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文字数 2,342文字

 志摩さやかの家は亀戸の住宅街にあるマンションだ。
 到着した時には午後九時過ぎ。
 チャイムを鳴らしてしばらくするとさやかが出た。徹たちの姿にはっとしたようだ。
 徹が言う。
「夜分遅くに申し訳ありません。少しお話しをお聞きしたいんですが、よろしいでしょうか」
「……え、ええ。あの、家ではあれなので」
「では車の中で」
 さやかは突然の警察の訪問に少なからず戸惑いを隠せないらしかった。
 
 そして車に入るなり、さやかは口火を切った。
「あの男には聞いたんですか。どうでしたか!?
 朝香は頷く。
「協力的にお話しをして頂きました。しかし坂本さんはあなたが片桐さんと口論をして、その中で殺してやると口走ったと言っていました」
「そんなの嘘です。あの男が罪を逃れる為に……」
「彼は最初あなたの客、だったそうですね」
「そ、そんなこと覚えてません……」
 さやかは目を背けた。
 徹が言う。
「坂本さんはそもそも、片桐さんが亡くなられたことすら知らなかったそうです」
「そんなの口から出任せです!」
「あなたと片桐さんのことも、ですか? もしここで嘘をつかれているとなれば、あなたも容疑者の一人になりかねませんよ。過去のことがご家族に知られることだって……」
 さやかは下唇をそっと噛んだ。
「……確かに、口論はしました」
「殺してやると言った?」
「あ、あれはあの子が私の客を盗ったからっ! それに、殺すとかなんて……その場の勢いで言っただけで……」
 さやかは口ごもれば、徹はさらに言う。
「でも殺す動機にはなる」
「やめて下さい。殺害のあったあの日は私も仕事をしていたんです。あの子に近づける訳ないじゃないですかっ」
 さやかは動揺と昂奮、弁解の必死さで声を上擦らせる。余裕を失った彼女がこの期に及んで嘘をついているとは朝香には思えなかった。
 それに相手が女ならば正面から首を絞められて、ふりほどけないとも思えない。
 朝香は言う。
「坂本さんはこう仰ってました。子どもが生まれてからは店は利用していないと。それは本当ですか?」
「それこそ嘘です。店の人から聞きました。あの男が佳子を指名して電話をかけてきたって。あの男、かなり佳子に執着してるみたいなんで店の人間にも有名だったんです。私、あんまりしつこいんで、こいつが絶対犯人って思ったんです」
「いつ頃のことか覚えていますか」
「佳子が殺されてから一週間は経っていなかったと思います」
「佳子さんは妊娠されていたんですが、交際されていた方がいたとかはご存じですか?」
「……知ってます。ガラが悪いチンピラです。彼氏っていうかただのヒモでした」
「名前は分かりますか?」
「工藤、雄馬……だったと思います。――私、本当に佳子を傷つけてません! 信じて下さい!」
 必死に言いつのろうとするさやかを、徹は「また何か分かりましたらご連絡を差し上げますから」と宥める。
 さやかは納得がいかなさそうだったが渋々従い、車を出た。
 徹はさやかを見送りつつ、言う。
「あの女が犯人の可能性は低いかもな。だってそうだろ? 法条が見た映像っていうのは正面から首を絞められているものだったんだ。背後からヒモを使ってって言うならともかく、正面からだったら女同士ならふりほどける」
「先輩。私が見た映像を信じて下さるんですか?」
「嘘だったのか」
「そうは言わないけど……あの期に及んでつくような嘘でもないだろ。あんなことを演技でやる意味もないだろ」
「……ご迷惑をおかけしてすみません」
「ひとまず今日の捜査はここまでだ。残りは明日だ。――で、あの女と話してて何か見えたか?」
「いえ。特には……」
「そうか」
 徹は車を発進させた。

 疲れた身体を引きずりながら、朝香は自分の部屋に辿りつく。
 すぐにでもベッドに潜り込みたい衝動と戦いながらも、ヘアピンを取って髪をほどき、服を雑に脱ぎ捨てるとシャワーを浴び、ドライヤーで髪をしっかり乾かし、スウェット姿でベッドに潜り込んだ。
 これは徹たちには言わなかったが、ひそひそとした囁き声は絶えずつきまとっていた。
 何を言っているかは分からない。ただ誰かがどこかで話している、もしくは独り言を呟くような現象は生死の境をさまよってからずっとある。
 最初は動揺して眠れず、そのたびに睡眠薬を処方してもらったりしたが、今では慣れっこでBGM代わり。
 それが良いかどうかは分からないけれど。
 眠りに落ちて行こうとしたその時、不意に頭の奧で光が弾けた。
 全身がぎゅっと強張る。
「っ……」
 無数の光の粒が水泡のように浮かんで消え、消えてはまた浮かぶ。
 その無数の光の粒の向こうから人影が迫る。
 事件現場で見た映像だ。
 相手のことを朝香は――いや、佳子はじっと見つめている。
(この感じ……)
 首を絞められるとは思っていない佳子に、恐怖はない。あるのはかすかな安堵と寂しさ。
 強制的に死者の意識を与えられた朝香はただただ戸惑うばかり。
 しんと静まりかえった闇の中で佇んでいる人影が不意に、両腕をこちらに向かって伸ばしてくる。その手が首にかかったかと思えば、問答無用に力がこもる。
 それまであった安堵や寂しさは吹き飛び、困惑と恐怖感が取って代わる。
 佳子は抵抗する。激しく揉み合いながらも、それでも相手の腕は確実に気道が狭め、意識が霞んでいく。
(やめて、やめて……)
 消えゆく意識の中でその言葉を繰り返す。
「――やめてっ!」
 朝香は目を開け、飛び起きようとしたが目の前に青白い片桐佳子の顔があった。もの言いたげな、切なさをたたえた表情。
 朝香の意識はそこでとんだ。
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