3-8

文字数 2,606文字

 朝香たちの姿に気付くと、店から清正が出て来た。
 周りをキョロキョロしながら近づいてくる。
「……また、ですか」
 清正の声には深い疲労が滲んでいた。
 徹は険のある言葉を返す。
「呑気なもんだな。嘘つきのくせに」
「ど、どういう意味ですか」
 朝香は腕を組んで、威圧的に構える。
「更生したなんて嘘。石を投げこんだことも黙ってたし」
 清正は、必死になって弁解する。
「わ、忘れてただけです。それに認めましたっ」
「でも証拠が、あると分かってようやく、でしょ?」
 清正は今にも泣き出しそうな声を漏らす。
「何が言いたいんですか。私は本当に殺してないんですよ!」
「あなたが平山さんに絡んだという、証言があったの。平山さんが亡くなる数日前に……」
 分かりやすく、清正の顔から血の気が引く。
 徹は、その瞬間を見逃さなかった。
「どうやら心当たりがあるらしいな」
「あ、あの時は確かに頭に血が上って……」
 徹は鼻で笑う。
「でも傍に父親がいたから、その場は引いて後日……」
「ち、違います! ……違う。あれから何日か経って、公園で淳を見たんだ。あいつ、泣きながらクラリネットを吹いてたんだ。俺、そん時は冷静だったから、あいつに声をかけたんだ。前のことを謝ろうと思って……」
 徹が眉を顰める。
「どうして泣いてたんだ?」
「……親とモメて家を飛び出したらしい。で、色々と話して、謝ったんです」
 徹は呆れたようにかぶりを振る。
「そうか。いじめっ子が改心して謝罪か。本当に最悪だな。謝ってお前は気が楽だったろうが、向こうからしたら大迷惑だ」
「で、でもあいつは許してくれました」
「お前がそう都合良く解釈しただけじゃないのか?」
「ち、違いますっ! あいつは、もう誰かを憎んだりするのは嫌だって、いつまでも過去を見ていたくないからって……全てを水に流すって……それで、綺麗な曲を聞かせてくれたんです」
 朝香は尋ねる。
「ジャズですか?」
「……詳しくないので何の曲かは、分かりませんでしたけど……」
「どうして泣いていたのかは、聞きましたか?」
「父親とモメたそうです。楽器を取り上げられそうになったから、逃げてきたって……」
 徹が清正を睨み付ける。
「で、曲を聞いて別れたのか?」
「あいつ。復讐はやめるって言って……。意味は分かりませんでしたけど」
 店から清正の妻が出て来て、こちらを心配そうに見つめていた。
 朝香は小さく息を吐く。
「これ以上、あなたの言葉に嘘がないことを祈ります」

 課に戻る途中の車内で、朝香が言う。
「吉良さん、知ってますか? 淳さんが演奏しようとしてた曲の作詞家のベニーグッドマンって、アメリカで初めて黒人と組んだ人なんですって」
「へぇ。そりゃ度胸があるな。未だに黒人差別が残ってるのに……」
「当時、相容れないはずの人種が一緒の素晴らしい音楽を奏でる――素敵ですよね」
 徹は笑う。
「すっかりその曲が、気に入ったみたいだな。仕事中にも聞いてるみたいだし」
「ふふ。アルバムも買っちゃいました。吉良さんは好きになれませんでしたか?」
「そういう訳じゃないけど、そこまではまらなかったってだけ」
 ステアリングを繰りながら徹は苦笑する。
「淳さんがベニーグッドマンの曲をご両親に聞かせるつもりだってのは、ただ単純に曲が気に入ってたってだけじゃないような気がするんです。ご両親と――いえ、お父様との間の確執をこれでどうにか出来ればって思ったんじゃないかって。相容れない二つの人種が一つになってハーモニーを奏でたように……」
 徹は笑みを引っ込め、真剣な顔になる。
「――そんな夢を抱く奴を、殺す奴がのうのうとのさばってる」

 朝香たちが課に戻って来ると、見覚えのある女性がいることに気付く。
 女性――平山秀美は朝香たちに気付くと、折り目正しく頭を下げる。
 初めて会った時よりもその顔には憔悴の色が見られた。
 朝香は歩み寄る。
「秀美さん? どうかされたんですか?」
「これを、お渡ししたくって……」
 秀美は手にしていたノートを差し出す。
 朝香は受け取ったノートを見る。おそらくカッターか何かで傷つけられたらしく、傷だらけだった。
「夫には黙っていたんですが……。息子が亡くなって暫くして、息子の部屋を整理していた時に見つけたものです」
「このノートは?」
「……息子が学校で使っていたノートです。あの子が、ここまで鬱憤を溜めていたなんて、少しも知らなくって……」
 朝香は秀美の物言いから察する。
「これを息子さんがやったと……?」
「そうでなければ誰がこんなことをするって言うんですか。いくら夫が頭に血が上りやすいとはいえ、こんなことまでするとは思えません……」
 秀美をハンカチで拭う。
「これがあったから、演奏の予定を知っていたのに、自殺を疑われたなかったんですね」
「……ええ。でもそれだけではないんです」
「どういうことですか?」
「中を見て頂ければ……」
 朝香がノートを開けば、復讐相手という文字が飛び込んできた。
 そこには富川清正の名前と、“いじめてきたクソ野郎”と、記されていた。
「……息子がこんなにも思い悩んで苦しんで、それをこうしてノートにぶつけていた何て……。全然子どもを見ていなかったと痛感していて……」
「――お母様。このノートをお預かりしても良いでしょうか」
「え、ええ……。お役に立つのでしたら……でもこれでは息子が自殺したという話を補完してしまうんじゃないでしょうか……」
「我々の調べて淳さんが、暴力的だという話はありませんでした」
「……そうですか」
 朝香たちにノートを託すと、秀美は真誉に案内されて課を出て行く。
 徹は朝香からノートを受け取り、しげしげと眺める。
「これ。小岩井の言ってた復讐ノートだよな。これをやったのは本人じゃないと思うのか?」
「やる理由がありません。だって他の物には特にこんな痕跡はなかったんですよ。そして、もう誰も憎みたくない――富川さんの言葉を信じるなら、淳さんはそう言っていた……」
 徹は、朝香の言わんとすることを理解したようだった。
「もしそのことを知ったら、同志は怒るだろうな。このノートに恨みをぶつけたくもなる」
「ノートだけじゃないかもしれません」
 朝香は言った。
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