3-3

文字数 3,159文字

 私立梶野(かじの)学園高等学校は、立川市内にあった。
 朝香たちが訪問した時は授業中なのか、校内は静まりかえっている。
 一階の職員室に顔を出し、隆介の居場所を聞くと三階の音楽室まで案内してもらえた。
 事務員が「先生、警察の方が」と声をかけると、室内で楽器の手入れをしていた中年男性が顔を振り返った。
 背は高く、百八十五ある徹よりも少し低いくらい。髪は薄めで、細身。口元には笑い皺のある男性だった。
「お待ちしていました。恩田隆介(おんだりゅうすけ)です」
 徹が、警察バッジを見せる。
「警視庁未解決事件・再捜査課の吉良です。こっちは相棒の法条」
 隆介は頭を深々と下げる。
「よろしくお願いします。この学校で、音楽教師をしています」
「事前にお電話を差し上げた通り、二十年前に亡くなったこちらの生徒の平山淳のことですが……。あなたは何度も所轄の警察署に対して再捜査をかけあっていたそうですね」
 隆介は笑みを引っ込め、真剣な顔で頷く。
「ええ。彼が自殺するなんてありえないと思いまして」
「それはどうしてですか? 彼は前の学校でいじめを受けて、退学していたんですよ? それでもあり得ない?」
「彼はここで、熱中できるものに出会えたはずなんです。――これです」
 隆介はダンボールを机にのせ、中身を見せた。
 段ボールの中にはCDやレコードが入っている。どれも海外のものらしい。
 隆介は説明する。
「ジャズです。……確かに彼はこの学校に来て以来、無気力と言いますか……目標を失ってただ時間が過ぎるのを待っていたようでした。それで彼に声をかけて、小さな頃からピアノを続けていたことを知ったんです。で、私が顧問を務める音楽サークルに誘ったんです」
 徹は尋ねる。
「それは……吹奏楽部のような?」
「いいえ。ここの学校に来る子たちの多くは、不登校だったり、別の学校を退学したりと色々悩みを抱えているので、気晴らしのようなものです。まあ一応は各人、どんな曲でも構わないから卒業までに、一曲は演奏できるようにしようと目標は掲げていますがね。で、平山はジャズを選んだんです」
「だから自殺はしない、と?」
「それだけでなく――」
 恩田は朝香を見る。
 朝香は隆介の話を耳にしつつ、ピアノに触れていた。
 無性にピアノに触れたい、という気持ちに駆られた。
 無論、それは朝香ではなく、平山淳の感情だろう。
 何せ女性にしては太めの指な上、不器用でピアノなんて一度も弾いたことがない。しかし勝手に指が動く。
 自分の身体でありながら、朝香は観客でもあった。
 キーンコーンカーン…とまるで学校の始業ベルのようなメロディを奏でる。
「おい、法条。何をふざけて……」
 徹が口を開くと、隆介に制止される。
 印象的なイントロから曲が展開する。
 自分が弾いているとは思えない、軽快で明るく、可愛らしいリズムの波が響く。
 アップテンポで身体がつい動き出すようなリズム感の終盤が過ぎ、曲を弾き終われば、隆介が手を叩いた。
「すごい! あなたもピアノをやられていたんですね!」
 朝香は言葉を濁す。
「まあ……」
 徹が隆介に聞く。
「今の曲は?」
「レッド・ガーランドというジャズピアニストのIF I WERE A BELLという曲です。今の曲を聴いて、正直ぐっときました」隆介は目をかすかに潤ませていた。「すいません。まるで、彼が……平山が弾いているかのように思えて……」
 朝香は呟き手元に目を落とす。
「……そうでしたか」
 指は鍵盤に乗ったまま止まっている。無性に鍵盤を叩きたかった衝動は消えていた。
 隆介は優しい表情になる。
「そして平山が一番始めにジャズの曲で弾ききった曲でもありました。イントロが特徴的で、練習を始めたのもそれがきっかけみたいでした。それから貪るようにジャズのピアノ曲を練習していましたよ」
 徹が言う。
「恩田さん。平山淳の遺体が見つかった現場で、折れたクラリネットが発見されているのですが、これに心当たりは?」
「もちろん。まさにそれが平山の自殺はありえないと思った根拠でしたから。あの事件の三日後に、私の知り合いのジャズカフェで演奏をするつもりだったんです。ご両親を招いて今の自分の気持ちを曲にのせて伝えたい、と。ジャズの道を進むことを認めてもらいたいんだと。その曲で彼はクラリネットを使うつもりだったんです」
 朝香は尋ねる。
「それはどんな曲ですか?」
「スウイング王のベニーグッドマンというクラリネット奏者のDon't be that Way。日本語で言うと、その手はないよ……とでも言いますか。ジャズの古典と言うべき曲の一つです。平山は演奏することに強い想いを抱いていました。そんな子が自殺なんてあり得ません」
 教師の隆介はそう力強く断言した。
 徹は聞く。
「この曲ってどんな曲なんですか?」
「恋人を慰める歌詞です」
「それを両親に、ですか?」
「恋人の部分を両親……いえ、正確には父親に、とした方が良いでしょうね。曲の中の歌詞にas long asa we see it through,you'll have me,I'll have you――という部分があります。和訳すると、ここを乗り越えさえすれば、私はあなたのもので、あなたは私のもの……でしょうか。平山はそこに惹かれたようでした……。きっと彼は心の中で自分が選び取ろうという道をご両親に……いえ、お父様に認めて欲しかったんだろうと思います」
「その曲、聞かせてもらうことって出来ますか?」
「もちろん」
 隆介はCDをセットする。
 スタートからサクソフォーン、トランペット、トロンボーンの派手なメロディが響く。そこにしっかり存在を主張しつつも、調和を保ちながら絡み合うクラリネット。それに寄り添うドラムの音も良いアクセントになっていた。
 何よりクラリネットとサックスが、見事なコンビネーションを発揮して、曲の印象をより深いものにしていた。
 曲が終わると朝香は拍手する。胸がこんなにも躍るのは淳の感情だけではんく、朝香自身の思いもあるだろう。
「正直、さっき弾いた曲よりこっちの方がジャズっぽいですね」
 隆介は嬉しそうに言う。
「そうです。ジャズと言ってもクラシックと同じくらいメロディの幅は広いんです。当時の時代や世相、文化、音楽的流行を取り込みつつ成長・深化する生き物と言っても良いんです」
 徹が言う。
「平山さんの家は医者一族のようですから、かなり反対をされるでしょうね」
「正直、父親はここの学校に来ることも認めてはいなかったようです。ほとんど見向きもされず、寂しいと話してくれましたよ」
 隆介は呟いた。
 朝香は話を振る。
「ところで淳さんと親しい生徒はいましたか?」
小岩井優貴(こいわいゆうき)です。彼とよく一緒にいる姿を見かけましたよ」
「小岩井さんも一緒のサークルに?」
「彼は確か……文芸サークルだったと思います。……実は小岩井君もいじめが理由で、前の学校を辞めているようで、そういうつながりもあるのかもしれません」
「小岩井さんは今は……」
「彼は出版社勤務です。後輩の面倒見も良くって講演をしてもらったり、学園祭のカンパにも積極的に協力してもらって。毎日忙しいはずなのに。本当に立派ですよ」
「そうですか」
「彼のような生徒がいるから教師という仕事は楽しいんです。……平山も、その一人になってくれるはずでしたが……」
「ありがとうございます。当たってみます」
「……お願いします。平山の無念を晴らして下さい」
 隆介は沈痛な面持ちで頭を下げた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み