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文字数 3,393文字
大学を出た朝香たちが次に向かうのは、北品川だ。
そこに被害者である辻美喜子 の娘、辻真紀 が代表を務めている貿易会社がある。彼女の情報は英吉が教えてくれたものだ。
運転をしながら、徹が言う。
「謎の美人女優、ね……。そんな女性がどうして現住所とは正反対の場所に? 自宅は確か荒川だ。映画に出ようにも大学生のお遊びサークルにわざわざ撮影される為に行くか?」
朝香は英吉から渡された資料を見直す。
逮捕当時の夫の憔悴してげっそりと痩せた顔が添付されている。
「――娘さんの辻真紀さんは母親の死後、施設に引き取られています」
「父親は何してたんだ?」
「父親は妻が亡くなった二日後に、酔っ払って喧嘩騒ぎを起こし、傷害で逮捕。過去にも暴行の前科があったために、実刑で収監されたようです」
「親戚は?」
「父方も母方もどちらもいないようです」
「母親は殺害されて、父親は実刑……。あんまりだよな」
「事件当日、当時中学生だった真紀さんは地元で補導されているみたいです」
徹は頬杖を突く。
「不良だったのかね。当時の中学は、校内暴力華やかかりし時代だろ?」
「他に補導の記録は、ありません」
「まあでも暴行の前科のある父親の元で育ったんじゃ、俺も家に帰りたくないよな。そうでなくたって、俺も友達とつるんで深夜徘徊してたし」
「でも真紀さんは立派に独り立ちされたんですよね」
「何せ社長、だっけ? ……今頃母親のことを知らせるのは心苦しいが」
「そうですね……。でも犯人逮捕まで漕ぎ着けられるかもしれませんから」
「だったら良いんだけどな」
そして北品川に到着する。目的地は、瀟洒な十階建ての建物。案内板にある最上階のフロアの社名は、『株式会社辻交易サービス』。
受付で警察バッジを見せると、奥からスカートスーツ姿の女性が颯爽と現れる。髪をボブにした女性はハキハキとした印象を抱かせ、四十代前半のはずだが、若々しく上品だ。
現役バリバリで活力に満ちている。何より彼女の顔には8ミリの美人――辻美喜子の面影があった。特に涼やかな目元は瓜二つ。
真紀が言う。
「警察の方だそうですね。ここの代表を務めております辻と申します」
徹達は警察バッジを見せ、自己紹介する。
「お聞きしたいことがございまして」
真紀は眉を顰める。
「うちの従業員が何か?」
「いいえ。従業の方ではなく、あなたにです」
真紀は表情を曇らせる。
「私、ですか?」
「正確に言えば、あなたのお母様に」
すると真紀の顔色が少し変わる。
「……奧へ」
通されたのは、社長室だ。部屋のインテリアにはインドの国旗や象の置物、腕のたくさんある全身が真っ青で、長髪の男性の像などインドカラーで統一されていた。
徹は室内を見回す。
「インド色たっぷりですね」
革製の椅子に座った真紀は母親譲りの大きな口を笑みで綻ばせる。
「今はインドのカルカッタにある企業とのやりとりを重視しておりまして。インドの文化に親しもうと思いまして」
「中国じゃないんですか?」
「もちろん中国もうちの取引先にはありますが、あちらは日本とは国家体制が異なりますし、何かと火種も抱えていますし、先が読めないところもありますので。。今後はインドがますます発展していきます。ですから今のうちに、と思いまして」
「さすがは、やり手の女社長さんだ」
「社員のことも考えてますから。――それで母のことですよね」
朝香は頷く。
「お母様が事件に遭われたことは?」
「知ってます。母の遺体を確認したのも私ですから」
「そうでしたか……。ご愁傷様です」
「もう昔のことですから。それで?」
「あ、はい。実はお母様を撮影した8ミリフィルムが発見されたんです。東都美大の映画研究会というサークルの方が……撮影されたようなんです」
真紀は形の良い眉を顰める。
「美大の、ですか?」
「何かご存じないかと思いまして。こちらです」
朝香はノートパソコンで映像を再生させる。
粉雪を背景に、ワンピース姿の女性がくるくると回っている。輝く笑顔は真冬の夜を背景によく映えていた。
真紀は辛そうに表情を曇らせ、
「……母です」
そう絞り出すような声を漏らす。
「申し訳ありません……。お気持ちも考えず、突然見せてしまって……」
「……いえ、良いんです」
真紀は静かに首を横に振った。
「ごめんなさい。母はよくこうして家でも踊ったので……。祖父から貰ったレコードプレイヤーで『DO IT!』とか『ニューヨーク・バスストップ』とか当時のディスコでかかっていた人気の曲を。母は父とはディスコで出会ったらしくって。ただそういうものにそれほど興味のなかった私からすると、そんな母が恥ずかしくって呆れながら見てましたけど」
「そういう気持ちは分かります」
朝香が相槌を打つと、真紀はにこりと微笑んだ。
「これを撮影された方は?」
「それを現在探している所です。お母様から何か話は聞いていませんでしたか?」
「いいえ」
「国分寺方面に出かけたという話も、ですか?」
「母が見つかった場所ですよね。知りませんが、でも私が学校に行っている時に出かけたということはあるかもしれませんが」
「国分寺にはお知り合いがいるという事もありませんか?」
「母は専業主婦でしたし、行動力があるという方でもなかったと思います」
「そうですか。……突然押しかけてしまったのに、ありがとうございます」
「良いんです」
徹は何か見えたか、と目配せをしてくる。
朝香は小さくかぶりを振ると、真紀に名刺を渡す。
「もし何かあればいつでも連絡を下さい」
「分かりました」
そして部屋を出際、朝香は何とはなしに振り返った。
締まりかけた扉。そのかすかな隙間から垣間見えた真紀の姿。
「っ」
頭の深い場所に疼きが走る。
疼きはやがて頭の全てを覆い、目の前を白く塗り潰す。
そして逆らいようのない眩映が始まる――。
立ち上がったのは半開きになった扉、かすかに見える室内の様子……。
もちろん覗いているのは、美喜子だ。
――おい、何だその目は!
響く怒号。
ティーシャツに、よれよれのズボン姿の男が、少女――真紀の右腕を掴んでいる。
男の顔は真っ赤で、酔っているのは明らかだ。
――パパ、い、痛いっ!
その様子を覗き見ている美喜子の吐息は震え、恐怖で身体が竦み、その場から動くことが出来なかった。
扉まで一メートルもない。手を伸ばせば届く距離、それでも腕を伸ばして娘を助けることが出来ない。
――ママぁ!
娘が自分のことを呼ぶ。
――ワァワァわめくなっ!!
頬を張られ、悲鳴が響く。
美喜子は目を閉じ、耳を塞ぐことしか出来なかった。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……美喜子はそう口の中で呟き続けた。
現実に戻った時、朝香は足がへなってしまい、その場に座り込んでしまった。
徹が朝香を起こそうとするよりも先に、真紀が部屋から飛び出してくる。
「刑事さん、大丈夫ですか!?」
「あ、はい……」
嫌な汗が背を流れてしまう。
真紀が手を差し出してくる。
「手を」
「……あ、ありがとうございます」
朝香は真紀の手を取ろうとするが、さっきの映像が脳裏に痛いくらい焼きついているせいで、手を握ることを躊躇ってしまう。
「遠慮は無用です」
朝香の手を掴んで起こしてくれ、ソファーに座らせてくれる。
「あ……」
手が離れると、別れがたさを覚えた。これは真紀の母、美喜子の想いだ。
(美喜子さんは真紀さんを本当に愛していたんだ……)
真紀は心配そうな顔だ。
「貧血ですか?」
「も、もう大丈夫です。ありがとうございます」
徹が頭を下げる。
「申し訳ございません。では我々はこれで失礼します」
「お大事に」
真紀に見送られながら建物を後にする。
徹に支えられながら車に戻る途中、眩映で見たものを伝えた。
「虐待、か」
「それを見ていた美喜子さんはとても怖がっていました。夫の姿を見る限り……」
「常習者?」
「……だと思います」
「もしそうなら容疑者が浮上したな。娘にだけ手を上げるっていうのは考えにくいからな」
「そうですね」
そこに被害者である
運転をしながら、徹が言う。
「謎の美人女優、ね……。そんな女性がどうして現住所とは正反対の場所に? 自宅は確か荒川だ。映画に出ようにも大学生のお遊びサークルにわざわざ撮影される為に行くか?」
朝香は英吉から渡された資料を見直す。
逮捕当時の夫の憔悴してげっそりと痩せた顔が添付されている。
「――娘さんの辻真紀さんは母親の死後、施設に引き取られています」
「父親は何してたんだ?」
「父親は妻が亡くなった二日後に、酔っ払って喧嘩騒ぎを起こし、傷害で逮捕。過去にも暴行の前科があったために、実刑で収監されたようです」
「親戚は?」
「父方も母方もどちらもいないようです」
「母親は殺害されて、父親は実刑……。あんまりだよな」
「事件当日、当時中学生だった真紀さんは地元で補導されているみたいです」
徹は頬杖を突く。
「不良だったのかね。当時の中学は、校内暴力華やかかりし時代だろ?」
「他に補導の記録は、ありません」
「まあでも暴行の前科のある父親の元で育ったんじゃ、俺も家に帰りたくないよな。そうでなくたって、俺も友達とつるんで深夜徘徊してたし」
「でも真紀さんは立派に独り立ちされたんですよね」
「何せ社長、だっけ? ……今頃母親のことを知らせるのは心苦しいが」
「そうですね……。でも犯人逮捕まで漕ぎ着けられるかもしれませんから」
「だったら良いんだけどな」
そして北品川に到着する。目的地は、瀟洒な十階建ての建物。案内板にある最上階のフロアの社名は、『株式会社辻交易サービス』。
受付で警察バッジを見せると、奥からスカートスーツ姿の女性が颯爽と現れる。髪をボブにした女性はハキハキとした印象を抱かせ、四十代前半のはずだが、若々しく上品だ。
現役バリバリで活力に満ちている。何より彼女の顔には8ミリの美人――辻美喜子の面影があった。特に涼やかな目元は瓜二つ。
真紀が言う。
「警察の方だそうですね。ここの代表を務めております辻と申します」
徹達は警察バッジを見せ、自己紹介する。
「お聞きしたいことがございまして」
真紀は眉を顰める。
「うちの従業員が何か?」
「いいえ。従業の方ではなく、あなたにです」
真紀は表情を曇らせる。
「私、ですか?」
「正確に言えば、あなたのお母様に」
すると真紀の顔色が少し変わる。
「……奧へ」
通されたのは、社長室だ。部屋のインテリアにはインドの国旗や象の置物、腕のたくさんある全身が真っ青で、長髪の男性の像などインドカラーで統一されていた。
徹は室内を見回す。
「インド色たっぷりですね」
革製の椅子に座った真紀は母親譲りの大きな口を笑みで綻ばせる。
「今はインドのカルカッタにある企業とのやりとりを重視しておりまして。インドの文化に親しもうと思いまして」
「中国じゃないんですか?」
「もちろん中国もうちの取引先にはありますが、あちらは日本とは国家体制が異なりますし、何かと火種も抱えていますし、先が読めないところもありますので。。今後はインドがますます発展していきます。ですから今のうちに、と思いまして」
「さすがは、やり手の女社長さんだ」
「社員のことも考えてますから。――それで母のことですよね」
朝香は頷く。
「お母様が事件に遭われたことは?」
「知ってます。母の遺体を確認したのも私ですから」
「そうでしたか……。ご愁傷様です」
「もう昔のことですから。それで?」
「あ、はい。実はお母様を撮影した8ミリフィルムが発見されたんです。東都美大の映画研究会というサークルの方が……撮影されたようなんです」
真紀は形の良い眉を顰める。
「美大の、ですか?」
「何かご存じないかと思いまして。こちらです」
朝香はノートパソコンで映像を再生させる。
粉雪を背景に、ワンピース姿の女性がくるくると回っている。輝く笑顔は真冬の夜を背景によく映えていた。
真紀は辛そうに表情を曇らせ、
「……母です」
そう絞り出すような声を漏らす。
「申し訳ありません……。お気持ちも考えず、突然見せてしまって……」
「……いえ、良いんです」
真紀は静かに首を横に振った。
「ごめんなさい。母はよくこうして家でも踊ったので……。祖父から貰ったレコードプレイヤーで『DO IT!』とか『ニューヨーク・バスストップ』とか当時のディスコでかかっていた人気の曲を。母は父とはディスコで出会ったらしくって。ただそういうものにそれほど興味のなかった私からすると、そんな母が恥ずかしくって呆れながら見てましたけど」
「そういう気持ちは分かります」
朝香が相槌を打つと、真紀はにこりと微笑んだ。
「これを撮影された方は?」
「それを現在探している所です。お母様から何か話は聞いていませんでしたか?」
「いいえ」
「国分寺方面に出かけたという話も、ですか?」
「母が見つかった場所ですよね。知りませんが、でも私が学校に行っている時に出かけたということはあるかもしれませんが」
「国分寺にはお知り合いがいるという事もありませんか?」
「母は専業主婦でしたし、行動力があるという方でもなかったと思います」
「そうですか。……突然押しかけてしまったのに、ありがとうございます」
「良いんです」
徹は何か見えたか、と目配せをしてくる。
朝香は小さくかぶりを振ると、真紀に名刺を渡す。
「もし何かあればいつでも連絡を下さい」
「分かりました」
そして部屋を出際、朝香は何とはなしに振り返った。
締まりかけた扉。そのかすかな隙間から垣間見えた真紀の姿。
「っ」
頭の深い場所に疼きが走る。
疼きはやがて頭の全てを覆い、目の前を白く塗り潰す。
そして逆らいようのない眩映が始まる――。
立ち上がったのは半開きになった扉、かすかに見える室内の様子……。
もちろん覗いているのは、美喜子だ。
――おい、何だその目は!
響く怒号。
ティーシャツに、よれよれのズボン姿の男が、少女――真紀の右腕を掴んでいる。
男の顔は真っ赤で、酔っているのは明らかだ。
――パパ、い、痛いっ!
その様子を覗き見ている美喜子の吐息は震え、恐怖で身体が竦み、その場から動くことが出来なかった。
扉まで一メートルもない。手を伸ばせば届く距離、それでも腕を伸ばして娘を助けることが出来ない。
――ママぁ!
娘が自分のことを呼ぶ。
――ワァワァわめくなっ!!
頬を張られ、悲鳴が響く。
美喜子は目を閉じ、耳を塞ぐことしか出来なかった。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……美喜子はそう口の中で呟き続けた。
現実に戻った時、朝香は足がへなってしまい、その場に座り込んでしまった。
徹が朝香を起こそうとするよりも先に、真紀が部屋から飛び出してくる。
「刑事さん、大丈夫ですか!?」
「あ、はい……」
嫌な汗が背を流れてしまう。
真紀が手を差し出してくる。
「手を」
「……あ、ありがとうございます」
朝香は真紀の手を取ろうとするが、さっきの映像が脳裏に痛いくらい焼きついているせいで、手を握ることを躊躇ってしまう。
「遠慮は無用です」
朝香の手を掴んで起こしてくれ、ソファーに座らせてくれる。
「あ……」
手が離れると、別れがたさを覚えた。これは真紀の母、美喜子の想いだ。
(美喜子さんは真紀さんを本当に愛していたんだ……)
真紀は心配そうな顔だ。
「貧血ですか?」
「も、もう大丈夫です。ありがとうございます」
徹が頭を下げる。
「申し訳ございません。では我々はこれで失礼します」
「お大事に」
真紀に見送られながら建物を後にする。
徹に支えられながら車に戻る途中、眩映で見たものを伝えた。
「虐待、か」
「それを見ていた美喜子さんはとても怖がっていました。夫の姿を見る限り……」
「常習者?」
「……だと思います」
「もしそうなら容疑者が浮上したな。娘にだけ手を上げるっていうのは考えにくいからな」
「そうですね」