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文字数 4,845文字

 五木勇作(いつきゆうさく)は、まだ足を洗っておらず別の組に所属していると判明した。
 しかしさすがに暴力団との関係のない朝香たちが行って、スムーズに話を聞けない可能性があると、朝香たちは最上信太郎に助力を求めた。
 彼はすぐに承諾してくれた。
 桜田門にあるカフェで待ち合わせ、信太郎を車で拾った。
 助手席の信太郎は、老眼を細めて年季の入ったメモ帳を捲る。
「……五木勇作か。これまた懐かしい名前が出て来たな」
 ステアリングを繰りながら朝香は言う。
「駿河尚武会の若頭補佐だったそうですが……」
「ああ。よく知ってるよ」
「それも伊達清直の事件の時に、ですか?」
「いいや。駿河尚武会を潰す前線部隊の隊長が俺だったからさ。――五木は金儲けの才能があったが、性格が意地汚いというか……欲が深すぎて組の中で孤立していた。そこを俺が拾い、S《スパイ》に仕立てたんだ」
「今は、別の組に移っているようですが……」
 信太郎は溜息を吐いた。
「ああ。組が潰れた後、カタギの仕事を紹介してやったが駄目で、いつの間に戻りやがって……。まあ性根が腐りきって、カタギの世界じゃ生きられないんだろうさ」
 真誉が後部座席から身を乗り出す。
「被害者のことについては、何も聞いていないんですか?」
「こんなことを言うのはあれだが、所詮チンピラ一人だ。当時は事件解決より、この機会をどう利用して組にダメージを与えるか――そればかり考えてたんだ」
 真誉は表情を曇らせる。
「……確かに伊達さんは誰かを傷つけたでしょう。でも伊達さんは、美和さんにとってはお父さんです。誰に、どうして殺されたのか、知る権利はあります」
 真誉はそう言って、シートに座った。
「確かにその通りかもしれないな」
 信太郎は顔を顰めたまま、ぽつりと呟いた。

 五木勇作に会うために日吉に到着する。その駅前のパチンコ店に信太郎の情報屋が教えてくれたのだ。
 車を路上に停め、パチンコを見張る。
 信太郎は言う。
「一時は若頭補佐を務めた奴も、今は大きな組の下っ端だ。金を稼ぐ頭も錆び付いちまって……いたぞ」
 グレイのジャンバーにジーンズ姿の男が、寒さに首を縮めながらパチンコ屋から出てくる。
 朝香たちは車を降りると、早足で横断歩道を渡り、男の背中を追った。
 信太郎が男の行く手を塞ぐ。
 男――五木勇作はすぐに信太郎だと気付いたらしく、面倒そうな顔をする。
「……あんたか。おいぼれの下っ端に、何のようだ?」
「用があるのは、俺じゃない」
 信太郎は顎をしゃくり、背後の朝香たちを示す。
 勇作が振り返る。顔全体がむくみ、頬には白い無精髭がまばらに生え、髪も寝癖が目立っていた。組員と言われなければ分からない、煙草臭い中年だ。
「俺は忙しいんだけど」
 踵を返そうとするのを、朝香が腕を掴んで、無理矢理引き留める。
「おい、何する……」
 朝香は勇作を睨み付けた。
「手錠をかけても良いのよ」
「容疑は」
「叩けばホコリが幾らだって出るでしょ?」
 勇作は舌打ちをする。
「何の用だ」
 真誉が言う。
「伊達清直さんに関してです」
「伊達……? そりゃ、随分と懐かしい名前だな。あいつ、殺されただろ」
「あなたが関与しているのではないかと言う、証言があったんです」
「俺なわけあるかよっ」
 朝香がドスを利かせる。
「大きな声を出さないで」
「……とにかく俺じゃねえって」
 真誉は言う。
「伊達さんがあなたにキャバクラで恥を掻かせたと聞いたんです。大勢の前で後輩にやられたんじゃプライドに障ったんじゃないですか?」
「そんなんで殺すか」
「では伊達さんが殺される直前、彼の身辺で何か気になることはありませんでしたか」
 勇作は思案顔になる。
「気になる……ねぇ。ならあいつ、死ぬ直前すげえ暗い顔してたぜ。何か悩んでたみたいだ」
「どんなことを?」
「知るか。金が稼げないことじゃねえか?」
「本当ですか。他にそれを証明できる――」
「うるせえなっ! 俺が嘘言ってるって言うのか、あぁ?」
 勇作は、相手が小柄な真誉であると侮ったかのように、詰め寄る。
 信太郎よりも先に、朝香は勇作の背後に回り、腕を捻り上げる。
「いてぇっ!」
「警察に詰め寄るなんて、大した度胸ね――」
 しかし次の瞬間。朝香の視界を白い光が侵す。

 光の中から立ち上がった景色は、きらびやかに彩られたフロアだった。
 胸元が大きく開いたドレス姿の女性たちが、唖然として朝香を――伊達清直を見つめている。
 清直は五木勇作の腕を捻り上げていた。
 勇作は今よりもずっと搾った体型で、若い。
 勇作は痛みに、表情を引き攣らせた。
 清直は言う。
 ――五木さん。女の子が嫌がっていますよ。もうその辺にしたらどうですか。
 ――う、うるせえな……。手ぇ、離せよ……っ!
 手を離すと勇作は腕を押さえ、涙目になって睨み付ける。
 ――身の程知らずめ。思い知らせてやるから覚悟しておけっ!
 勇作は腕を押さえながら、店を出て行く。
 店の女性や店員が清直を気遣う。
 清直は深々と頭を下げた。
 ――うちの兄貴が、すみませんでした。
 青いドレスに、栗色の髪を巻いた女性が言う。
 ――良いのよ。あの人にはいっつも迷惑させられてるんだから。むしろ追い出してくれて満足よ。
 清直は勇作の後を追いかけて店を出る。
 そこで眩映が途切れた。

 目を開けた朝香が顔を上げれば、信太郎や真誉の唖然とした顔と鉢合う。
 勇作が声を上擦らせる。
「マジで、お、折れるぅっ」
 朝香は慌てて、手を離す。
 勇作はこちらを睨みつける気配もなく、意気消沈している。
 朝香は告げる。
「殺す訳がない? ――身の程知らずめ、思い知らせてやるから覚悟しておけっと言ったのを忘れた?」
 朝香が言えば、勇作は虚を突かれた顔をする。
「……そ、そんなの」
 信太郎が勇作の顔を覗き込んだ。
「おい。いい加減、正直になれっ」
 勇作は泣き出しそうな顔をし、信太郎に縋るような眼差しを向けた。
「最上さんっ。俺じゃないんだよっ。信じてくれぇっ!」
「だったら知ってることを正直に話せ。じゃなきゃ、惨めな豚箱生活が待ってるだけだぞ!?
「と、とにかく俺は知らないんだ。あんなことで殺す訳がない。あいつは腕っ節が強いだけのデクだ。あれはあの場限りの脅しだ。俺より、あいつの女を当たってくれ!」
 真誉が声を上げる。
「そんなはずありません! 伊達さんは結婚されて、お子さんまでいたんですよっ。浮気なんて!」
 勇作は顔を顰めた。
「知るか。あいつはちょくちょく、あの店に行ってたんだ。あいつとつるんでた志村がm愚痴ってた。最近、女に溺れて仕事がおざなりになって困るって」
 真誉は、まるで自分の身に不幸が降りかかったとでも言わんばかりに顔を青ざめさせる。
「……そんな」
 朝香は聞く。
「女って誰なの。名前は?」
 朝香が迫れば、勇作は大人しく言う。
「キャバクラの女。確か……(かおり)とか名乗ってた奴だ」
 朝香はメモとぺんを勇作に無理矢理握らせ、店の場所を書くように促す。
 ――DREAM GIRL 薫
 そうメモには書かれていた。
 受け取ると勇作を解放した。
 勇作はこっちを不愉快そうに睨みつつ、太鼓腹を揺らして一目散に逃げていった。
 信太郎が朝香の手並みに感心したように微笑んだ。
「お前さん、見事だったな。もし機会があれはうちに来い。あんたみたいにドスを利かせられるんだったら、組対でも十分やっていける。今の部署じゃもったいない」
 朝香は苦笑する。
「ありがとうございます。ですが、今の部署が私には天職だと思っていますので」
 信太郎は肩をすくめた。
「ま、気が変わったらいつでも言いにこい。俺は一人で帰る。また何かあったら言ってくれ」
 朝香達は、礼を述べる。
「ありがとうございます」
「困った時はお互い様だ。んじゃ、俺は個々で失礼するよ」
 人混みに消えていった信太郎を見送った朝香は、俯いている真誉を見る。
「平気?」
 真誉は「はい」と頷いたものの、見るからに元気がない。
 朝香は真誉を促して先に車に戻らせると、コーヒーショップでコーヒーを二つ買って戻った。
「これ」
「……あ、ありがとうございます」
「被害者が浮気をしてるかもしれないって聞いて、ショックだった?」
 真誉は自嘲めいた笑みを浮かべる。
「おかしいですよね。相手は暴力団の組員で、何をしてもおかしくないのに……」
 真誉は少し涙ぐんでいるようにさえ見てた。
 思えば、今回は事件の捜査へのやる気も凄いものだった。
 朝香は、そっと話しかける。
「もし何かあったのなら聞くよ」
 かすかな間を置き、真誉は口を開く。
「……うち、父親がいないんです。ずっとお母さんと二人で生きてきたんです」
「だから美和さんの為にって思ったのね」
 真誉は頷く。
「でも美和さんの為っていうのは表向きで、自分の為だったのかもしれません……。私のように父親のことをほとんど知らない人の為に何かしてあげられたらって。ただの自己満足ですけど」
「そのネックレスはどうしたの?」
「これは私が生まれた時に、お父さんが私にって母に渡したものだそうです」
「……そう」
 真誉は笑顔になる。
「急にこんなことごめんなさい」
「大丈夫」
 朝香は真誉ににこりと笑いかけた。

 朝香たちが課に戻る頃には、すでに夜六時を回っていた。
 パソコンを操作していた徹が顔を上げる。
「お疲れさん」
 朝香は、室内を見回す。
「課長は?」
「他部署との打ち合わせ……という名の挨拶回り。うちみたいに色んな部署が関わるなんでも屋は、課長に顔を売って貰って円滑に職務を遂行できるようにしないとな。で、成果は?」
 朝香は勇作とのことを伝えた。
 徹は腕を組む。
「確かに女はやるときゃやるからな」
 真誉は眉を顰めた。
 真誉は言う。
「でも朝香先輩が見た眩映はどうなるんでしょう。何かを奪ったって。財布は無事でしたし……」
「まあでも他人にとってもペン一本みたいに取るに足らない物でも、本人からしたら何よりも大切ってこともあるだろ。腹いせに何か取ったんじゃないか?」
 朝香は話を振る。
「吉良さんの方はどうです?」
「ああ。組対に頼んで駿河尚武会との歴史に関するデータを、送って貰ってて……。今日一日ずっとそれを見てたんだけどな、最上警部補が陣頭指揮を執り、五木勇作をSに仕立てて、内部から潰していったんだ。俺の同期に所轄の組織犯罪対策課にいる奴がいるんだけど、そいつに当時の話を先輩やら何やらに聞いてくれって頼んだんだけど、相当なプレッシャーがかかってたらしいぜ。だから俺たちは幸せ者だってつくづく思ってさぁ」
 真誉が咳払いをする。
「先輩。そういうことは良いですから」
 徹が肩をすくめた。
「んで話の続きだけど、過去の記録を見ると、駿河尚武会が解散する一、二年前からちょくちょく傘下の賭場やら何やらが頻繁に摘発されてたんだよ」
 朝香は、徹の言わんとすることが分かった。
「Sがいたってことですね」
 徹は頷く。
「そうだ。五木がSになるのは、それから一年後のことだから他にもSがいたことになる。もしかしたら、そいつが事件に関係してるかも知れない。警部補から聞き出してくれないか?」
「警部補も知ってる可能性はないんじゃないですか」
「まあでも責任者だった訳だし、心当たりはあるだろ」
「分かりました。折を見て確認してみます」
「頼むぞ」
「吉良さん。これ、来るまでに買って来たんです。良ければどうぞ」
 朝香がコンビニ袋に入れた総菜パンを差し出すと、「最高!」と徹は目を輝かせた。
 その様子に朝香と真誉は笑い合った。
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