第18話 情けは人の為ならずーーもうひとつの、アリとキリギリス

文字数 2,248文字


 ある村に、大層働き者のアリがおった。その名を、アリ太郎と言った。
 アリ太郎は、家族が冬にひもじい思いをしないようにと、雨の日も、風の日も、はたまた、酷暑の日も、なんらめげることなく、けなげに食料集めにいそしんだ。
 
 そうした人格者(⁇)だっただけに、アリ太郎には数多の知音がおった。その中のひとりに、彼とは真逆の性分――つまりは、度し難い怠け者のキリギリスがおった。彼は、その名をキリ五郎と言う。
 
 キリ五郎は、アリ太郎がひたむきに仕事にいそしんでいるのを(しり)目に、ひねもす、惰眠を貪るほどの、とんだ怠け者。
 
 それだけに、村の者から「アリ太郎の爪の垢でも煎じて飲ませたいもんじゃ、まったく」とあけすけに、そしられる始末。


 
 時は移り、天高く馬肥える秋が過ぎ、やがて、天低く虫たちが土にこもる冬枯れの季節が到来する。

「腹へったなあ……」
 
 刻苦を厭う怠惰で冬の備えを等閑に付していれば、口を糊してゆくのに困ってしまうのはむしろ自然の数。
 
 善には善果、悪には天罰という、いわゆる天の配剤により、キリ五郎もひもじい思いを余儀なくされる。

「しょうがない。背に腹はかえられん」
 
 臍を固めたキリ五郎は、やむなく、救いの手をアリ太郎に求めることにした。
 
 アリ太郎の家に着くと、さっそく、彼は「申し訳ないが、ほんの少しでいいんだ、食料を、食料を分けてもらえんか」と懇願した。もっとも、懇願している割には、それほど、キリ五郎は、悪びれた様子を見せてはいなかった。いや、むしろ、横着に、ふんぞり返っているようにさえ見えた。
 
 この態度を見て、フンガイしたのがアリ太郎の妻だった。
「これが人にものをたのむときの態度かねぇ」そう気色ばんだ彼女は「ふん、自己責任だよ。そういう者に分けてやる食料なんて、うちにはこれっぽちもありゃしないねぇ」と、ぴしゃっとした、にべもない言い方で断るのだった。
 
 これには、キリ五郎も二の句が継げない。人の善意にすがるには、すがるなりの態度というものが必要ということだ。
 
 哀れ、キリ五郎。いくら自業自得とはいえ、はたして、この厳しい冬をどうやって凌いでいくというのだろう……。

 
 

 やがて、酷薄な冬も終わり、冬ごもりをしていた虫たちが土から顔を出す春が訪れ、それからまた、新しい酷薄な冬がやって来た。
 
 働き者のアリ太郎のことである。当然、今年の冬も一家は安穏かと思いきや、存外、そうでもないらしかった――。
 
 もちろん、理由がある。
 というのも、大黒柱のアリ太郎が、はからずも夏に重篤な病に倒れ、それで、今年は食料集めにいそしむことが出来なかったからだ。
 
 そうした事情にお構いなしに、季節はどんどん進んでいき、やがて、冬も深まる。すると、アリ太郎のみならず、彼の両親に妻、それと三人の子どもらもさることながら、飼い犬のタロウまでもがなべて、「腹へったぁ」とひもじい思いに苛まれるようになった――。


 

 そんなある日のことである。

「やあ、アリ太郎、いるかぁ」
 
 今年もまた、性懲りも無く、あの怠け者のキリ五郎が、ひょっこり、顔を見せたのだ。
 
 また来たよ、こいつ。
 
 彼を見たアリ太郎の妻が、露骨に、嫌な顔をしながら、心の中でつぶやく。
 
 恵んでやる食糧なんて、今年はとくにないよ。むしろ、こっちが恵んでほしいぐらいなんだから――もっとも、そのような心の声はおうおうにして表白されてしまうものである。
 
 が、キリ五郎は、ちっとも意に介さない。それどころか、「まあ、心中は察しますが、そう邪険にしなさんな」と余裕綽々で、笑みさえ浮かべているではないか。
 
 な、なによ、気色悪いわね……アリ太郎の妻は腑に落ちないという表情で、キリ五郎をうろんげに眺める。
  けれどキリ五郎は、その視線を軽くいなして、あいかわらず笑みを絶やさず、存外なことを口にしたのだった。
「さあ、みなさんで、これを召し上がってくださいな」
 そう言うが早いか、キリ五郎は荷車に積んできたさも美味しげな食料を、アリ太郎一家の前に差し出すのだった。
 
 え⁈ いったい、どういうこと? 
 アリ太郎の妻は呆気に取られる。もっとも、それも無理はない。
 
 なにしろ、度し難い怠け者のキリ五郎が、あろうことか、他人にほどこしをしているのだから。

「わーい、やったぁ、やったぁ!!」
「ワ、オゥ〜オゥ~ン!」
 
 一方で、そんな妻をよそに、腹を空かしている子どもらとタロウは満面の笑み浮かべて、争うようにして食料をむさぼっている。
 よほど腹を空かしていたようだな……。
 
 その風景を、アリ太郎は複雑な笑みを浮かべて見守っていた。
 

 にしても、度し難い怠け者のキリ五郎に、いったい、なにがあったというのであろう――。
 
 というのも、それは昨年のことだった。
「おい、キリ五郎いるかぁ」
 キリ五郎のことを見かねたアリ太郎は、昨年のある晩、妻に隠れてこっそりキリ五郎の元を訪れていた。
「これを食べて、空腹を満たせ」
 そう言って、アリ太郎は、キリ五郎に食料を分けてやったのだ。
 これに、ことのほか心を打たれたキリ五郎は、アリ太郎のこの恩に報いようと、今年は一念発起して、脇目も振らず、一所懸命に仕事にいそしんだ。
 というわけで、今年はキリ五郎が、こうして、アリ太郎一家に救いの手を差し伸べていたのだった。
 
 情けは人の為ならずとは(けだ)しこの謂である。
 
 


〈了〉
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