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文字数 1,624文字

 翌日、出勤した朝香は課長に昨日、英吉から知らされた事件のことを知らせる。
「――この8ミリフィルムの存在は事件当時、見落とされていました」
 報告書に目を通した愛一郎は頷く。
「良いでしょう。彼女が映画研究会の人たちと交流があったとすれば、そちらの線も調べる必要がありますね」
「殺害された辻美喜子さんには娘さんがいらっしゃって、都内在住ですのでそちらにも聞き込みをしようと思います」
 徹が小さく口笛を吹いた。
「もうそこまで調べてたのか。やる気満々だな」
 愛一郎が咳払いをする。
「吉良君。茶化すものではありませんよ」
 徹は肩をすくめた。
「やる気を(たた)えただけですってば」
「では早速取りかかって下さい。――犬童君は事件報告書の精査を、お願いします」
 真誉も頷く。
「了解ですっ」

 朝香たちがまず向かったのは国分寺(東都美大のある東大和駅まで十五分ほどの距離)。 辻美喜子が遺体となって発見された現場だ。
 駅から十分ほど行った府中街道沿い。遺体を発見したのは周辺を流していたタクシー運転手。時刻は午前二時。死亡推定時刻は、その日の昼から夕方。
 朝香たちは近くに車を停め、現場まで歩いて行く。
 徹が言う。
「久しぶりの先輩はどうだった?」
 朝香は微笑んだ。
「元気でした。警察時代よりも顔色が良かったくらいです」
「警官は生活が不規則だからなぁ。自営業の方がその辺りは楽そうだ」
「吉良さんも引退後は探偵に?」
「憧れないか? トレンチコートに中折れ帽。葉巻をくゆらせて……」
「そんな格好、今時目立ちまくってしょうがないですよ。路上喫煙だって場所を選ばなきゃならないし、店の中は分煙推奨だし」
「かーっ! せちがれえー!」
 徹の反応に笑いつつ、朝香は辺りを見回す。
「この辺りだと思います」
 当時の現場写真と、現在の風景を見比べながら徹が言う。
「あの古いアパートがまだあるから、そうだな」
 と、朝香はある所に目を留めた。
 住宅街へ入っていく脇道の出入り口部分で茫然と立ち尽くしている女性がいた。コートにマフラーを首に巻いている。
 今の季節は珍しくない格好だが、女性はぼんやりと立ち尽くして微動だにしない。
 彼女を映像で見た時には、白黒だった。
 しかし色がついてもすぐに分かった。
 朝香はゆっくりと近づいていく。
 と、女性――辻美喜子が振り返る。
 映像の中でもはっとするような美人だったが、実際こうして目の当たりにすると、やっぱり目鼻立ちの整った綺麗系の女性だと分かる。しかしだからこそ血の気が引き、生気のない姿がなおのこと痛々しい。
 目が合った刹那、かすかに風を感じたかと思えばすぐ間近に美喜子が迫る。
 息を呑んでいる内に交錯すれば、頭の中に映像が流れ込んでくる。

 見えたのは空。
 見上げているのではなく、朝香、いや、美喜子が仰向けに倒れているのだ。
 美喜子は息を吐き出し、ゆっくりと右手を後頭部に当てる。かすかな痛みと共に呻きが漏れる。
 手を見る。血がべっとりと張り付いていた。
 身体が凍えそうなほどに寒いのは、季節のせいだけではない。
 美喜子が感じるのは死への恐怖ではなく、襲われた悲しみでもなく、罪悪感。
 ――……ごめん、ね……。
 かすれた声でそう呟くと、そこで意識が切れた。

 眩暈から解放された朝香が我に返れば、
「……大丈夫か」
 徹が心配げに顔を覗き込んでいた。
「はい」
 朝香が自分が見たものを伝えると、徹は眉根を寄せた。
「ごめんね? 本当にそう謝ってたのか?」
「そうです。彼女は死の一瞬まで罪悪感を覚えていたようです」
「罪悪感……」
「もしかしたら、ご自分の死を悟って、一人残してしまう娘さんのことを想っていたのかもしれません」
「子を想う母心って奴か……。まだ何とも言えないな……。ひとまず美大に行こう」
「はい」
 朝香と徹は車まで戻った。
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