第7話 少女の貯金箱 前編
文字数 1,575文字
都会の街に、木枯らし一号が吹き荒れた、その夕さり――。
「ちょっと、急ぎの書類を投函してくる」とぼくは奥さんに告げて、駅前にある郵便ポストに、肩をすぼめながら足を運んでいた。
投函を終えて、とんぼ返りに帰途についた、その道すがら。ふいに、舗道を渡る風が、ぼくの鼻腔を、遠慮なく、くすぐっていった。
うん⁈ あそこからか。
見ると、コンビニのダストボックスの脇に、数人の男女が屯 してるのが目に入った。
冷たい風が吹き荒 んでいるというのに、彼らは、そこに設えてある灰皿を囲んで煙草の煙を美味しそうに一服している。
「こりゃたまらんぞ。ぼくも一服だ」
チェーンスモーカーのぼくは、そう声に出してつぶやくともう、そこに歩み寄っていた。
着くと、さっそく、煙草を取り出し、ライターの火を点 そうとした。
カチッ、カチッ、カチッ……。
にわかに、ぼくの顔がしかむ。なんとしたことか、火がつかない。
それもそのはず。よく見ると、ガス欠なので、それも無理はない。
「なんだよ、まったく」
チッ、とライターに向かって、ぼくは露骨に舌を打つ。これでは、美味しい一服どころの騒ぎじゃない。だからといって、ライターに八つ当たりしてみても埒が明かない。
あきらめるしかないな――そう、ぼくは自分に言い聞かせた。
とはいえ、ひとたび、吸いたいという衝動に駆られてしまうと、「それでも」と思ってしまうのが、神ならぬ人間の悲しい性 らしい。ガス欠で火がつかないから、煙草は吸えないとわかっているのに……。未練たらしく、ぼくは、取り出した煙草をしばらくぼんやりと眺めていた。
あ、そっか――ふと、気づいた。なんのことはない、ここはコンビニの前ではないか。要は、ここで、新しいライターを購 いさえすれば、ことは簡単に解決するのだ。ふふふ。
ほくそ笑みながら、ぼくはいったん取り出した煙草を、ふたたび、ボックスの中へと戻した。その上で、手を、ジーパンの後ろポケットに加えた。さながら、それがルーティンワークのように。
実はこれ、会計のときのための、早手回しの所作なのである。会計のときに初めて、あれ、財布がないぞ――そう気づいたのでは、なんともきまりが悪い。そうならないようにと、ぼくはこの所作を会計の前に、あえて欠かさず行うようにしている。
もっとも、これは今まで幾度となく、思わず頭を抱え込みたくなるような気恥ずかしい想いをしてきたからこそ、ようやっと、習得した知恵ではあるが……。
そこに手を加えたぼくはけれど、「あ」と小さく声をあげていた。
出かけるときには必ず、後ろポケットに財布を入れるようにしている。しかしながら、それに手が触れないのだ。
それでも、まあ、恥をかかずにすんだのだ。不幸中の幸いだと思えば、これこそがルーティンワークの賜物――なんて、ひとり悦に入っている場合じゃない。
それより、財布はどうした、とぼくは眉をひそめて、けれどすぐに、あ、そっか、と得心がいく。
どうせ、郵便を投函するだけだから――そう思って、ぼくは取る物も取りあえず、玄関のデアに背を向けていたのだ。それだけに、あるはずのところにないのはむしろ自然の数。だが――。
吸いたい、というぼくの欲望は、かえって募るばかり。なんといっても、隣の人が、煙草の煙を美味しそうにくゆらせている。それを見ていたら、むしょうに、吸いたくなった。
そうだ、だったら――ふと、閃いた。この人にライターを借りればいいんじゃないか、と。
けれどすぐに思い直す。ここからほど近いところに、わが家はある。だとしたら、ほんのちょっとの我慢じゃないか、というふうに。
なら、とっとと、帰ろう、とぼくは思って歩きかけた。と、その次の瞬間――。
「ねぇ、おじちゃん」
だしぬけに、背後から、見知らぬだれかに、ぼくは声をかけられていた。
つづく
「ちょっと、急ぎの書類を投函してくる」とぼくは奥さんに告げて、駅前にある郵便ポストに、肩をすぼめながら足を運んでいた。
投函を終えて、とんぼ返りに帰途についた、その道すがら。ふいに、舗道を渡る風が、ぼくの鼻腔を、遠慮なく、くすぐっていった。
うん⁈ あそこからか。
見ると、コンビニのダストボックスの脇に、数人の男女が
冷たい風が吹き
「こりゃたまらんぞ。ぼくも一服だ」
チェーンスモーカーのぼくは、そう声に出してつぶやくともう、そこに歩み寄っていた。
着くと、さっそく、煙草を取り出し、ライターの火を
カチッ、カチッ、カチッ……。
にわかに、ぼくの顔がしかむ。なんとしたことか、火がつかない。
それもそのはず。よく見ると、ガス欠なので、それも無理はない。
「なんだよ、まったく」
チッ、とライターに向かって、ぼくは露骨に舌を打つ。これでは、美味しい一服どころの騒ぎじゃない。だからといって、ライターに八つ当たりしてみても埒が明かない。
あきらめるしかないな――そう、ぼくは自分に言い聞かせた。
とはいえ、ひとたび、吸いたいという衝動に駆られてしまうと、「それでも」と思ってしまうのが、神ならぬ人間の悲しい
あ、そっか――ふと、気づいた。なんのことはない、ここはコンビニの前ではないか。要は、ここで、新しいライターを
ほくそ笑みながら、ぼくはいったん取り出した煙草を、ふたたび、ボックスの中へと戻した。その上で、手を、ジーパンの後ろポケットに加えた。さながら、それがルーティンワークのように。
実はこれ、会計のときのための、早手回しの所作なのである。会計のときに初めて、あれ、財布がないぞ――そう気づいたのでは、なんともきまりが悪い。そうならないようにと、ぼくはこの所作を会計の前に、あえて欠かさず行うようにしている。
もっとも、これは今まで幾度となく、思わず頭を抱え込みたくなるような気恥ずかしい想いをしてきたからこそ、ようやっと、習得した知恵ではあるが……。
そこに手を加えたぼくはけれど、「あ」と小さく声をあげていた。
出かけるときには必ず、後ろポケットに財布を入れるようにしている。しかしながら、それに手が触れないのだ。
それでも、まあ、恥をかかずにすんだのだ。不幸中の幸いだと思えば、これこそがルーティンワークの賜物――なんて、ひとり悦に入っている場合じゃない。
それより、財布はどうした、とぼくは眉をひそめて、けれどすぐに、あ、そっか、と得心がいく。
どうせ、郵便を投函するだけだから――そう思って、ぼくは取る物も取りあえず、玄関のデアに背を向けていたのだ。それだけに、あるはずのところにないのはむしろ自然の数。だが――。
吸いたい、というぼくの欲望は、かえって募るばかり。なんといっても、隣の人が、煙草の煙を美味しそうにくゆらせている。それを見ていたら、むしょうに、吸いたくなった。
そうだ、だったら――ふと、閃いた。この人にライターを借りればいいんじゃないか、と。
けれどすぐに思い直す。ここからほど近いところに、わが家はある。だとしたら、ほんのちょっとの我慢じゃないか、というふうに。
なら、とっとと、帰ろう、とぼくは思って歩きかけた。と、その次の瞬間――。
「ねぇ、おじちゃん」
だしぬけに、背後から、見知らぬだれかに、ぼくは声をかけられていた。
つづく