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文字数 2,261文字

 二日後の午後三時。朝香たちの姿は、文京区湯島にあった。
 その雑居ビルの地下に目的のスナックはある。
 まだ営業前で電気の消えた看板には『かほる』とあった。
 店の出入り口の扉には、『準備中』の札が下がる。
 ここは、(かおり)こと仁科千秋(にしなちあき)がキャバクラを辞めた後、独立して開業した店だ。前の勤務先であるキャバクラ店員が、ここの常連で教えてくれたのだ。
 朝香たちが店に入ると、きんぴらゴボウの良い香りが鼻腔をくすぐる。
 カウンターの中にいた女性が顔を上げた。
「ごめんなさい。まだ準備中で……」
「仁科さん、ですか?」
 本名を呼ばれ、仁科千秋は怪訝な顔をする。
 朝香たちは警察バッジを見せて名乗れば、嫌そうな顔をされた。
 警察と名乗って諸手で歓迎される方が珍しい。至って普通の反応だ。
「うちは暴力団とは関係ないですよ」
 真誉が言う。
「そうじゃないんです。我々は過去の未解決事件を担当していまして……」
「それで?」
「今、伊達清直さんの事件を追っているんです。お話しをお聞かせ願えませんでしょうか」
「あぁ……伊達さん……。確かに亡くなったって聞いたけど」
「そうです。それで聞き込みをした結果、あなたが……伊達さんと親しかったという話があったんです」
「親しかった? ただの客とキャストの関係だけど?」
「キャスト……?」
「キャバ嬢のこと」
「あ、そうなんですね。すみません……。えっと……」
 言葉に詰まった真誉に、千秋が小さく吹き出す。
「あ、ごめんなさい。あんまりにも可愛い刑事さんだから。誰に聞いたか知らないけど、男女の関係じゃないわよ」
「違うんですか?」
「確かに伊達さんは逞しくって男らしくって、頼り甲斐のありそうな人だとは思うけどね。私はシングルマザーだし、そんなのは男が一番嫌うタイプでしょ? ……お互い子どもがいるって話で盛り上がってただけ」
 千秋は長財布から写真を取り出し、見せてくれる。
 高校の卒業式のもので、校門前で母子二人のツーショットだ。
「この子が今や立派な社会人だからね。伊達さんの子どもも女の子で、私の娘と同年代って話でね……」
 真誉が聞く。
「伊達さんはお子さんに会われていたんですか?」
 千秋は、首を横に振った。
「子どもが出来て、奥さんに組をやめて欲しいって言われたらしいんだけど、すぐにはやめられないってことで別れを切り出されたらしくって」
「……仁科さんの旦那さんも、そちらの業界の?」
「違う違う。うちはただのバカなヒモ。速攻、家から叩き出してやったわよ。だからこそ、伊達さんには奥さんの元に戻った方が良いんじゃないってアドバイスしたの。女一人の子育ては大変だから。子どもの思春期って、うちの娘がそっくりさんの別人と交換されちゃったんじゃないかって疑いたくなるほどだったから……」
「伊達さんは娘さんについて何と?」
「娘さんが生まれたばかりの時に家族旅行した時の写真を見せてくれてね。今ならもうそろそろ小学校高学年くらいだって。何度も見たんだろうなって結構が皺だらけで……。娘さんのことを話してた時の伊達さん、とっても優しい顔をしてた」
「それでも組は辞められないと?」
「……微妙な顔をしてたわね。今は無理だって」
「今は? 何故かは言ってましたか?」
 千秋は肩をすくめた。
「さあ。でもヤクザってのも色々しきたりがあるってことじゃないかしら」
「伊達さんが誰かと揉めていたという話は知りませんか?」
 そうね……そう呟き、千秋は虚空を見つめる。
「私が話を聞いたって訳じゃないんだけど、店で伊達さんと志村って人が――」
「志村均さん、ですか?」
「そうそう。小柄でいやらしい目つきの奴。そいつと伊達さんがモメてて。その時は違う席にいたから、よく分からなかったけどね。いつもヘラヘラしてたその人が珍しく怖い顔してたから妙に覚えてて……」
「他に何か伊達さんのことで気になったことはありませんか?」
「……そういえば、何か様子が変だったことはあったわね……。お酒飲んでて、物憂げな表情をしてたかと思えば、何かすぐに帰っちゃったり……」
「それは志村さんに関係あることですか?」
「さぁね。でもとんでもない業界だし、色々ある程度にしか思わなかったから……」
「ありがとうございました。もし他に思い出しましたら、こちらまでご連絡をお願いします」
 真誉は頭を下げ、名刺を渡した。

 店を出た朝香は、真誉に笑いかける。
「真誉。馴れて来たね」
 真誉はモジモジした。
「そ、そうですか?」
 朝香は微笑んだ。
「誰にも初めてはある。……あなたの言う通りね」
「ふふ、ですね……。ところで先輩、伊達さんの遺品の中に写真ってありまたっけ?」
「確認してみる」
 朝香は徹に連絡をし、清直の遺留品のチェックをお願いした。十分ほどして連絡が返ってきたものの、家族写真は無いという答えだった。
「なかったわ」
「……先輩が見た眩映で、伊達さんが返してくれって言ってたのって、写真のことだったんじゃないでしょうか」
 朝香は、小首を傾げた。
「写真の為に殺し? さすがにそれはないんじゃない?」
「……ですよね。第一、家族写真は家族以外、欲しがらないでしょうし」
 幾ら考えても何を盗られたのか、答えは出ない。
 朝香は言う。
「ともかく志村均に話を聞きに行こう。一つ嘘をついたってことは、他にもあるはずだから」
「はい」
 真誉は頷いた。
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