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文字数 2,937文字

 不意打ちで北千住にある自宅マンションに、朝香たちの再訪を受けた薫こと仁科千秋は、不機嫌さを隠さなかった。
 時刻は午前十時。
 千秋は、すっぴんで朝日を眩しそうに目を細めている。
 このマンションは千秋が店を構えているビルのオーナーに契約書を見せて貰い、住所を教えてもらったのだ。
 不承不承リビングに案内され、ソファーセットに座る。
 真誉が言う。
「突然押しかけてもうしわけございません」
「……本当よ。どうかしてるんじゃないっ?」
 千秋は苛立って貧乏揺すりをしながら、ブランドもののケースに入れた煙草(パーラメント)に火を付け、煙を上に吐き付ける。ヘビースモーカーなのか、1LDKの室内の壁紙は所々、染みで黄ばんでいた。
「で、何なの?」
「伊達さんとお付き合いされていない――そう仰いましたよね」
「そうだけど?」
「告白をされ、断られた……。どうしてそのことを話されなかったんですか?」
 千秋は気まずそうに目を逸らす。
「どうしてそんなことを、わざわざ話さなきゃいけないのよ。事件とは関係ないじゃない」
 朝香は言う。
「そんなことはありません。殺害の理由で多いのを上から上げていけば恋愛の縺れ、金銭問題、肉親関係なんです。あなたには伊達さんを殺害し得る動機がっあったことになります」
 千秋は目を細めた。
「あんなガタイの良い男を、私なんかがどうにか出来る訳ないじゃないっ!」
「不意を突けば、女性でも十分に可能です」
 朝香の強い眼差しで見つめられれば、千秋は慌てる。
「わ、私じゃないってば……っ」
 真誉が朝香とは打って変わって、やんわりとした口調で告げる。
 こうして二人でやるうちに、朝香が攻め、真誉が宥めるという役割分担が、自然と出来るようになりはじめていた。
「どうして恋愛感情などないなんて仰ったんですか?」
 千秋は目を泳がせる。
「……そりゃ恥ずかしいでしょ。フられて……今も未練があるみたいじゃない」
 未練がない、とは言えないようだ。
「お店で接するようになってから親しくなったんですか?」
 千秋は溜息混じりに言う。
「一番のきっかけは子どものこと。お互い、ヤクザとキャバ嬢で住む世界なんて違うし。共通の話題なんてそれくらいだもん。私は自分の子どもがいかにバカかを話して、伊達さんは赤ん坊のことを。伊達さんが言うには、奥さんがしっかりしてるから、子どもは自分みたいにガードレールをぶっちぎって道を逸れることはないだろうって笑いながら……」
 千秋は当時の気持ちが思い出したのか、自然な笑みを見せる。無邪気な笑顔だった。
「外で会ったりはしなかったんですか」
「したわよ。子どものプレゼントを一緒にって口実で。伊達さんは自分には分からないって言ってたけど、私が無理矢理買い物に付き合わせたの。あわよくば私のものに、なんて下心もありつつね。けどあの人、私の気持ちには全然鈍感で、真剣にアクセサリーを選んだりしててさぁ。あの不器用で太い指で。……それがすっごく新鮮っていうか、あぁこの人、こんな表情もできるんだ、なーんて……」
 千秋は虚空を見上げ、そっと煙草の煙を吐く。
 煙がゆらりと宙を舞う。刹那、それが朝香の頭の中にある何かとぶつかって、火花を起こした。
(眩映……っ)
 朝香は身構えるが、四肢の脱力と共に頭の中に絵が立ち上がる。

 白い輝きの向こうに見えた光景は、ショッピングモールだった。
 家族連れやカップルが行き交う中、清直と千秋は肩を並べて歩いていた。
 千秋が吐き出した紫煙がゆらりと、清直の顔近くを流れる。
 清直は千秋を見る。
 ――あれで良かったのか? 俺のセンスは正直……良いとは言えないだろ?
 千秋は微笑み、肩をすくめて見せた。
 ――まあね。でもあの子は私の趣味とは合わないみたいだから。バブルの匂いがするって。ホント失礼。そんなばあさんじゃないってのに。
 ――子どもは親にも理解できない、難しいものなんだな……。
 ――でもそこが可愛い……あ、ごめんなさい。
 構わないと清直は、かぶりを振った。
 ――良いさ。悪いのはテメエなんだから。こんなバカげた仕事をやっている上に、オヤジに顔向けできないことまで……。
 ――お父さん?
(オヤジ……組長のことね)
 清直は千秋から目を逸らす。
 ――何でも無い。忘れてくれ。
 と、その時。女の子が走ってくるや、オモチャ屋に飛び込んで行った。
 走ると危ないだろ、と、その女の子の両親がすぐにやってくる。
 千秋が清直を振り仰ぐ。
 ――娘さん、今いくつになるんだっけ?
 ――七歳と四ヶ月。
 その細かさに、千秋は白い歯を見せる。
 ――しっかり覚えてるのね。
 ――忘れる訳ないさ。
 ――プレゼント、あげたら?
 ――誕生日は過ぎたぞ。
 ――会いに行く口実よ。
 ――……妻が嫌がる。
 千秋は苦笑する。
 ――でしょうね。私だってバカ旦那がノコノコやってきたら、絶対に平手を見舞うわ。でもいつまでもウジウジしてるだけじゃ、駄目なんじゃないの。お父さん?
 清直は何かを考えるようにしばし黙り、おもむろに口を開く。
 ――そうかもしれないな。いつまでも中途半端はやめないとな……。
 ――組を抜けろとかそういうことじゃ……。
 ――いや。父親にもう一度なるには、全てを清算しなきゃならない。それで子どものそばにいられるんだったら、その価値はある。――なぁ、子どもに買うプレゼント選びを手伝ってくれないか?
 ――良いわ。だったらこれなんかは?
 そうして千秋が駆け寄ったのは、黄色いスカーフを首にかけたクマのぬいぐるみだった。
(あのぬいぐるみって……)
 そこで眩映は終わる。

 朝香が目をゆっくりと開ければ、千秋が心配そうに顔を覗き込んできた。
「ちょ、ちょっと。平気? 瞳孔、開いちゃってたけど……?」
 朝香は瞬きし、頷く。
「……大丈夫です。ごめんなさい」
 千秋は安心したみたいに、頬を緩める。
「警察の人も大変だもんね。うちにも警官のお客さん来るけどね、身内の中にいると自分まで監視されてるみたいで辛いってぼやいてたわ」
 朝香は千秋をジッと見る。
 千秋はぎょっとした。
「な、何よ……」
「――仁科さん。伊達さんとショッピングモールに、でかけましたよね。そして伊達さんは何かを覚悟したように、中途半端はやめないとって言った。覚えていらっしゃいますよね?」
 すると千秋は驚き、「あぁ……」と小さく声を漏らす。
「あなた、どうしてそんなことを知ってるの? 誰にも話してないのに……」
「詳しく話して下さい。別の方から伊達さんが思い悩んでいたという話があるんです」
「……私は組を辞めるっていう意味だと思ったんだけど、それにしてはもっと深刻っていうか、思い詰めた感じだったわ。詳しくは分からないけど……」
「あなたはそこで、黄色いスカーフを巻いたぬいぐるみを買ったんですよね」
 朝香が口にした言葉に、真誉がはっとした顔をする。
「ぬいぐるみ? 違うわ」
「とぼけないで下さい。証言が……」
「あれはね――」
 千秋は言った。
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