5-3

文字数 2,136文字

 警視庁を出た朝香は、信太郎から教えられた人物を課にいる徹に送り、警視庁のデータベースでの調査を依頼し、車内に戻った。
 朝香は後輩の横顔に苦笑する。
「真誉。顔が強張ってるわよ」
「あ、はい……すっごく緊張しちゃって……。本庁に行くなんて、その、ほとんど経験がありませんでしたからっ」
「まだ始まったばかりなんだから、肩の力を抜いて」
「は、はい! ひとまず、さっき警部補に教えて貰った人に……」
「その前に現場に行きたいんだけれど良いかしら?」
 真誉はまるで子どものように目を輝かせる。
「あ、眩映ですね!」
「そう。見られるかどうかは分からないけどね」
「行きましょう! 私、初めて何でドキドキしちゃいます」
「別に私が光を放ったりとかはないからね。むしろ真誉に迷惑をかけちゃうかも。いきなりその場に蹲ったり……」
「大丈夫。任せて下さいっ!」
 真誉は胸を叩いた。

 美和の父、伊達清直こと神田直の遺体が発見されたのは、中野駅から十分ほどの場所にある裏通り。背後から何度も刺され、仰向けの格好で倒れた状況で発見された。
 死因は出血性ショック。
 朝香たちは昼間でもほとんど人気の無い現場に立つ。
 まだ午後三時だが、ここは完全に日が陰って、寒さがより身に染みる。
 朝香は足を止めた。視線の先にこちらに背を向けた大柄な男が立っていたのだ。
「真誉。あの人、見える?」
 真誉は小首を傾げる。
「どの人……ですか?」
「今、目の前に」
「目の前……?」
 真誉は探るような眼差しを向けるが、何も見えていないようだった。
 朝香はゆっくり近づく。
「――伊達さん」
 朝香は恐る恐る声をかけると、男が振り返った。現場の写真で見た男と、目の前の血の気のない青ざめた顔とが重なる。
 次の瞬間、男が何かを言う。
 しかし声は聞こえない。それでも男が何を訴えかけようとするのか、必死に読み解こうとした。その時、男の肉体から強烈な光が放たれ、思わず顔を庇った。

 目の前にコンクリートの地面があった。
 ひどく視点が低い――そこまで思って、俯せに倒れているのだと気付く。
 朝香に清直の感情がなだれこんでくる。
 苦しみ、痛み、恐怖、悲しみ、怒り。
 あらゆる激情が渾然一体となって、死にゆく直の巨躯の中で渦巻き続けていた。
 直は震える腕を伸ばす。
 頭の中の思考が絵を描く――。
 腕の中に抱えた赤ん坊の姿が浮かび上がる。そして美しい女性の輝く笑顔――。
(美和さんと、お母さん……)
 直が最後に考えたのは妻と娘のこと。
 ――か、返して……くれ……っ。
 途切れ途切れに呟いたその言葉が、最期となった。

 朝香が我に返ると、温もりを覚えた。
 なぜだか真誉が抱きついてきていた。
 彼女は今にも泣き出しそうで、朝香の方がびっくりしてしまう。
「ま、真誉……?」
「あ、良かった! 朝香先輩、ご無事だったんですね!?
「そんなに危なく見えた?」
 真誉が目を伏せた。
「そ、そういう訳ではないんですが……。突然ぼーっとされたかと思ったら、何か独り言を喋られてて、どうしたら良いのか分からなくなっちゃって……。自分でもどうしてそんなことをしたのか分からないんですけど、だ、抱きついちゃってました」
 朝香は思わず真誉の頭を撫でてしまって、
「あ、ごめん」
 と手を引っ込めた。
 真誉は恥ずかしそうに頬を染め、
「……い、いえ」
 と、口をモゴモゴさせる。
「えーっと……真誉。とりあえずこのままだと歩けないから……ね?」
「あ、すみません!」
 我に返った真誉は飛び退く。
 朝香の本心としては、もう少しあのままでいたい気持ちもあったが、ここは刑事としての務めを優先する。
 真誉は気を取り直して聞く。
「それで先輩、どんな眩映が見えたんですか?」
「それなんだけど……」
 朝香は自分が見たものを告げた。
 真誉は思案顔になる。
「返してくれ、ですか……。お金を取られたってことですか?」
「財布は手つかずなのよ。それに身長が百八十センチを越えている人間に強盗をしかけようと思う?」
「あ、ですね……。それじゃあ何を返せ何でしょう」
「分からない。それが分かれば犯人に繋がるかもしれないんだけど……」
 そこに電話がかかってきた。徹からだ。
 朝香はすぐに出る。
「はい、もしもし」
「法条。犬童はちゃんとやってるか?」
「それはもう。このままだと吉良さんとの交代を、課長に進言することになるかもしれませんね」
 朝香が冗談めかすと、電話の向こうで徹は苦笑する。
「それは勘弁しろって。日がな一日ずーっと座ってられないぜ?」
「どうせ、椅子をくっつけてのんびりくつろいでるんじゃないですか?」
 ガサゴソとかすかな音がして、朝香は小さく吹き出す。
「本当にやってたなんて呆れます」
「……うるせえなぁ。んで、本題だ。さっきお前が送ってきた奴が収監されてるのは府中刑務所だ。詐欺で食ってた野郎だ。煙に巻かれるなよ?」
「了解です」
「また何か分かったら連絡する」
「お願いします」
 電話を切り、徹からの情報を真誉に伝える。
 真誉は頷く。
「行きましょう」
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