第38話 カタストロフィ 第一話

文字数 1,757文字




 深夜未明――。
 ここは、都会の山の手の住宅街の一角。そこに、一軒の瀟洒な高級マンションがある。
 火事でも起きて、けたたましい消防車のサイレンが鳴り響き、それを耳にした周辺の住民が、さながら昆虫が蛍光灯の灯りに吸い寄せられたように、現場にたむろして、いたずらに喧しく騒がないかぎり、この界隈はふだん、夜のしじまの中にひっそりと沈んでいる。
 まして、高級マンションである。それだけに、いたって気密性は高い。それもあって、住民は静謐な闇の中、枕を高くして安らかな眠りについているさなかでもあった。
 そんななか――。
 だしぬけに、ピュー!! ピュー!! という不穏な音が、漆黒の闇を切り裂いて辺りに轟いた。
 すわっ、ミサイルか!!!
 ベッドから飛び起きた住民こぞって、パニックに陥った。
 ある老婆なぞは「わしゃ、まだ死にとうない。ナンマイダ、ナンマイダ」と鰯の頭を拝むほどの慌てぶり――。
 もっとも、これは無理もなかった。いくらなんでも、タイミングが悪すぎたのだ。
 というのも、今朝方、Jアラートが発せられ、「ミサイルより、こっちの音の方が不穏じゃないか」と、国民が口々にいって眉を曇らせるようなサイレンが、列島中に響き渡ったばかりだったからだ。
 
 それでも、しばらすると、不穏な音も、いちおう、収まった。
 漆黒の闇に、一瞬の沈黙。
 やれやれ――住民総じてホッと胸をなでおろした。が、それも束の間、今度は辺りに、パンパンパン! という破裂音のような響きが鳴り渡ったではないか!!
 ヒエッッッ!!! 
 キャッァァァ!!!
 あちらこちらで、絶望的な悲鳴があがる。
 いったい、なんなんだ!
 きょうは、いったい、どういう日なんだ!!
 とにかく、逃げろ! 逃げるんだ!!!
 そんなふうに、高級マンション内はてんやわんやの大騒ぎ……。
 
  だからといって、こんなとき、「オオカミがでたぞ!!!」とむやみやたら騒ぎ立てて、辺りを混沌の渦に巻き込んではいけないのである。
 それより、こういうときこそ、状況に距離を置いて、沈着冷静に行動をとるのが、成熟した大人の態度というものだ。
 そもそも、ほんとうにミサイルが飛来してきたなら、核シェルターにでも逃げないかぎり命の保証は、ない。
 国は、その辺の穴ぼことか岩陰とかに隠れるという、噴飯ものの避難訓練を行なっている。だが、そんなところに身を隠していては、むざむざ、ミサイルの餌食になって、冗談のように脆く遠い空の彼方に旅立ってしまうだけである。
 したがって、こういうときは理性をともなった沈着冷静な行動をとるのが肝要であろう。
「でもさ、ほんとうに飛んできたら、沈着冷静も何もあったもんじゃないだろうよ」
 という、それこそ身も蓋もないような意見があるやもしれぬ。
 たしかに、われわれ庶民は、あまりにも無力だ。まして、財力もない。どこぞのお金持ちのように、プライベートジェットで、お昼休みに「ちょっと香港に飲茶なんかを」などという、ふざけた贅沢はできやしない。
「だとしたら、座して死を待つのみってことか」
 もちろん、何も手を打たずに、ただ指をくわえて見ているだけでは、そうなってしまうだろう。
 けれど、心配するなかれ。こういうややこしい事態を未然に防ぐために、あの政治家の先生方が存在しているのだ。彼らには、そんな不測の事態が起こらないように、ふだんから、高い歳費を払っている。
 したがって、そうならないように、日々努力してくれていると思うよ。知らんけど、たぶん……。
 
 
 ともあれ、話を高級マンションに戻そう。
 どうやら、住民の中にも理性のある者がいたようだ。
 うん⁈   何か、おかしいぞ。ひょっとすると、これは、あれじゃないのか、と首をかしげた者がいたのである。
 その中のひとりである、学者然とした男性が、パジャマの上に何か一枚羽織って、破裂音がした方に、颯爽と歩み寄った。
 やっぱり――それを見た瞬間、彼は内心苦笑を洩らした。
 なんのことはない、そこには、ロケット花火の残骸が散らばっていたのだから。
 それにしても、いったい、だれが、何の目的で、こんなふざけた悪戯をするというのだ。さっぱり合点がいかない、というふうに、学者然は眉をひそめて、大いにフンガイするのだった。
 
 
つづく

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