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文字数 5,712文字

 朝香は翌日、やかましいチャイムの音で目覚めた。
 うるさいチャイムの音にベッドの中で丸くなる。
(何なのよぉ。もう少し眠らせてぇ!)
 チャイムがやんで、ほっと息をついたのも束の間。今度はノック。
「おい! 法条! いるのか! 俺だ! 吉良だ! おい、いるんだろ!?
「先輩!?
 朝香ははっとして飛び起きた。
 デジタル時計はすでに午後十一時を回っていた。
 朝香は慌てて玄関に向かう。
「吉良先輩、すいません!」
 扉ごしに声を上げる。
「おい。寝坊かよ。勘弁しろ」
「すいません! すいません!」
 壁ごしに頭を下げる。
「謝罪は良い。早く出てこい!」
「わ、分かりました!」
 慌てて髪をとかし、服を着替え、部屋を飛び出す。
 後ろを向いている徹に近づき、「すみません」と恐る恐る声をかける。
「すみませんじゃないだろ。子どもじゃあるまいし。遅刻って……」
 徹は唖然とした顔をする。
「どうかしましたか……?」
「……お前、その格好hなんだよ」
「え? どこかおかしいですか?」
 朝香は自分の服を見るが、徹の言わんとすることが理解できない。
「ちょっと来いっ」
 徹に腕を掴まれ、部屋に引っ張り込まれる。
「吉良先輩! な、何ですか。離して下さい!」
「見てみろ!」
 徹は姿見を見つけると、朝香を前に立たせた。
 そこにはぴったりと身体のラインをこれでもかと露わにさせている、ボディコンシャスに姿を包んだ自分の姿があった。
「これが捜査員としての服か?」
「……おかしいな。私、こんな服を買った覚え、ないんですけど……」
 と、部屋の片隅には、大手ディスカウントストアの黄色い袋が置かれていた。
(あれ? このお店、最近は行ってないはずだけど……)
 徹は頭を抱える。
「……待て。落ち着け……いや、俺が落ちつこう。お前は、ちょっと座れ」
「はぁ」
 朝香はソファーに座った。
 一方の徹は眉間を揉み、「……っていうか短過ぎるだろ」とブツブツ言いながら辺りをウロウロする。
「先輩?」
「説明してくれ」
「……多分、片桐さんの影響だと思います」
「影響を受けると、お前はバブルの格好になっちまうのか?」
「……はい」
「これまでもか? ばあさんに取り憑かれた時は、ばあさんの服装になったのか?」
「いえ、さすがにそこまでは……。ただお茶を自分で入れる為に急須を買ったり、食べ物の好みが和風全般になったり、服の色が渋めになったりはしました……」
「寝坊もか?」
「これまで遅刻なんて一度だってありませんでしたし……。片桐さんが低血圧だったのかもしれません。夜のお仕事ですから起きるのがすごく億劫で……」
「そうだな。寝坊するような奴が捜一に行ける訳がないな」
 徹は腕時計を見る。何だかんだやっている間に、すでにお昼近い。
「き、着替えます」
「いや、待て。そのままでいろ。これから会う連中の動揺をそれで誘えるかも知れない」
「え、良いんですか」
「お前のそれが、事件に役立つことを祈ってるよ」
 徹は、そう少し捨て鉢気味に言った。
「課長には何と……」
「聞き込み先で合流するって言ってきた」
 ケータイを見ると、職場からの不在着信がずらずらと来ていた。
 昨日からどれだけ感謝してもしたりない。
「それからな。これ、犬童が調べてくれた片桐佳子の交際相手の工藤のデータだ」
「それでは話を聞きに……」
「無理だ。工藤は自宅で殺されてた」
「えっ」
「部屋から異臭がするとの住人の苦情で大家が部屋を訪れると、部屋の鍵が空いていたそうだ。不審に思って中を覗いてみると、玄関から入ってすぐのキッチンの床に腐りかけていた工藤雄馬の遺体があったらしい。検視によると死後一ヶ月半ほど経過。腹部に包丁による刺創が何カ所もあった。死因は出血性ショック」
「片桐さんの事件とのつながりは?」
「同時期に亡くなったと思われて、捜査本部も工藤雄馬の交友関係を調べたらしい。しかし怪しい人物はいても、特に決定打はなかった。こっちもお宮入りだ」
「工藤雄馬はどんな人間なんですか?」
「札付きのチンピラさ。少年時代は何度も補導されて、成人してからも暴行の前科あり。もちろん付き合いのあった人間もチンピラが多かった」
「……工藤雄馬を恨んでいる人間はたくさんいたということですね」
「借金もあったみたいだしな。――それじゃ聞き込みに行くぞ」
「了解です、先輩」
「吉良でいい。昨日から言おうと思ってたんだけど、先輩って呼ばれるのは好きじゃない」
「でも真誉は……」
「あいつは先輩は先輩じゃないですかってあんまりにしつこいからもう諦めたよ。まあ、あいつと一緒に行動する訳でもないしな。でもお前は吉良で良い」
「分かりました……。吉良、さん」
「まあ今はそれで妥協してやる。で、何か言いたそうな顔をしてるな」
「はい。実は今朝、映像を見たんです。犯人はゆっくりと片桐さんに近づいて来て首を絞めたようなんです。片桐さんは首を絞められるまで、人影が近づいても逃げようとはしませんでした。つまり、それって……」
「もしお前が見たのがただの幻覚や夢じゃなかったとしたら、犯人は顔見知りってことだな」
「はいっ」
「それでもっと格好がまともだったら、説得力も少しはあるんだろうけどなぁ」
「え。でも、これって十分いけてると思うんですけど――」
「バブルを経験してない俺には分からん」
「――犯人が近づいていた来た時、被害者に恐怖感はまるでなくって……。その代わり安堵と寂しさを感じていたんです」
 徹は少し戸惑う。
「もしお前が見たものが本当にあったとして。どうして寂しいんだ?」
「それは分かりませんが……」
「なあ。お前が見るその映像と受け止める感情っていうのは百パーセント被害者のものだけか? そこにお前の被害者に対する感情は混じらないのか?」
 朝香は力なくかぶりを振る。
「……それは何とも言えません」
 徹は溜息を吐く。
「ひとまず感情の方は置いておこう。知人の犯行という線で攻めよう」

 午前十時。朝香たちは坂本板金製作所を訪ねた。直接工場の方に顔を出すと、けたたましい機械音と共に工業機器が稼働し、昨日の昼休憩の時とは打って変わって工員たちが忙しなく作業に励んでいた。
 朝香たちを認めるなり、繋ぎ姿の男性が身体を起こし、ゴーグルを外して近づいてくる。
 坂本清だった。
 そして清は朝香を見るなり、唖然とした表情になる。
 工場にではなく、クラブ――今の朝香流に言うのならディスコか――にでもいくような派手な化粧とも相俟って、工場という職人の世界からかなり浮いている。
 徹は言う。
「すいません。こいつの格好は気にしないで下さい」
 すると清は感心する。
「いえ。何だか懐かしくって。ファッションは時代を巡ると言いますか……今はそういう服装が再び流行っているんですねぇ」
 朝香は言う。今なら清の心に、より近づけるのではないかと思ったのだ。
「片桐さんもこういう格好を?」
「……そうですね。仕事柄ということもあるのでしょうが……初めて見た時はどぎまぎしましたよ。妻はそんな格好は絶対にしませんでしたから……。時代とはいえ、すごく大胆な……。でもそのメイクと言い、まるで本当に……」
「片桐さんのようですか?」
「すみません。昔のことです。老人の戯言と聞き流して下さい。――ここではなんです。奧の部屋でお話しを……」
 目のやり場にこまった清は、他の工員たちが朝香の姿に鼻の下を伸ばしていることに気付いたのか、社長室の方へ促す。
 確かに百七十センチあるモデル体型の朝香に、ボディコンファッションというのは想像以上にマッチしていた。
 そして昨日のように向かい会う格好で席に着く。
「それで……お話しというのは」
 清はチラチラと朝香を見ながら言う。
 徹が切り出す。
「昨日、あなたが仰った美保子さんとお話しをして参りました」
「彼女は何と?」
「あなたの証言が真実だと認めました」
「そうですか」
 清はほっとしたように強張っていた表情を緩めるが、徹は鋭く攻める。
「ですが、あなたは昨日、お子さんが生まれてから一度も店を利用していなかったと仰っていましたね」
「え、ええ……」
「ですが美保子さんはあなたが片桐佳子さんが殺害されてから一週間ほどして店に連絡したと仰っていました」
 清は組んだ手に力を入れる。
「それは何かの間違いでしょう」
「いいえ。あなたの存在は店でもかなり有名だったそうですよ。どうですか」
 清は席を立ち、朝香たちに背を向ける。
「知りません。実はあなた方が来ることで、妻が心配しているんです。私は良き夫、良き父として生活しているんです。過去のあれは……過ちでした。平穏を乱さないで頂きたい。過去の新聞記事を図書館で調べましたが、彼女は強盗に遭ったんでしょう。お帰り下さい」
 朝香は立ち上がった。
「坂本さん。もしあなたが本当に一時でも片桐さんのことを本当に大切に想われているのでしたら、ご協力下さい。彼女は知り合いに殺害された可能性があるんです」
 清が振り返った。目が合ったその時、予兆を覚えた。
 抗うことの出来ない光の波が押し寄せ、身動ぐことも出来ないまま意識が呑み込まれてしまう。
 
 佳子視点の風景が目の前で浮かび上がれば、二人の人物が言い争っていた。
 一人は清だ。髪は当然黒々として、顔には皺もない。しかし右のこめかみの傷が彼なのだと教えてくれる。
 もう一人は分からない。黒々としたシルエットで、佳子の隣にいる清の胸ぐらを掴んでがなりたて、清は顔面蒼白だ。
 ――毛二度と近づくな。変態野郎!!
 やがてもう一人は清を突き飛ばし、朝香を――佳子の方を振り返ると、佳子の腕を掴むと引っ張っていく。佳子は逆らうことなく、引っ張られていく……。
(恐怖? いえ……これは、喜び……?)
 佳子が覚えた胸の温かさが朝香にも伝染する。
(でもどうして?)
 やがて光が薄らぐ。白い光に塗り潰されていた世界が急速に消えていく。

「ぁっ……」
 我に返った途端、朝香は倒れそうになって、危ういところで徹に支えられた。
 清は恐る恐る朝香に言う。
「大丈夫ですか? 救急車を呼びましょうか」
 徹は「いえ。こいつ、貧血気味で……」とやんわり取りなして、朝香に座るよう促した。
「……何か見えたのか」
 囁く徹に朝香は小さく頷くと、どうすれば良いのか分からず手持ちぶさたでいる清を仰ぐ。
「……あなたは以前、片桐さんとホテルから出て来た時、どなかと口論になっていますよね」
 清の目がかすかに見開かれる。
「な、何を仰っているんですか。そんなこと、私は……」
「あなたはその相手に詰め寄られ、なじられましたね。寄りにもよって片桐さんの目の前で」
「わ、私は……」
 徹が言う。
「坂本さん。もしあなたが犯人で無いのでしたら、正直に話して下さい」
 朝香は言う。
「あなたと口論した男性は片桐さんの手を引いてその場を去り、あなたは尻もちをついたままそれを見送った」
「どうしてそんなことまで……っ」
「目撃者がいたからです」
 朝香は嘘をつき、答えを促す。
 清は口を開けるも、小さな吐息くらいしか出なかった。
 目を伏せ、力なく椅子に座った。
「若い男性が突然現れて、もう二度と春菜さんに近づくなと詰られました。私は客だし、何より彼女を大切に扱っていると反論しました……でも、相手の勢いに完全に飲まれてしまって何も言い返せませんでした。確かに彼は片桐さんの手を引いて、私の前から去って行きました……」
「その若い男性というのは彼、ですか?」
 徹は工藤雄馬の生前の写真を提示した。
 清は一瞥するなり、首を横に振った。
「違います。もっとちゃんとした青年だったと思います」
「これまでそのちゃんとした青年と会ったことは?」
「ありません。初めてです」
 朝香は徹に耳打ちする。
「映像の中で片桐さんはその男性に助けられて喜んでいるようでした。片桐さんが嬉しいと思う気持ちが伝わって来たんです……」
 徹も声を潜める。
「浮気相手が殴り込んできたのか?」
「でも、それだったら仕事を辞めろとは言っても、二度と近づくなと客相手には言わないんじゃないですか」
「それもそうか……」
 清は、皺の刻まれた顔をくしゃりと悲しげに歪める。
「あの時のことが頭に残っていて足が遠のいていたんですが、やっぱりもう一度会いたいと連絡を……。そうしたら彼女はもう店にいないと言われました。詳しいことも教えてもらえませんでした……」

 清の元を辞去した朝香たちが車に戻るなり、徹が言う。
「もう一度、片桐佳子の身辺を洗うか。――で、ものは相談だけど、もしお前を工藤の殺害現場近くにやったらどうなる? お前にその……取り憑いてるかもしれない片桐佳子は消えるのか? それとも工藤と同居するのか?」
「……それは、まだやったことがないので、どうなるかは分かりません」
「なら、いかないほうが良いか。また入院にでもなったら困るしな……。なあ、でも人なんて方々で殺されてる。東京なら尚更だ。でもいつも憑かれてるって訳じゃないんだよな……?」
「多分ですけど、全く見ず知らずの幽霊……みたいなものとは波長が合わない気がするんです。調書を読み込んで、その人を理解することで、ようやく波長が合って……」
「――欠落が補われる?」
 徹の言葉に、朝香は「そんな感じです」と頷く。
「まあ、この調書からでも分かることはある。犯人は殺すつもりで工藤の許を訪問した。揉めた様子もないから、不意打ちを食らったんだろう。やり方は乱暴だが、相当恨んでいた奴だろう。言い争うこともなく問答無用に、だからな。――とにかく課に一端戻ろう。……まあ課長には何とか俺も助け船を出すけど、くれぐれも注意しろよ」
「わ、分かりました」
 朝香は頷く。
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