第25話 不思議な箱のおはなし 後編

文字数 2,056文字

 
「だ、だから、それはぼく自身にとっての約束事っで、口にはできないんだってば……」
「あっそ。どうしても言わないっていうんだな。おまえが、そういう態度に出るんなら、こっちにも考えがある」
「え、ど、どんな?」
 なんか、ヤな予感……。
「ネット上にだな、おまえがどんなに悪いヤツで、ほんでもって、どんなにいけ好かないヤロウかを書き込んでやる。そうすりゃ、おまえは大炎上して、一巻の終わりってもんよ、だははは」
「そ、そんなぁ……けど、あれだよ。天網恢恢疎にして漏らさず、とはいみじくも言ったもので、そういう道理にもとる行為をしたら、必ずや、天罰がくだるんだから」
「へん、だからなんだっていうんだ。こっちに天罰がくだる前に、おまえには世間からのパッシングがくだるのよ。へへ、ざまぁみろってんだ」
「……ま、まいったなぁ。わ、わかりましたよ。言えばいいんでしょう、言えば――」
 
 だとしたら、ぼくが、この箱の存在を認識し、意識しはじめたころに遡行しなくちゃいけない。まだ、ぼくが純情だった、あの少年時代に――。
 え、おまえにも、そんな時代があったのか、って?
 そ、そりゃ、ありましたよ。はなから、こんなふざけたおっさんじゃありませんよ、ぼくだって……。
 そりゃ、まあ、いまのぼくは、自意識過剰で、独善的で、適当で、いい加減で、うっとうしいくらい、ヤナおっさんですよ。それは、自覚し、認識してます。だから、それはあえて否定しません。
 ですが、少年のころから、こんなヤナ奴だっら、とうに世間から抹殺されてますよ。いや、それよりなにより、もしも、こんなヤナ奴とぼくが知り合いだったら、だれよりも、ぼくが真っ先に抹殺しているかも……。
 
 さて、羊にもどるとしよう。
 ぼくが、この箱の存在を認識し、意識しはじめた、あの少年時代に――。
 そのとき、ぼくはこの箱を信頼して、こういう暗示をかけた。
 この箱は絶対に手放さない。まして、どんなときも必ず傍らに置いておく。そうすれば、ぼくは絶対に幸せになれる――そのような、暗示を。
 さらに、そういう暗示をかけたことを秘密にしておく。その約束事を守り通しさえすれば、この箱から摩訶不思議な力が授けられる、というような暗示も。
 つまり、「箱の中身はともかくとして」、この箱の存在自体が大事というわけだ。
 こうして、ぼくが幸せでいられるのも、実はそうした暗示をかけ、しかも、自身に対する約束事を忠実に守ってきたからにほかならない。
 では、なぜ、暗示をかけただけで、ぼくは幸せになれるのか。
 という疑問が、当然沸いてくる。
「そりゃ、おまえ、あれだろう。箱の中には不思議な効力を発揮する『何か』が入ってるからだろうよ」
 なるほど、そう思うのもムリはない。なにしろ、この話のタイトルが『不思議な箱のおはなし』なのだから。でもそれは、正鵠を射た指摘ではない。
 なぜかというと、ここで肝要なのは「暗示をかけた」という事実にあるからだ。いちおう、「箱の中身はともかくとして」と断りを入れているわけだから――。
 では、暗示をかけさえすれば、どうして、ぼくは幸せになれるのだろう。
 これについては、フラシーボ効果を考えたらいい。
 この効果には、自分にとって非常に都合のいい作用がある。
 どういう作用かというと、クスリ自体には効用がないのだが、「このクスリは絶対的に利くんだ」という暗示をかけて服用すると、患者自身の治癒するという信頼が自然治癒力を引き出し、不思議とその病気が治癒しているというものだ。
 要は、ぼくもこの箱を持っていれば幸せになれるという暗示によって、箱の信頼が幸福力を引き出し、それで、ぼくも幸せな状態になっているというわけだ。
 ほら、だって、鰯の頭も信心から、って言うじゃない。信じる者は救われる。
 ま、そんな感じかな――。
 
 
「なるほど、それはわかったよ。でもこっちは、そんなのどうでもいいんだ。それより、箱の中身が知りたいだけなんだよ」
「え、ここまで言っても、まだわかんないかなぁ……」
「ああ、さっぱりだよ」
 おいおい、なんだよ。こんな悟性だか理性だかわかんないけれど、とにかく、リテラシーの欠片のないような輩に、こうしてぼくはいま、脅されてるの。そんなの、さっぱり合点がいかないなぁ……。
 ま、ネット社会なんて、しょせん、そういう輩が跳梁跋扈して、恣意的に荒らし回ってんだろうよ。
 それを思えば、ぼくも開き直りたくもなるよね。どうせ、ぼくはもとより、ヤナ奴なんだから、えへへへ。
 でもなぁ――いちおう、ぼくは躊躇する。
 こんなこと言ったら、やっぱ、怒るんだろうなぁ、と思って。
 しかし一方で、ま、このさいどうでも、いっか、というふうに、半ば捨て鉢気味な気分になっているぼくがいる。
 そのぼくが、約束事を反故にして、口を開く。
「実は、箱の中身はね――」
「な、中身は?」
 たっぷり間をおいたあとで、トドメをさす。
「ふふ、あんたの頭の中身と一緒で、空っぽ、ってわけさ、だははは」
「…………」
 
 
〈了〉
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