第23話 化粧 後編
文字数 1,352文字
「化粧」に、まりこが拘泥していたのには、もちろん、理由がある。
まりこがきのう、バイト先のコンビニで、けなげに品出しをしているときだった。
来客の合図を告げるメロディーが鳴ったので、入り口に向かって、まりこは「いらっしゃいませ」と笑顔で挨拶をした。
見ると、客は二人連れの男子。それも、ひとりは超イケメン。
ひゃっ! ド、ドストライク!!!
思わず胸キュン!!
まりこの胸は大いにときめいた。それも、ほんとうに、キュンと音が鳴ったんじゃない――そう思ってしまうほど、まりこの胸は、ことのほか、ドッキと、高鳴っていた。
「よかったじゃない、アキラ。引っ越した先のアパートの近くに、こうしてコンビニがあってさ」
聞くともなく、二人の会話が、まりこの耳にふれる。
「うん、助かったよ。毎日のように利用するところだからね」
アキラと呼ばれたイケメンくんが、嬉しそうに言う。
毎日のように利用するところ――ああ、なんて刺激的なことばなの。そっか、名前は、アキラくんて言うんだ。これも、ドストライクだわ、うふふ。
すんでのところでまりこは、口笛を吹いてしまうところだった。それほど、まりこは、ことさら身を躍らせていたのだった。
たぶんアキラくんは、きょうも来店するのだろう。
そうまりこは思うと、ふだん口ずさんでいる「化粧なんてどうでもいい」というフレーズが、きょうは「……と思ってきたけれど」に変わっていた。
素敵な男性の前では、少しでも綺麗でありたい――そう願うのが、女心というもの。
その愚を嗤う者は、畢竟、人生に対する路傍の人に過ぎない。
by 芥川龍之介
そのようなわけで、罪悪感をねじ伏せて優先席に腰を据えたまりこは、化粧道具をバックから取り出すと、さっそく、お化粧に取りかかるのだった。
もちろん、いつもより、とりわけ、入念に、鏡に向かって……。
◇◇◇
若者が腕を組みながら、電車のドアによりかかっている。
そうしながら、ひとりの女性が一心不乱に化粧している姿をぼんやりと眺めている。
ほどなく、お化粧は見事に仕上がった。
ふーん、よくもまあ、こんなに見事に化けるもんだなぁ。
感心しているというより、彼の、この心の中のつぶやきは、どこか皮肉めいていた。
素顔と見比べると、それこそ「別人」と言えるほど、女性は見事に変身した。
にしてもさぁ――そんな彼女を見ながら、若者はふと、思う。
お化粧するのって、好きな人に少しでも綺麗に見られたい、っていう女心の表れでしょ。だったら、そういう人にはなるべく素顔を見られたくない、っていう裏返しでもあるよね。
だというのにさ――やや憮然とした表情をして、若者は心の中でのつぶやきを重ねる。
車内にはこんだけ人がいるんだ。知り合いのひとりやふたりいてもおかしくないよね。いや、それどころか、もしかしたら、その中には偶然好きな人が混ざってる、っていう可能性だってあるかもしれない。それを考えたら、人前では絶対にお化粧なんてできないと、俺は思うんだけどねぇ……。
見事に変身した女性を、改めて、若者は見つめ直す。
そして、小さな声で、そっとつぶやいた。
「ようやく気がついたんですよ、お化粧がしあがって……昨日のコンビニの店員さんだってことがね……」
〈了〉