第52話

文字数 1,389文字

 見ればちょうど、敷布の上のゲルディークが小さなうめき声を上げたところだった。

「ゲルディーク!」
 立ち上がったトレンスキーがゲルディークの側に寄る。アンティとラウエルもその後ろに続いた。

「トレンティか、……お馬さんと子犬ちゃんもいるよな?」
 目を閉ざしたまま、ゲルディークがかすれた声で問いかける。トレンスキーは大きく頷いて答えた。
「ああ、お主が倒れたので湖から一旦退いてきた。じきに夜になる」
「そりゃあ……」
 ゲルディークは顔をしかめながら首元をそっとなぞった。傷は塞がっているものの、引きつるような違和感はまだ残っているのかもしれない。
「どうじゃ、起き上がれそうか?」
「は、無理かも……」
 腕を下したゲルディークは細く答えた。
「意識がねえからって、四精石(しせいせき)をだいぶ持っていかれた。こりゃ、しばらく立ち上がれないかもな」

 そこまで言って、ゲルディークがわずかに左目を開いた。
「……お前らは、無事なわけ?」
「ああ、ワシらは特に異常ない」
 それを聞くと、ゲルディークは複雑そうに頭上に広がる宵の空を仰いだ。

「原因は、やはりサリエートか?」
「だろうな」
 ため息混じりにゲルディークは言った。
「あの声が聴こえた時、頭の中がふわふわした。すげえ良い声で、もっと側で聴きたいって気持ちが抑えられなくなった。……たぶん、あれがそうなんだろうな」
「そう、とは?」
「サリエートの噂を聞いた時から、妙だとは思ったんだ」

 ゲルディークは気だるげな目をトレンスキーに向けた。
「十数人といた盗賊たちの中で、生き残ったのが非力な女二人だけって話。いくら運が良いといっても不自然じゃないか。荒事に慣れた男連中を差し置いて、そいつらだけ生き残るなんて」
「まあ、たしかに。しかしそれがどういう……?」
 首をかしげるトレンスキーにゲルディークが言葉を重ねる。
「サリエートの特性。今回お前たちが無事で、俺だけあの声にやられたってことは……」

 しばらく考えたトレンスキーははっと目を見開く。
「サリエートの声は、男だけに作用すると?」
「それなら、グラスメアと”対”で”皆殺し”を冠されたのも納得がいくだろ」
 ゲルディークが視線だけで頷く。鳶色(とびいろ)の瞳には確信めいた光が宿っていた。

「グラスメアが女を殺し、サリエートが男を殺す。招来獣(しょうらいじゅう)騎兵隊がグラスメアを討伐できてサリエートを仕留め損なった理由も、招来術師(しょうらいじゅつし)の連中が妙に手をこまねいている現状も、それなら腑に落ちる」
「いや、しかし……」
 トレンスキーは背後を振り返った。そこにはやや離れて二人の会話を聞いていたラウエルとアンティの姿がある。
「それならラウエルとアンティは? お主の言う通りならば、あやつらも戦えなくなっているはずじゃろう?」

 ゲルディークは呆れたように鼻を鳴らした。
「お馬さんは招来獣だろ、人間じゃねえ。それに子犬ちゃんは……」
「そうか、アンティも半分は招来獣だからか。それでお主ほどには効果がなかったというわけじゃな」
 トレンスキーが納得したように頷く。その後ろで、アンティとラウエルは無言で顔を見合わせる。

「しかし、もしお主の言う通りであれば……」
 トレンスキーは考えこむように口元に手を置く。脳裏には昼間見たサリエートの姿を思い描いていた。

 やがて顔を上げると、トレンスキーは揺るぎない口調で言った。
「サリエートを”還す”こと、不可能ではないかもしれぬぞ」
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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