第22話 化粧 前編

文字数 1,165文字


   まりこはもそもそと、枕元のデジタル時計に手をのばした。
 表示されている無機質な数字。寝ぼけまなこをこすりながら、まりこは、それをぼんやりと眺めた。
 うん⁈ 
 目を、せわしなく、瞬く。改めて、数字を、ジッと見つめた。
 や、やばいわ!
 泡を食って、思わずまりこはベッドから跳ね起きた。
 あちゃぁ……また、やっちゃったみたい。
 無意識のうちに、まりこは目覚ましのスイッチをオフにしていたのだ。
 やれやれ、何度やっても懲りないんだから、まったく、とため息をついてうなずいたところで、こうしてる場合じゃないわ、とまりこはハッとわれに返った。
 これから、まりこはバイトに行く。
 早くしないと遅刻よ。えーと、まずは――まりこは突然、考える。
 とにかく、朝食は抜きね、あとは顔を洗って、それから、お化粧をして……あれこれ思考を巡らせながら、ふたたび、まりこは目の端で時計を覗いた。
 内心苦笑が洩れてくる。  
どう考えたって、そんな時間はないのだ。
 こうなったら、お化粧は電車の中でするしかないかも。
 まりこはこめかみをかきながら、自問する。
 そうするしかないようね。
 あくまでも自分に都合よく、まりこは自答した。
 そう自答するが早いか、さっさと、まりこは着替えを済ませ、手早く化粧道具をバッグに詰め込むともう、駅まで一目散に駆けていた――。
 
 
 息も切れ切れに、ホームにたどり着く。そこにちょうど、電車が滑り込んで来た。
 ラッキー!!!
 おどけた表情と口調でつぶやいて、まりこは、電車に乗り込んだ。
 ふう、と肩でひとつ息をつく。それから、改めて、車内を見渡した。
 わりと混んでるわね。でもなんとか空席を見つけて、さっそくお化粧よ。
 そう自分に言い聞かせて、まりこは、あたりをキョロキョロ窺った。
 あ! あそこに――空席を見つけた。
 が、まりこは一瞬、躊躇する。
 それもそのはず。なにしろそこは、優先席だったからだ。
 ほかは?
 まりこは、ふたたび、キョロキョロ見回す。
 しかしながら、あいてる席はない。
 こまったわね。
 こめかみをかきながら、まりこは内心つぶやいた。   
 どうも、これが、まりこの困ったときの癖らしい。
 ふだんのまりこはけっして優先席には座らない。
 でも、時の用には鼻……あれ⁈ なんだっけ? 
 ま、とにかく、背に腹は代えられないの、きょうはね。
 そうやって、道徳心をあっけなくねじ伏せたまりこは、足早に、そこに歩み寄る。
 カミサマ、きょうばかりはお許しを――胸の前で十字を切ったつもりで、まりこはそこに腰を下ろした。いささかうしろめたさを覚えながら。
 まりこはふだん、♫化粧なんてどうでもいい――そんなフレーズを口ずさむほど、化粧っ気がない女性だった。
 なのになぜか、きょうのまりこは「化粧」に拘泥しているのだった。

つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み