第11話 ひこうき雲

文字数 1,058文字

 休日の昼下がり――奥さんと小学五年生の息子と三人で、近所の公園を散歩していた。
 すると、奥さんが突然「あ」と声を上げた。
 え! なに⁈
 びっくとして、奥さんに、一瞥をくれる。
 見ると、奥さんは立ち止まって、頭上を見上げていた。ぼくも、彼女の視線の行方を眼で追った。
 頭上には抜けるような空の青さ。そこに、白いチョークで一筋の線を描いたような雲。
「あれ、何?」
 息子が、奥さんに訊く。
「あれはねぇ……」
 奥さんは一瞬、言い淀む。
 わずかな間のあとで、奥さんが口を開く。
「ご褒美、そう、ご褒美よ、うん」
 奥さんは自分で言って、自分でうなずいている。
「え、ごほうび?」
 息子が、けげんそうな顔で奥さんに訊く。
「そうだよ。空を見上げてくれた人へのご褒美。だって、下を向いてたら、気づかないでしょ」
「え、あ、そうだね……」
「ほら、澄み渡った青い空に、一筋の白い雲が真っ直ぐにのびてるでしょ」
「うん……そうだね」
「これにはねぇ、意味があるのよ」
「意味⁈ ど、どんな?」
「くよくよしてないで、上を向いてまっすぐに歩こうって、意味がね。そしたら、いい事があるぞ、って。そういうメッセージ。これは、それを教えてくれる素敵なご褒美なの」
「ふーん、そうなんだ」
 上を向いている息子の頬が、ちょっぴりゆるんだ、ような気がした。そのままの表情で、息子は白いひこうきぐもをジッと見つめている。
 そんな中、奥さんが、息子に気づかれないように、ふと、ぼくを見た。
 ぼくは、やや首をかしげる。なに? って感じで。
 すると奥さんが、唇だけを、ゆっくり動かした。
 う、そ、も、ほ、う、べ、ん。
 頭の中で、ぼくは反芻する。嘘も方便――あ、なるほどね。
 奥さんが、片目をつぶって見せる。笑顔で、ぼくもうなづく。
 息子は最近、友達と喧嘩をしたとかで、かなり落ち込んでいた。
 だからこうして、奥さんは、嘘も方便を口の端にのぼらすことで、息子を励まそうとしたらしい。
 

 それにしても、うちの奥さんは、ぼくと違って何をやらしても如才なく振る舞える素敵な女性(ひと)だ。
 頬をほころばせながら、ぼんやりとぼくもひこうき雲をながめる。
 ふと、いまだ空を見上げている息子の横顔に視線を転じた。
 青春時代の真ん中にいる息子の面影には、まだまだ、幼さが残っている。それでも、いずれ、彼も大人になる。そして、家庭を持つことになるだろう。
 そのとき、家族で、こうして空を見上げられる、そんな家庭を作ってくれたら素敵だな――心の中で、ぼくは、彼の横顔に向かって、そっとつぶやいた。


おしまい
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