第5話 斯界の権威

文字数 3,657文字



 ここは、某テレビ局の会議室。
「先生、この写真を見てください」
 あるバラエティー番組のプロデューサー(以下P)が、先生と呼んだ初老の男に、一枚の写真を差し出した。
 顎に蓄えた見事な髭を撫でながら、その写真を受け取った先生は、それに一瞥(いちべつ)をくれると、「ほお」とうめき声をあげて、細い眼をこれでもかというくらい、丸く見開いた。
「これはですね、心霊写真じゃないかということで、わたしどもの局に送られて来たものなんです。はたして、本当にそうなのか……先生の忌憚(きたん)のないご意見をお聞かせいただければと思うんですが」
「ふむ」
 先生は大きくうなずいて、それから、言った。
「まちがいない。こりゃ、まさしくあれじゃな」
「や、やっぱり、あれですか、先生!」
 Pは、にわかに色めき立つ。
「さよう、まさしく『やなぎ』の霊じゃ」
「はっ、や、やなぎ?」
 素っ頓狂な声を上げたPは、けげんそうな表情でつぶやいた。
「い、いや、先生、これはたしかに、そのう、柳の写真ですよ。で、ですが、ほら、ここに、ここにね、白い人の影のようなものが、ね、先生……」
「なに、白い人影のようなものじゃと?」
 そう言って、先生は、改めて、写真に目をやる。
「ほ、ほほう……」
 またひとつうめき声を重ねた先生は、呆気にとられたような口ぶりで言った。
「ふむ、これはすごいものを見せてもらったぞ」
 それを聞いたPが、ようやく、安堵の色を浮かべた。口元をゆるめて、Pは言う。
「そ、そうでしょう、びっくりしたなあ、もう。この白い影はまさしくあれですよねぇ、先生」
 念を押したPは、ほんとうに、慌てさせるんだから先生たらっ、もう、というふうに、おどけて言うと、改めて、先生の口元をじっと見守った。
 わずかな間のあとで、先生が、鷹揚に、口を開く。
「ふむ、これは、まごうことなく、宇宙人じゃ。にしても、こりゃ、すごいものを見せてもろうたわい。なにしろ、やなぎの霊の下に宇宙人じゃからなぁ……。いやはや、驚き桃の木山椒の木じゃ。いや、ちょっと待て。驚いてばかりもおれんぞ。なにやら不吉な予感すらしてきおったわい」
 そう言うと、先生は「おーこわ、くわばらじゃ、くわばらじゃ」と言って、Pなど一顧だにせず、逃げるようにして、スタジオを後にした……。
 
 
 
 取り残されたPは一方、しばらく口も利けずに呆然とその場にたたずんでいた。
 それでも、やがて、ハッとわれに返ったPは「な、なんなんだ、いったい、これは!」と台本を机の上に思いっきり叩きつけて、「お、おい、おまえ、ちょっとこっちにこい!」と、すごい剣幕でADを呼びつけた。
 呼ばれたADはバツが悪そうな顔で、「は、はい」と力なく返事をして、おずおずとPの元に歩み寄る。
 怒気交じりの顔と口調で、Pが、ADにわめくように訊く。
「おい、おまえ、なんなんだよ、あれは。心霊写真の世界じゃあ、斯界(しかい)の権威として、ちったぁ、名が通ってるってことで呼んだんじゃねぇのかよ、ええ。どうなんだよ、まったく!!」
 しゅんと肩をすぼめ、うつむき加減で、ADが応える。
「は、はあ……ぼ、ぼくも、そのように聞いたので、今日、こうしてここに、お越しいただいたのですが……」
 それなのにねぇ、とADは上目づかいで、Pの顔色を窺う。
 バカヤロウ、とPは露骨に舌を打って、半ば捨て鉢気味に言った。
「思わずオレは、のけぞりそうになっちまったよ。いかにも権威ありそうな顎髭生やしちゃって、さよう、まさしく『やなぎの霊』じゃ――だってさ。やなぎの霊って、なんなんだよ、え。それは、それで、大騒ぎじゃねえか、冗談じゃねぇよ、まったく。とてもじゃねぇが、あれのどこが権威ってんだよ、このやろう。呆れかえってものがいえねぇよ」
 そう言っている割には、けっこう饒舌にADを(とが)める、そんなP。
「ぼ、ぼくに、そう言われましても……」
 頭ごなしに咎められたADは、涙声で、そう切り返す。
「はあ、なんだとぉ!」
 もはや堪忍袋の緒が切れたといわんばかりに、Pは、目くじらを立ててまくしたてる。
「言うに事欠いて、ぼくにそう言われましてもって、なんだよ、それ。そもそも、おまえが連れて来たんだろうが、こんちくしょうめが。それを、なんだよ……ふざけたこと言ってんじゃねぇよ、このおたんこなすが!!」
 その剣幕に、すっかり気圧(けお)されたADは、肩をぴくんと跳ね上げ、いまにも泣き出しそうな顔をしてうなだれた。それと同時に、周りもこぞって頬をこわばせ、しゅんと肩をすぼめて、うつむいた。
 
 
 ほどなく、沈黙の居心地の悪さから身をかわすようにADは「こ、これは、し、しかしですねぇ……」としどろもどろに口を開くと、「プ、プロデュサーにも……」となにやら仔細ありげなことを口走った。
 それを聞いたPは「おれが、いったい、なんだってんだよ」と唇をとがらせて、ADをねめつける。
「プ、プロデューサーが、そのう、権威あるヤツ、権威あるヤツって、あまりにもしつこく言うもんですから……それで、つい」
「……つい、なんだってんだよ」
「つ、つい戒めを失念してしまって、そ、それで不覚を取ってしまったんです」
 い、戒めだと――ますます剣吞な顔をして、Pは、ADに問いただす。
「どんな戒めだっていうんだよ?」
「そ、それは、つまり、け、権威という言葉に惑わされてはならないっていう……そ、そんな戒めです」
「いつ、どこで、どのような状況のときに、お前はその戒めってえのをしたっていうんだ、え、おい」
「そ、それは、入社式のときだったんですけどね――」
 そう言って、ADは、そのときのあらましを、こんなふうに説明するのだった。
 
 
 実をいうと、この局にも斯界の権威と呼ばれる、そんな御仁がいらっしゃる。
 その御仁が、入社式でスピーチをするらしい――そういう噂を耳にしたADは「これは、楽しみだぞ」と胸を躍らせ、入社式を今か今かと待ちわびていたのだと。だが――。
 入社式で、権威がしたスピーチが、あまりにもお粗末な内容だったという。これには、ADも、大いに落胆させられたらしい。
 まだ権威という言葉に惑わされることなく、純情だったころの彼。その彼の落胆ぶりは、いかがなものであったろう……。
 まさにそのときだったという。ADが自分を戒めるとともに、強く、こう決意したのは――。
 これから先、たとえどんな誘惑があったとしても、絶対に、『権威』という言葉にだけは惑わされないでおこう、というふうに。
 それ以来、彼は『権威』ということばを聞くと、眉に、思いっきりツバをつけて、ことに臨んできたそうな。
 だいたい、そんな感じでADは説明を終えた。
 終えた瞬間、ここに居合わせた人のことごとくが、今度は違う意味で頬をこわばらせ、言葉をなくしていた。
 それもそのはず。
 なにを隠そう、その「権威」というのは、この局の会長、その人だったのだから……。
 
 
 まるで無視でも決め込むように、Pは冷然と嘲笑して、ADの話に耳を傾けていた。
 聞き終えるやいなや、やれやれ、と深いため息をついて力なく首を振ると、彼は声にならないつぶやきを、縷々(るる)、こう洩らすのだった。
 こともあろうに、会長のスピーチがお粗末だったなんて、よくもそんな大それたことが平然と言えるもんだね、キミ。身の毛がよだって、思わずこの場から逃げ出したくなったよ。
 だいたい、なんだよ。おれが権威、権威って、あんまりしつこく言うもんだから、つい戒めを失念して、今日のこの過ちに至ったって、冗談じゃないぜ、まったく。
 よくも、まあ、そうやって上司のせいにできるよね。ま、百歩譲って、オレが悪かったとしよう。でもな、この業界で生き残っていこうと思ったら、上司の悪口は腹の中に収めておくもんだよ、わかる、キミ。
 なんたって、業界には業界の、不文律ってもんがあるんだ。それを、ちゃんとわきまえてきたからこそ、おれは、こうして今、プロデューサーにまで昇りつめたんだ。まあ、実力はともかくとしてだ。わかる? キミ。とにかく、そういうことだよ。
 
 
 するとそのとき、さきほどの先生の声が、突然、どこかから聞こえて来た。
「いやぁ、にしても、柳の霊に宇宙人とはのう。こりゃ、大変な時代になっちまったもんじゃ。ちょいと長生きし過ぎたかのう……若い奴らが自分らの世界観を、どんどん、わしらに押しつけてきよる。こまったもんじゃのう、まったく」
 それを聞いたPは、浮かない眉をひそめながら、心の中で毒づいた。
 あのねぇ、あんたみたいに斯界の権威って呼ばれる人たちが、ちゃんと威厳を示してくんないから、こうして、世界はカオスになるんだ。
 そもそも、大変な時代を作ったのはほかでもない、あんたらなんだ。
 それにもかかわらず、自分たちの責任は棚に上げて時代や若者のせいにして、開き直ってる。
 そんなことだから、こういう時代になっちまったんだよ、まったく。
 あ、でもこれ、面と向かっては、口が裂けても言えないんだけどね……。
 
 
おしまい
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