第32話 天使がくれた魔法のことば 前編
文字数 1,432文字
最近、自宅のマンションのすぐ隣にコンビニエンスストアができた。文字通り『便利』で、非常に重宝している。
もっとも、これまでにも、歩いて十分もかからないところに二軒のコンビニがあることはあった。これで、この町内には三軒ものコンビニが出店するという乱立ぶりだ。
同じ町内に、同業他社のコンビニが二店舗あるのさえどうかと思う。それもさることながら、同社のコンビニが二店舗も出店している……。
これで、商売成立するの⁈ 自分で選択した道とはいえ、オーナーさんも大変だ。
他人事ながら、同情を禁じ得ない――。
それはさておき、このコンビニがオープンして、しばらくたったときのことだ。
その日は朝から、気温がいやおうなに上昇して、うだるような暑さの一日となった。
――缶ビールが飲みたい。
仕事が終わり、帰途についた道すがら、そのコンビの前を通りかったとき、このぼくじゃなく、喉の渇きが、そう訴えていた。
仕方ない――やっぱり、ウソになる。むしろ、ぼくは心躍らせながら、入り口の自動ドアの前に立った。と、その次の瞬間――。
「ご、ごめんなさい……」
そんな、どこかきまりの悪い蚊の鳴くような声が、ぼくの斜め後ろから聞こえてきた。
ど、どうした?
けげんそうに首をひねりながら、ぼくは、声がする方に眼差しを投げた。
見ると、コンビの駐輪場に、二つの影があるのが目に入った。
一人は中年の男性。それから、もう一人は、中学生と思しき少年。彼らが、対峙するような格好で立っている。
駐輪場からはみ出して、ぽつん、とほったらかしにされた自転車。
あ、もしかしたら、あれか⁈ ――ふと、頭をよぎった。かつてぼくにも、同じような経験があったからだ。
それは、今夜と同じように帰宅する道すがら、このコンビニに立ち寄ろうとして、ちょうど、その駐車場にさしかかったときのこと。
自転車を出そうとした人が、これっぽちも後方に注意を払わずにそれを出そうとするものだから、あやうく、それに、ぼくはぶつけられそうになったのだ……。
たぶんこれも、そのときと同じ、いや、それより、今回はほんとうにぶつけられてしまったのではなかろうか、とぼくは推察したのだった。
少年は、だから、その非礼を男性に謝っているのだろう、とも。
もっとも、謝っている割には、少年の頭の下げ方が、いささかぎこちない。たぶん少年は、これまで人に頭を下げたことがほとんどないのだろう。
一方で、自転車をぶつけられたとおぼしき男性は、すごい形相で少年をねめつけている。
この事態を眺めているぼくは、心の中で男性に訴える。
謝った経験がないながらも、たとえぎこちないながらも、殊勝に、声に出して「ごめんなさい」と謝っている。いまどきの少年としては、上出来。だから、ここは穏便にいこうね、というふうに。
だが、現実は剣吞の沈黙が、重く、不気味に降りている。
どうした、ケンカか――ここを通りがかった人たちが口々にそう言って、好奇の眼差しで、この場にたむろし出した。
最初はぼくも、そんな目をしていたのは否めない。でもいまは、ちがう。どうか、ひと悶着ないように、と衷心より祈りながら、この事態を見守っている。
するとそのとき、沈黙を破るように、男性が咳払いを、ひとつした。
少年の肩が、ピンクんと跳ねあげる。見守っているぼくの肩も、同時に、ピクン、と。
さながら、それが合図だったかのように、男性が、おもむろに口を開いた……。
つづく
もっとも、これまでにも、歩いて十分もかからないところに二軒のコンビニがあることはあった。これで、この町内には三軒ものコンビニが出店するという乱立ぶりだ。
同じ町内に、同業他社のコンビニが二店舗あるのさえどうかと思う。それもさることながら、同社のコンビニが二店舗も出店している……。
これで、商売成立するの⁈ 自分で選択した道とはいえ、オーナーさんも大変だ。
他人事ながら、同情を禁じ得ない――。
それはさておき、このコンビニがオープンして、しばらくたったときのことだ。
その日は朝から、気温がいやおうなに上昇して、うだるような暑さの一日となった。
――缶ビールが飲みたい。
仕事が終わり、帰途についた道すがら、そのコンビの前を通りかったとき、このぼくじゃなく、喉の渇きが、そう訴えていた。
仕方ない――やっぱり、ウソになる。むしろ、ぼくは心躍らせながら、入り口の自動ドアの前に立った。と、その次の瞬間――。
「ご、ごめんなさい……」
そんな、どこかきまりの悪い蚊の鳴くような声が、ぼくの斜め後ろから聞こえてきた。
ど、どうした?
けげんそうに首をひねりながら、ぼくは、声がする方に眼差しを投げた。
見ると、コンビの駐輪場に、二つの影があるのが目に入った。
一人は中年の男性。それから、もう一人は、中学生と思しき少年。彼らが、対峙するような格好で立っている。
駐輪場からはみ出して、ぽつん、とほったらかしにされた自転車。
あ、もしかしたら、あれか⁈ ――ふと、頭をよぎった。かつてぼくにも、同じような経験があったからだ。
それは、今夜と同じように帰宅する道すがら、このコンビニに立ち寄ろうとして、ちょうど、その駐車場にさしかかったときのこと。
自転車を出そうとした人が、これっぽちも後方に注意を払わずにそれを出そうとするものだから、あやうく、それに、ぼくはぶつけられそうになったのだ……。
たぶんこれも、そのときと同じ、いや、それより、今回はほんとうにぶつけられてしまったのではなかろうか、とぼくは推察したのだった。
少年は、だから、その非礼を男性に謝っているのだろう、とも。
もっとも、謝っている割には、少年の頭の下げ方が、いささかぎこちない。たぶん少年は、これまで人に頭を下げたことがほとんどないのだろう。
一方で、自転車をぶつけられたとおぼしき男性は、すごい形相で少年をねめつけている。
この事態を眺めているぼくは、心の中で男性に訴える。
謝った経験がないながらも、たとえぎこちないながらも、殊勝に、声に出して「ごめんなさい」と謝っている。いまどきの少年としては、上出来。だから、ここは穏便にいこうね、というふうに。
だが、現実は剣吞の沈黙が、重く、不気味に降りている。
どうした、ケンカか――ここを通りがかった人たちが口々にそう言って、好奇の眼差しで、この場にたむろし出した。
最初はぼくも、そんな目をしていたのは否めない。でもいまは、ちがう。どうか、ひと悶着ないように、と衷心より祈りながら、この事態を見守っている。
するとそのとき、沈黙を破るように、男性が咳払いを、ひとつした。
少年の肩が、ピンクんと跳ねあげる。見守っているぼくの肩も、同時に、ピクン、と。
さながら、それが合図だったかのように、男性が、おもむろに口を開いた……。
つづく