第48話 カタストロフィ 第十話

文字数 2,371文字


「どういう見返り案かといいますとね」
そう言って、田代は、それを高木さんに、こう説明した――と、その前に、ここで、柴田が自治会長を務めている団地について、ちょっと触れておかねばならない。
 この団地は、ワンフロアが20戸の14階建てで、計280戸が一つの自治体を形成している。しかもそれが、敷地内に3棟ある。
 柴田が会長を務めているのは、ちょうど高級マンションと対峙するようにして建つ、その対面の棟だ。
 また、ワンフロアの内訳は、独身用の1DKが2戸で、残りは家族用の2LDK。家賃は、独身用が6万円で、家族用が10万円。
 ただ、近年、高齢化の余波がこの団地にも押し寄せてきた。とりわけ、それを契機として、空き家が増えた。それとともに、建物自体も、老朽化してきた。
 そこで、再開発という話が持ち上がったのだけれど、いかんせん、それは頓挫してしまう。
 それが、当面、棚上げになったことで今回、苦肉の策として、家賃を下げて、新たな入居者を募ろうという運びとなった。
 その家賃はしかも、なんと、いまの半額という。が、それでは、すでに入居している者から、不平不満が出るのは言うまでもない。
 そこで、団地再開発の実行委員長を務めている市会議員の荒木は、柴田会長に、こういう見返り案を提示し、住民に納得してもらうように(はか)ったのだった。
「団地の再開発は必ず、5年以内に行うこととします。もちろん、再開発が成された暁には、いま住居している人たちを優先的に入居させます。しかも、家賃は据え置きということで。それからまた、今回、新たに入居した人たちも、当然、入居する権利があります。ありますが、家賃は、いままで安かったぶん、次回からは定価にさせてもらいます。ちなみに、その価格は、2LDKで12万円です」
 荒木は、このような案を、柴田会長に提示して、住民の説得を求めた。
 ただし、田代たち市民団体は、この見返り案を荒木の口から、直接聞いたわけではなかった。
 これについては、荒木が、このように言い張ったからだ。
「この見返り案には、センシティブな内容が含まれています。なので、第三者には公表をひかえさせていただきたいと思います」
 にもかかわらず、田代は事のあらましを知っている。では、田代は、どうやって、それを知り得たのであろう――。

 この荒木という市会議員は、あまり評判のいい男ではなかった。
 為政者は、庶民の暮らしがよりよくなるように、ひたすら額に汗して職務に勤む使命を帯びているものだ。
 だが、この荒木という為政者は、いわゆる「今だけ、金だけ、自分だけ」を地で行くような、とても残念な男だった。
 彼が今回、この役職を勤めていたのも、要は「金」が目当だったというわけだ。
 そういう噂のある男が、見返り案とやらを提示して、すんなり住民を納得させた――それを耳にした田代は、たぶんこれには、何か裏があるのにちがいない、というふうに、疑念を抱いた。
 是非とも、それがどういうものか知りたい、と田代は強く思った。
 そこで田代は、よし、こうなったら、ここは市民団体のコネクションをフル活用して、独自に調査してやろう、と思い立った。
 独自に調査した結果として、田代はなんとか、今回の真相を掴むことが出来たのだった。
 そのあらましは、以下の通り。

 ディベロッパーについて、荒木はもとより、日頃から、政治献金をしてくれる「某賃貸住宅会社」にきめていたという。
 そのくせ、荒木はおいそれと首を縦に振ろうとはしなかった。それでは、せっかく、この役職についた役得がない、と彼は思ったからだ。
 そこで荒木は「なるべく、オタクにしようと思って、頑張ってはいるんだがね」などと言って、相手の心の機微を微妙にくすぐっていた。
 不逞の輩は悪巧みに於いて、阿吽の呼吸である。
「荒木さん、どうぞ、これをお納めください」
「ふっふっふっ、住宅屋、おぬしも悪よのう」
 そんなふうに、まるで時代劇の悪代官と悪徳商人のような裏取引きが、こっそり執り行われる。
 ただ、この荒木という男、異常なくらい、「金」に目がなかった。
「なかなか、選考が手間取っていてね。決定は、もうしばらく待ってほしい」
 よりによって、ディベロッパーを焦らし、さらにリベートを要求しようとしたのだ。 
 また、一方で、柴田会長には「なかなか、ディベロッパーが見つかりませんでね」と、狡知に、二枚舌を使うのだった。
 だがだからといって、いつまでも、再開発を棚上げにするわけにもいかない。それでは、街の治安の悪化を懸念する市民団体――つまり、田代たちが黙っていないからだ。
 荒木はそこで、考えたらしい。
 ここは、いったん、空き家を埋めるという案を提示して、その場をなんとか糊塗しようと。
「柴田さん、問題は空き家なんですよ。そこは安い家賃で入居者を募るよう、わたしが管理会社と交渉します。そうすれば、また団地に活気が取り戻せます。でもそれでは、風紀が乱れやしないか――そう懸念する声が、なかにはあります。たぶんどうせ、それは杞憂に終わるでしょう。そこまで道理にもとる者が、入居するとは到底思いませんからね。ま、よしんば、入居したとしても、五年の我慢です。再開発が成された暁には、彼らは入居できないんです。なんといっても、肝心の家賃が払えませんからな、ふっふっふっ。ただし、これは、あくまでも内密にお願いしますよ。わたしと柴田さんとディベロッパーだけの秘密ということで。なあに、柴田さん、ただとは言いませんよ。あえて、こんなお願いをしてるのですからな。ま、ここはひとつ、これでよろしくお願いしますよ、ね、柴田さん」
 こうして、荒木は、柴田にまで、悪事の片棒を担がせた――と、まあ、だいたい、このようなことを、田代は調べあげたのだった。


つづく
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