3-9

文字数 3,524文字

「……早めに済ませてもらえるとありがたいんです。これから作家さんとの打ち合わせがありますので」
 課に来て貰って、優貴は取調室に通されると落ち着かない様子で頻りに腕時計を見ていた。
 徹が向かい合う。
「打ち合わせ? あんたは、全くとんだペテン師だな」
「は? いきなり何ですか。失礼じゃないですか!」
「小岩井優貴……。大手出版社……の雑誌に記事を下ろすフリーのライター。出版社には確認済みだ」
 優貴は顔を強張らせる。
「……きょ、今日は証拠の確認じゃ……」
 徹は、朝香を芝居がかった調子で見る。
「そう言ったのか?」
「すみません。伝達ミスのようです」
 徹は威圧的に優貴に迫る。
「と言うわけだ。ペテン師め」
 しかし優貴は怯まず、応じる。
「後輩に見栄を張るのが罪なんですか。わ、私は見返りを求めたことなんて何もありませんよっ!」
「見栄を張るのは構わないが、人を殺すのは犯罪だ」
「殺す? 全然理解できないんですが……」
「ある物を手に入れた」
「ある物?」
 眉を顰めた優貴に広げたノートを置く。
「何だか分かるよな。これは、あんたと平山淳さんとの同志の証……。これはあんたが持ちかけた復讐ノートだ。そしてノートは怒りをぶつけたみたいに傷つけられている……」
「僕がこれをやったと? 馬鹿馬鹿しい。そんなことをする訳がないじゃないですか。僕とあいつは同志なんだ。友達なんて生ぬるいもんじゃない。僕たちには同じ境遇におかれた人間同士しか持ち得ない絆があったんです!」
「事件の夜はどこで何を?」
 優貴は目を背けた。
「……そんなのは忘れました。何十年前の話だと思ってるんですか」
「あんたは公園で、平山淳の練習に付き合ってたんだろ。その夜もそうだったんじゃないか?」
「かもしれません。でも僕は殺してない。それとも証拠が?」
 徹は優貴の顔を覗き込みながら、せせら笑う。
「どうした? 何をそんなに焦ってる?」
 徹は、優貴の右手を掴んだ。
「は、離さないで下さい」
「手の平が汗でベトベトだ。動揺してるのか?」
 優貴は憤りに目を見開きながら、立ち上がる。
「これは任意ですよね。仕事がありますので失礼しますっ!」
 ここで逃がす訳にはいかないと、朝香は行く手を塞ぐ。
「唯一の同志に裏切られて、さぞ苦しかったでしょう」
「何ですって?」
「淳さんをいじめていた方から証言がありました。彼は淳さんに謝り、淳さんはそれを受け容れたと」
「嘘だ。そいつが嘘を言ってるんだ。僕らは同志だ。僕らをいじめた奴らに復讐することを誓い合った同志だ。裏切る訳が無いっ!」
「もう誰かを憎んだりするのは嫌だって、いつまでも過去を見ていたくないから……そう仰ったそうです」
 優貴の目に怒りの感情を滲む。
「適当なことを言うなっ!」
「あなたは可愛そうですね。いつまでも過去に囚われ、虚勢を張って生きている。淳さんはそこから抜け出そうとして。彼はかつて自分をいじめていた相手と和解した。そしてもう復讐は終わりにすると――」
「終わりになんて、させないっ!!
 優貴が苛立ちをぶつけるように天板を叩く。
 バンッ! 硬質な音が室内に響くと同時に、朝香の目の前が真っ白な光に包み込まれていく。
 何もかもが染め上げられた次の瞬間、色彩が反転する。

 青白い顔で憤りを露わにする優貴の顔の残像が若返り、そして浮き彫りを深くする。
 眩映の世界が広がる。
 そこは公園だ。そして優貴が、淳を睨み付けていた。
 ――淳。今、何て言った……?
 ――いじめられてた時にはそのことで頭が一杯だったけど、世界は広いんだ。僕がついこの間まで、ジャズを知らなかったみたいに。いつまでも復讐なんて考えていても仕方が無いよ。
 ――あの男を許したのか? 淳を退学させたんだよ!?
 ――……分かってる。でももう終わったことだって、気にしてないって言ったらすっとしたんだ。自分でもこんな気持ちになるなんて不思議なんだけど……
 ――僕たちの関係は? 同志だって誓い合ったのに!
 ――同志だよ。でもいつまでも拘ってるのはやっぱり何も生まない。今、熱中することがあれば僕はそれで……
 ――淳。僕のことを馬鹿にしてるのか……?
 優貴の声のトーンが落ちる。かすかに震え、必死に何かを押し殺しているような、怖さを孕んでいた。
 ――ち、違うよ。そんなこと……。
 ――うるさい! お前みたいに音楽の才能も何もない僕を見下してるんだろっ!
 ――優貴? ど、どうしたの?
 ――復讐に拘っている僕をキモいとか思ってたんだろ!?
 淳の心を支配するのは恐怖だった。つい数秒前まで友人だったはずの友人が、理解出来なくなり、全く異質の存在に見えてしまう。
 身体が震え、心が萎縮してしまう。
 それこそイジメっ子と向き合った時のように。
 ――おい、何とか言えよ! 図星なのかよっ!
 逆上した優貴から凄まれ、迫られた。
 気付けば、淳は親友で同志だったはずの相手に、背を向けて駆けだしていた。
 一刻も早く逃れたい一心で、萎えそうになる膝を懸命に動かす。
 限界が来て、ヨロヨロしながら目の前にあった池の周りを囲んでいる手すりに手を突き、大きく肩を荒く上下させながら、呼吸を繰り返す。
 目の前に、真っ暗な池が広がっていた。
 背後に人の気配がした。振り向くまいと手すりを掴んだ手に力を込める。
 早く何もかも過ぎ去って欲しい――考えるのは、そのことばかり。
 と、地面に置いていたクラリネットケースが引っ張られる。それに気づき、振り返ろうとした瞬間。
 ――裏切り者ぉぉぉ!!
 優貴の絶叫。直後に後頭部に激しい衝撃に頭が揺さぶられてしまう。
 淳の身体は柵を乗り越え、頭から落ちた。

 朝香は現実世界に戻るが、淳の恐怖感が伝染した感覚からはすぐに立ち直れるものではない。それでも朝香は優貴と向かい会う。
「……小岩井さん。あなたは見下されてると感じたんですよね。彼にはあなたにはない、音楽で人の心を揺さぶれる才能があったから」
 優貴は驚きに目を瞠る。
「……な、何を」
「まだ白を切るんですか? あなたはあの公園で逃げ出した淳さんを追いかけ、追い詰めた。あなたを追い詰めたいじめっ子のように、あなたは同志と誓い合った淳さんを追い詰めた。裏切り者だと勝手に決めつけて……」
「ち、違……っ!」
 呻くように否定の言葉を口にする。
「違う? 何が違うんですか。最初に裏切ったのは、あなたです。淳さんはあなたとの関係を大切にしたかっただけなんです。あなたのことを否定してはいなかった。なのに、あなたは勝手な気持ちを押しつけ、勝手に裏切られたと逆上した……」
 朝香は、ゆっくりと近づく。
 優貴が悲鳴を上げる。
「や、やめろ……来るな、近づかないで!」
「あなたは、淳さんが一番大切にしていた楽器で彼の頭を殴りつけた。同志と呼んでいた彼を……。今も殴った時の感触が、あなたの手には残ってるはずです」
 小刻みに震える優貴は自分の手を見、そして優貴の見開かれたままの目がマジックミラーをちらと見た瞬間、彼は、「あ、淳っ!?」と後退ったかと思えば、頭を庇う。
「淳! やめてくれ! 淳! 許してぇっ! あああああ……殺すつもりなんて無かったぁ……カッとなって、お前が逃げたからぁ……許してぇぇぇ……!!
 引き攣った声が、室内に響き渡った。

 容疑者である優貴が連行された後の取調室に、朝香は一人残っていた。
 まだ自分の中に淳がいるのを意識する。
(まだ無念が? それとも犯人は別に? ……いえ。そんなはずない。あの眩映は間違いないはずだし、小岩井は自白した……)
 でもそれなら一体――。
 朝香は取調室のマジックミラーを見る。
 と、朝香だった姿が、紙のように真っ白な顔をした淳に見えた。
 言葉こそ発しないが、その眼差しが何かを訴えてきていた。
(淳さん、何が言いたいの?)
 念じるように心の中で訴えかけると、あることに気付く。
 彼は左手にクラリネットを握りしめていたのだ。
 そしてはたと気付く。
(……そうね。聞かせたい音色がある、ということね)
 朝香はマジックミラーに向かって微笑んだ。

 私立梶野学園高等学校の音楽室。
 そこに平山淳の両親が、いた。
 朝香はクラリネット持ち、脇を固めるように恩田隆介教諭を含んだ音楽サークルの面々がそれぞれに楽器を手にしている。
「息子さんが奏でたかった音色をお二人に届けます」
 朝香はそっとクラリネットに口を寄せた。
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