3-6

文字数 2,699文字

 小岩井優貴のケータイに連絡するとすんなり会えることになり、江戸川橋にある喫茶店で待ち合わせることになった。
 一足早くついた朝香たちが待っていると、しばらくしてスーツ姿に銀縁フレームの眼鏡をかけた爽やかな男性が姿を見せる。
「小岩井さんですか」
 朝香が聞くと、男性は頷く。
「小岩井優貴です。淳の話だと窺ったんですが」
「わざわざお時間を割いて頂いてありがとうございます」
「いえ。でもあいつは自殺じゃ……」
 徹が言う。
「他殺の可能性が出て来たんです」
 優貴は、前のめりになる。
「一体誰にですかっ」
「それを調べているところでして」
「ああ……。そうですよね。私に協力出来ることがあれば、何でも……」
 朝香は切り出す。
「小岩井さんは淳さんとは親友だと窺ったのですが」
 優貴は微笑する。
「親友というより同志ですね」
「同志?」
 その耳慣れない言葉の響きに、朝香は聞き返してしまう。
「そう、同志です。あいつが家じゃ音楽の練習が出来ないって言うから、公園でする練習に付き合ったりね」
 優貴はにこりと微笑んだ。
 刹那、優貴の笑顔と同志、という言葉が頭の中で結びつく。
 眩映の予兆、そして光の粒子が朝香の脳内を駆け巡る――。

 淳の視点。そこは教室。放課後なのか、西日が差し込ん室内には二人きり。
 ――同志だよ。僕たちは。
 椅子の背もたれに腕を置き、淳の方を向いている優貴がまるで秘密をこっそり打ち明けるように言った。
 淳は戸惑う。
 ――友達、じゃなくって……?
 ――友達なんていらない。僕らに必要なのは同志だ。同志の絆が大事なんだ。前の学校でいじめられた時、普段一緒に笑って話して遊んでた友達は、誰一人助けてくれなかった。先生は見て見ぬフリ……。だから友達なんてクソみたいなもんは要らない。背中を預けられる同志だけが必要なんだ。
 その言葉に、淳は揺り動かされる。とても良い考えだと同調しているのだ。
 淳は、前のめりになる。
 ――良いね、同志。
 ――だろ? そして僕らは互いに協力して、僕らをいじめた奴らを見返してやるんだ。復讐だよ。
 ――復讐……?
 ――そう、いつか絶対に復讐する。
 復讐という不穏な言葉。しかし淳は、優貴は真っ白なノートを覗き込んだ。
 優貴は、自慢げに言う。
 ――これは復讐ノート。自分の敵を忘れない為に。ホラ。僕も同じものを持ってる。
 優貴は別のノートを開く。そこにはびっしりと人の名前と、何をされたかが記載されている。
 ――ノートに書いて、忘れないようにするんだ。僕らを苦しめた奴らのことを。そうしたら勉強だって運動だって、どんな辛い事だってがんばれる。いつかこいつらに復讐するんだって。だろ?
 ――うん!
 ――書いてみて。
 優貴に促されるままに、ペンを走らせる。
 ドキドキしながら、復讐すると思うと何故か胸のすく気持ちがした。

 意識が戻る。
 優貴は饒舌に学生時代を徹に語って、朝香の変化には気付いては、いないようだ。
 徹は目配せする。朝香は小さく頷くと、口を開く。
「――復讐っていうのは、結構強い言葉ですね」
「え?」
 優貴は虚を突かれた顔をする。
「復讐ノートですよ」
 優貴は、訝しそうな表情になる。
「どうしてそれを?」
「ご両親がノートを見つけまして、そのことを教えて下さったんです」
 優貴は何でも無いと笑う。
「刑事さんからすると刺激的でしょうね。でもああいう人には言えない気持ちの捌け口があったからこそ、ここまでやってこられたんですよ。言っておきますけど、誰一人傷つけたりしてませんからね?」
 徹は感心したように笑みを見せる。
「なら、あなたの復讐は大成功ですね。今や大企業にお勤めになられてる」
「そうかもしれませんね。でももう復讐ノートなんて必要ありません。大昔の話ですから」
 優貴は満足げに頷く。
 朝香は話を戻す。
「で、事件についてなんですが、平山淳さんと揉めていた人物に心当たりはありませんか?」
 優貴は逡巡したように目を彷徨わせる。
 朝香は答えを促す。
「どんな些細なことでも構いませんので、どうかご協力を。あなたの同志のことですから」
 優貴は徹と朝香とをしっかりと見つめる。
「……私が言ったとは黙っていて下さい」
 徹は頷く。
「無論です」
「淳の父親ですよ」
「何がきっかけでそう思われたんですか?」
「私が直接目撃した訳じゃなくって、淳から聞いたことですが……音楽室に乗り込んで、先生に抗議をしたそうです」
「抗議?」
「淳に音楽はやらせるなって。学校中大騒ぎだったそうで、他の生徒や教師にも目撃者がいるはずです」
「あの父親は相当、厳しそうだからあり得ることですね」
 優貴は肩をすくめる。
「淳も親には相当、うんざりしてましたよ」
「当たって見ます。ご協力、ありがとうございます」
「淳のこと、お願いします」
 優貴は、深々と頭を下げた。

 朝香たちは翌日、隆介に話を聞く為に学校へ出向くと、彼は音楽室にいた。
 用向きを伝えると、すぐに話してくれた。
「――淳の父親が乗り込んできたというのは本当です」
 朝香は尋ねる。
「お父様は何と?」
 隆介は苦笑する。
「私が貸したCDを放り投げて、もう二度と息子に関わるなと、すごい剣幕でしたよ。でも淳も負けてはいませんでした。大切なものだと、この音楽のお陰で希望が見えたと言い返してましたよ」
「お父様は何と?」
「ふざけるなと殴ろうとしたので、私が割って入り、これ以上騒ぐのであれば警察を呼ぶと言いました。それでも文句は言ってましたが、帰っていきましたよ」
「平山淳さんはそれでもサークルには……?」
「来ましたよ。むしろやる気が漲ってる感じでした。何が何でも親の心を変えると、自分がしっかりとそれだけの曲を奏でるようになりたいと」
 徹が理解が出来ないと眉を顰める。
「こんなことを言うのは何ですが母親の方はまだしも、父親はもう無理でしょう……」
 隆介は苦笑する。
「私も実はそう思いました。あの父親には何をやっても難しい、と説得したんですが、逃げたくないと淳は言いました。もしやって駄目なら、無理だったら諦めもつく。でももう何もせずに逃げたくはないんだと」
 朝香は驚きを口にした。
「すごい覚悟ですね」
 朝香が同じ立場ならきっと父親と向き合うことは避けてしまっているかもしれない。
「彼は本当に勇敢です。頭が下がる」
 期待をしていた生徒を想い出した隆介の目には、深い痛みの色があった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み