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文字数 2,097文字
翌日の午後四時。亀戸駅前のファミレスのボックス席に、朝香と徹の姿があった。
志摩さやかとの待ち合わせだ。
徹は隣に座っている朝香を見る。
徹だけではない。この席に着く間に大勢の客たちの好奇の視線を浴び、中にはこっそりスマフォで撮影する奴まで(もちろん、ちゃんとその写真は消させたが)。
一方、朝香は手鏡で自分の姿を確認しながら満足げだ。
「今日もバッチリ」
「男どもが鼻の下を伸ばしてるけど、良いのか?」
「多分、素の私だったら耐えられなかったとは思いますけど……別に、全然気にならないんですよねー」
(こいつ、人の気も知らないで……)
徹は「そうか」と言うしかなかった。
待ち合わせの時間を二十分ほど過ぎた頃だろうか、志摩さやかが現れた。
まるで浮気相手との待ち合わせ場所に現れたかのように、コソコソしていた。
座席に着くと、サングラスを外して初めて息をついたのだが、目の前の朝香に唖然とした顔つきになったかと思えば、「佳子!?」と声を上げた。
朝香はやんわりと訂正する。
「いえ。法条です」
「ど、どうしてそんな格好……」
「過去の記憶をこれで少しでも思い出して貰えればと思いまして……みなさんの記憶だけが頼りですから」
茫然とするさやかに、徹が話を振る。
「今、佳子と仰られましたよね? そんなに彼女に似ていましたか?」
「え、ええ……。怖いくらい……。でもあなた、髪は短かったわよね?」
「ああ、これはウィッグなんです」
「そ、そうなの。今の警察の方はそこまでなさるのね……」
徹は苦笑する。
「我々が扱うのが過去の未解決事件が主なので、使える手は何でも使おうと」
「そうですか……。佳子は赤い服をよく着てましたし、仕事の時はいつもそんな感じの姿で、化粧の仕方までそっくりで……。それから、それ……。それも演出かしら」
さやかは朝香が注文したアイスコーヒーを指さす。
「佳子もコーヒーにミルクを入れる時には掻き混ぜたりせず、自然と沈むのを待ってたんです」
「……これは素、です」
普段の朝香ならすぐに掻き混ぜていた。自分でも本当に無意識の行動だった。
しかしその返答に佳子はかえって安堵したようだった。
「さすがにそうよねぇ……。――私がふざけてそれを掻き混ぜようとしたら怒ったりして。だからって訳じゃないけど、何事にもあの子は辛抱強かった。だから工藤みたいな男に引っかかっても別れなかった……」
さやかは寂しげな眼差しになる。
朝香が聞く。
「志摩さんも、お仕事の時はこういう格好を?」
さやかは自嘲気味に笑う。
「ええ。だから懐かしくはあるわね。それで聞きたいことがあるそうですが……」
徹は頷く。
「片桐さんの交友関係についてお聞きしたいのですが、彼女と親しい男性はいらっしゃるようでしたか? 彼氏以外に」
「……佳子がどう思ってたかは分かりませんが、佳子にホレてたのなら知ってます」
「誰ですか」
「ドライバーの大野君。送迎担当の大学生。あの子は隠していたみたいだったけど、佳子のことが好きだったはずです。傍から見てて、バレバレだったし。でもああいう店じゃ、従業員と女の子が付き合うなんて許されないから……。怖いお兄さんにボコボコにされちゃうし」
「その大野という青年はちゃんとした青年でしたか?」
「ちゃんと?」
さやかは意味がわからない様子で、眉を潜めた。
朝香は補足する。
「工藤みたいな不良系でしたか?」
さやかは笑いながら否定する。
「全然違います。擦れた感じが無くって、素朴だった。遊んでる風にも見えなかったし。まあ、だからなんでしょうね。ちょっと美人な風俗嬢と、車の中っていう狭い空間で一緒にいるとホれちゃうのは……。変な性癖の客に会った時なんて最悪で、店に抗議しても無駄だし。ドライバーの子に愚痴って、慰められてる内に車内で、ってことも他の子ではあったみたいで。中には店と結託してわざとそういう展開にもっていって罰金を搾り取るみたいなことも……」
徹は顔を顰めた。
「最悪ですね」
さやかは鼻で笑う。
「風俗なんてそんなもんじゃないかしら?」
朝香は話を戻す。
「大野さんと、片桐さんもそういう関係にあったと思いますか?」
「それはないです。大野君は指を咥えてただ見てるってだけのタイプだから……。それに佳子は暴力を振るわれても、尽くすような人間だし。浮気なんてするとはとても……」
徹は言う。
「片桐さんは、よく彼氏に殴られていたんですか?」
「まあ。でもあの当時は仕事柄、濃いめの化粧は当たり前だったし。佳子みたいな子って意外と多くて、私たちも別に大切にされていたわけでもないから、目立たなかったら誰も気にしなかったと思います」
「そのケガのことを、大野さんに教えたことは?」
さやかは口元を緩める。
「何度かありましたよ。あの子、健気だったから背中を押して上げたんです。あの彼氏よりあの子の方が何倍もマシだと思って。でも効果はなかったみたいですけど」
さやかは当時を想い出すように、虚空を見つめた。
志摩さやかとの待ち合わせだ。
徹は隣に座っている朝香を見る。
徹だけではない。この席に着く間に大勢の客たちの好奇の視線を浴び、中にはこっそりスマフォで撮影する奴まで(もちろん、ちゃんとその写真は消させたが)。
一方、朝香は手鏡で自分の姿を確認しながら満足げだ。
「今日もバッチリ」
「男どもが鼻の下を伸ばしてるけど、良いのか?」
「多分、素の私だったら耐えられなかったとは思いますけど……別に、全然気にならないんですよねー」
(こいつ、人の気も知らないで……)
徹は「そうか」と言うしかなかった。
待ち合わせの時間を二十分ほど過ぎた頃だろうか、志摩さやかが現れた。
まるで浮気相手との待ち合わせ場所に現れたかのように、コソコソしていた。
座席に着くと、サングラスを外して初めて息をついたのだが、目の前の朝香に唖然とした顔つきになったかと思えば、「佳子!?」と声を上げた。
朝香はやんわりと訂正する。
「いえ。法条です」
「ど、どうしてそんな格好……」
「過去の記憶をこれで少しでも思い出して貰えればと思いまして……みなさんの記憶だけが頼りですから」
茫然とするさやかに、徹が話を振る。
「今、佳子と仰られましたよね? そんなに彼女に似ていましたか?」
「え、ええ……。怖いくらい……。でもあなた、髪は短かったわよね?」
「ああ、これはウィッグなんです」
「そ、そうなの。今の警察の方はそこまでなさるのね……」
徹は苦笑する。
「我々が扱うのが過去の未解決事件が主なので、使える手は何でも使おうと」
「そうですか……。佳子は赤い服をよく着てましたし、仕事の時はいつもそんな感じの姿で、化粧の仕方までそっくりで……。それから、それ……。それも演出かしら」
さやかは朝香が注文したアイスコーヒーを指さす。
「佳子もコーヒーにミルクを入れる時には掻き混ぜたりせず、自然と沈むのを待ってたんです」
「……これは素、です」
普段の朝香ならすぐに掻き混ぜていた。自分でも本当に無意識の行動だった。
しかしその返答に佳子はかえって安堵したようだった。
「さすがにそうよねぇ……。――私がふざけてそれを掻き混ぜようとしたら怒ったりして。だからって訳じゃないけど、何事にもあの子は辛抱強かった。だから工藤みたいな男に引っかかっても別れなかった……」
さやかは寂しげな眼差しになる。
朝香が聞く。
「志摩さんも、お仕事の時はこういう格好を?」
さやかは自嘲気味に笑う。
「ええ。だから懐かしくはあるわね。それで聞きたいことがあるそうですが……」
徹は頷く。
「片桐さんの交友関係についてお聞きしたいのですが、彼女と親しい男性はいらっしゃるようでしたか? 彼氏以外に」
「……佳子がどう思ってたかは分かりませんが、佳子にホレてたのなら知ってます」
「誰ですか」
「ドライバーの大野君。送迎担当の大学生。あの子は隠していたみたいだったけど、佳子のことが好きだったはずです。傍から見てて、バレバレだったし。でもああいう店じゃ、従業員と女の子が付き合うなんて許されないから……。怖いお兄さんにボコボコにされちゃうし」
「その大野という青年はちゃんとした青年でしたか?」
「ちゃんと?」
さやかは意味がわからない様子で、眉を潜めた。
朝香は補足する。
「工藤みたいな不良系でしたか?」
さやかは笑いながら否定する。
「全然違います。擦れた感じが無くって、素朴だった。遊んでる風にも見えなかったし。まあ、だからなんでしょうね。ちょっと美人な風俗嬢と、車の中っていう狭い空間で一緒にいるとホれちゃうのは……。変な性癖の客に会った時なんて最悪で、店に抗議しても無駄だし。ドライバーの子に愚痴って、慰められてる内に車内で、ってことも他の子ではあったみたいで。中には店と結託してわざとそういう展開にもっていって罰金を搾り取るみたいなことも……」
徹は顔を顰めた。
「最悪ですね」
さやかは鼻で笑う。
「風俗なんてそんなもんじゃないかしら?」
朝香は話を戻す。
「大野さんと、片桐さんもそういう関係にあったと思いますか?」
「それはないです。大野君は指を咥えてただ見てるってだけのタイプだから……。それに佳子は暴力を振るわれても、尽くすような人間だし。浮気なんてするとはとても……」
徹は言う。
「片桐さんは、よく彼氏に殴られていたんですか?」
「まあ。でもあの当時は仕事柄、濃いめの化粧は当たり前だったし。佳子みたいな子って意外と多くて、私たちも別に大切にされていたわけでもないから、目立たなかったら誰も気にしなかったと思います」
「そのケガのことを、大野さんに教えたことは?」
さやかは口元を緩める。
「何度かありましたよ。あの子、健気だったから背中を押して上げたんです。あの彼氏よりあの子の方が何倍もマシだと思って。でも効果はなかったみたいですけど」
さやかは当時を想い出すように、虚空を見つめた。