第17話

文字数 1,301文字

「お湯の用意ができました、よろしければどうぞ」

 若者がそう伝えにきた時、三人は円卓に顔を揃えてトフカ語の書き取りをしている最中だった。
「ああ、すまない。使わせてもらおう」
「場所は廊下をまっすぐ行って左側になります」
 トレンスキーは頷くと、アンティに向かって声をかけた。
「アンティ、先に使わせてもらうと良い」
「はい、師匠(せんせい)
「一人で大丈夫か、不安ならラウエルをついて行かせるが?」
 アンティは金色の目をきょとんと瞬かせると、すぐにふるふると首を振った。
「大丈夫です、一人で入れます」

 アンティが部屋から出ていくと、ラウエルが不思議そうにトレンスキーに尋ねた。
「心配ならば、君があれと一緒に風呂に入ってやれば良いのだ?」
「いやいや、ワシと入ったら問題すぎるじゃろう」
「そうなのだ?」
「ああ、いくら弟子とはいえ節度は保たねばな」
 ラウエルはよく分からないといった面持ちだった。トレンスキーはそれを放置して円卓に残された紙を手に取る。

 アンティの書くトフカ語はまだ(いびつ)だが、ここ数日でそれなりに上達していた。元々クウェン公用語の方は軽く学んだ形跡があり、文字を書くということ自体は初めてではなさそうだった。
「……全く、良い弟子を持ってしまったものじゃのう」
 紙面に目を落としたトレンスキーの口から思わずそんな言葉がこぼれる。ラウエルが首をかしげた。
「何か問題なのだ?」
「別に問題などない、アンティは良い子じゃ。ただ……」
 トレンスキーは大きなため息を吐いて机の上に突っ伏した。
「自分の不出来さをこんな形で見せつけられるとは思ってもいなかった、というだけの話じゃ。ワシ、本当に可愛げのない駄目な弟子じゃったからのう」

 ラウエルはトレンスキーを見下ろすと、そっと右手を伸ばしてその頭に触れた。
「あれはあれなのだし、君は君なのだ」
 トレンスキーが横目でラウエルを見た。金の髪をゆるゆると撫でながら、ラウエルは淡々とした声で告げる。
「私は、君もよく頑張っていると思うのだ」
 それを聞いたトレンスキーはわずかに息をつまらせた。ラウエルの手を遮るといたたまれない様子で椅子を立つ。
「……時間も空いたことじゃし、改めてあの者に一言挨拶でもしてこようかのう」
 それだけ言うと、ラウエルの返答を待たずに部屋を出た。

 廊下を歩くと、すぐに厨房(ちゅうぼう)と思われる場所が見つかる。トレンスキーは厨房をのぞき込むと、そこにいた若者に声をかけた。
「……失礼する」
「あ、はい」
 中央の調理台に目を落としていた若者が顔を上げた。慣れた様子で生地を()ねていた両手は真っ白に染まっている。
「何か必要なものでもありましたか?」
「ああ、いや、違うのじゃ」

 急いで手を拭おうとした若者をトレンスキーが止める。アップルパイの生地を用意しているのだと知って申し訳なさに眉が下がった。
「連れが無理を言ってしまい大変申し訳ない。その、ワシに何かできることがあれば手伝うが?」
 若者はきょとんとすると、すぐに笑って首を振った。
「いいえ、大丈夫ですよ。こうして動いていた方が気も紛れますし」

 トレンスキーは調理台に伸ばされた生地を見て、それから栗色の髪の若者へと視線を移した。
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登場人物紹介

名前 : トレンスキー・エル・デア・ルートポート

誕生日: 10月8日

誕生花: 金木犀(花言葉は謙遜、真実、陶酔)

好物 : 酒類、特に赤ワイン


 クーウェルコルトの若き女四精術師。クウェン公用語で話す時は老人口調。亡き師匠の遺品である四精術増幅装置の片割れと、表世界と裏世界をつなぐ帰還の詠を用いて招来獣を還す旅をしている。


~作者一言~

 お人好しで空回りばかりするドジっ子。なのに個性的な口調と職業のせいで、何となく格好良い人だと周囲に勘違いされているお得な主人公ですね。

名前 :アンティ・アレット

誕生日:2月23日

誕生花:ポピー(花言葉は忘却、想像力、恋の予感)

好物 :干した苺


 フィリエル領アレットで出会った記憶喪失の子ども。無垢で幼げな印象だが招来獣に相対すると攻撃的になる。身体能力が高く短剣を操るのが得意。


~作者一言~

 発展途上、可能性のかたまり。この子が自分の言葉で話して自分だけのトフカ語を操るようになった時、きっと物語は大きな転換期を迎えるような気がします。

名前 :ハヴィク・ラウエル・イル・メルイーシャ

誕生日:7月2日

誕生花:クレマチス(花言葉は精神の美、旅人の喜び、策略)

好物 :アップルパイ


 招来術の天才といわれたクウェンの招来術師シウル・フィーリス・イル・メルイーシャが創った招来獣。精巧な人型を含む七つの形態変化とクウェン語を介する能力を持つ。


~作者一言~

 パーティには語尾が個性的な子や動物系マスコットキャラクターがいた方が良いと言われてできたキャラクター。ボケとツッコミの境界にいる印象が強いです。

名前 :ゲルディーク・イアン・リレッダ

誕生日:9月18日

誕生花:アザミ(花言葉は独立、報復、人間嫌い)

好物 :ハーブティー


 カルア・マグダから来た隻眼の四精術師。カルマの学術機関を逃亡してクウェンに至った。学舎制度の下で育った四精術師を軽蔑し、招来術師や招来獣を強く嫌っている。


~作者一言~

 お花さん好き、声フェチ、被虐趣味、外見からくる劣等感と、四人の中で一番癖のあるキャラ。彼の命がけの復讐はこれから達成されるのでしょうか?

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