうか?」
「僕は師匠(せんせい)の弟子です。頼ってください」

 顔を上げたトレンスキーはアンティの手をそっと両手で握った。左手に感じる素手のぬくもりは小さくも頼もしい。深く息を吸い込んだ後で、トレンスキーは心を決めたように頷いた。
「……ワシら全員でサリエートを”還す”。お主も手を貸してくれ、アンティ」
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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