第30話 もうひとりのわたし
文字数 1,717文字
「にしても、おまえは愛想もこそもない女だなあ」
そう言って、周りの人は、わたしをそしる。
そのたびに、わたしは内心、そんなこと言われたって、と反発のつぶやきを洩らしている。
だって、そうじゃない。こればっかりは、いわば親ガチャで、持って生まれた性分なんだもん。なので、わたしにどうのこうの言ったって、どうにもならない問題だわ……。
ただ、やっぱり、こういう性分をしていると、損をしがちよね。
第一、友だちができない。となれば、孤独の地獄。すると、救いようのない孤独の淋しさから、ますます、心が荒む。そうなると、いっそう愛想もこそもない女になってしまうという、負の連鎖。
挙げ句の果てに、ふと気づいたら、波打ち際から潮がサッと引いていくように、わたしの周辺からも人の影がスッと消え去っていたのだった……。
周りにだれもいなくなると、もちろん、彼氏なんてもってのほか。
近ごろじゃ、それを見かねた両親が「適齢期なんだから、とっとと嫁に行っておくれよ」と口酸っぱく言う始末――。
耳に大ダコができるほど言うので、思わずわたしはムッとして「結婚したときが適齢期なのよ」と、つい口走ってしまう。
でも口走ったその次の瞬間、いつも、いいようのない虚しさに襲われる。
たぶんそれは、あれじゃない。もしかしたら、彼氏なんて一生できないかも、という確信めいた予感が心のどこかにあるからじゃない。
なにしろ、わたしはもとより、悪い予感ほど、よく当たるのだから……。
ところで、わたしには二卵性双生児の姉がいる。
この界隈で、わたしたち二人は「あら、まあ、なんて見目麗しい姉妹だこと」ともっぱら評判。
わたしはけれど、性来こういう性分。だから、ついぞモテたためしがない。それよりむしろ、同情をかうばかり。ため息交じりに、もうちょっと愛想がよけりゃねえ、といかにも残念そうにつぶやかれて……。
姉は一方で、わたしとは真逆の性分をしている。つまり、愛想がいい。それも、すこぶる。
容姿端麗ですこぶる愛想のいい女と、そうじゃない女――。
どちらがチヤホヤされるのかは、それこそ火を見るよりも明らか。
男どもが、姉をチヤホヤしている様子を見ても、わたしは全然、羨ましいとは思わない――といえば、やっぱり、嘘になる。
だからといって、わたしには姉に対する妬み嫉みは、ほとんどと言っていいほど、ない。
代わりに、別の存在に対して、文句が言いたい。
だれあろう、それはカミサマ。
ほら、だって、わたしたちって二卵性双生児じゃない。だから、時に、こう思う夜があるの
ある晩、パパとママが子作りに励んでいた。やがて、パパから放たれたタネが、ママの中の二つのタマゴに「こんにちは」した。
DNAは同じなんだけれど、たまたま、姉は姉でわたしはわたし、という二つのちがう形として、この世に生を受けた。
もし、そのとき、姉のタマゴに「こんにちは」したタネが、ひょんなことから、わたしのタマゴに「こんにちは」していたら、どう?
そうすれば、わたしが姉で、姉がわたしだったーーなんてことが、あったやもしれぬ……。
そりゃね、アインシュタインは「神はサイコロを振らない」って言ってるわよ。要するに、結果には必ず、それ相応の原因があるってね。
でもさ、この世界には「絶対」はないんでしょ。皮肉なことに、サイコロを振る『神』自体が死んじゃったんだから。だとしたら、アインシュタインが信奉する科学だって、絶対じゃないってことになるわ。
だとすれば、今ごろ、男どもにチヤホヤされているのは姉じゃなくて、この「わたし」だった、って因果があってもいいと思うんだよね。
なんといっても、二人の形は、紙一重だったんだもの。
でもね、その紙一重の差が、それこそ提灯と釣鐘ほどの差になっちゃうのよねえ、現実ってヤツは……。
それを思えば、こうも疑いたくもなるよね。
この世界は、やっぱり、カミサマがサイコロ振ってんじゃないの、って。
そしてそれより何より、カミサマはそうやって人の運命を弄んでんじゃないのかしら、ともね。
わたしには、だからこうして、死んじゃったカミサマを怨む、そんな夜がある。
おしまい