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文字数 4,960文字

次に目覚めたのはベッドの上。そして自分を見下ろす人と目が合う。
「朝香先輩、良かったぁ!」
 真誉はホッとした顔で朝香を見下ろしていた。
「真誉が?」
「びっくりしました。突然吉良先輩から朝香先輩が倒れたって聞いて……」
「こ、ここは?」
「警察病院です」
 窓を見ると、すでに日が暮れてしまっている。
 サイドテーブルに置かれた朝香の腕時計は午後七時を示していた。
「迷惑かけちゃってごめん」
 朝香が身体を起こそうとすると、真誉は「駄目です!」と止めようとする。
「もう大丈夫だから……」
「いけませんって! ちゃんと検査を……」
「検査なんて要らないから」
 朝香は彼女の制止を振り切って上着を羽織り病室を出ようとして、部屋に入ってきた徹と鉢合わせる。
 真誉が言う。
「吉良先輩。朝香先輩を止めて下さい。大丈夫だって病室を出ようと……」
 徹が、「何が大丈夫だ。ベッドに戻れ」と前を塞ぐ。
「先輩。私の事なら平気……」
「戻れ」
「……はい」
 徹の強い口調に、朝香は抵抗は無駄だと大人しく従うしかなかった。
 朝香はベッドの縁に座る。
「犬童」
 徹は言うが、
「いえ。私もここにいます」
 と、真誉は譲らない。
「……このことは課長には他言無用だぞ」
 徹が諦めて言えば、真誉は「はい」と頷く。
 徹は朝香を見た。
「お前、自分に何が起きたか分かってるのか?」
「……倒れたと聞きました」
「ことを大袈裟にしないために課長にはそう報告した」
 朝香は自分でも怖々と聞いてしまう。
「違うんですか……?」
 徹も自分が見たものが本当かどうか迷うような素振りを見せながらも言う。
「あれをただ倒れたとは表現できない……。突然、呻きだしたかと思えば、失神したんだ。倒れそうになったのを俺が危うく抱き留めた。そうしなかったらお前は頭をコンクリの地面に打ち付けてたただろうな」
「……そんな」
 そう呟いたのは真誉だった。
 朝香はうんざりした気持ちはあるものの、驚きはなかった。
 朝香は首筋に触れる。疼きにも似た痛みがあった。
「お前、驚いてないんだな。つまり、こうなることは今日が初めてって訳じゃないんだな。どういうことか教えろ」
「朝香先輩……」
 朝香は目を伏せる。
「先輩。私は――」
「あれがどういうことか、お前には心当たりがあるはずだ。もし正直に言う気がないんだったら、ありのままを課長に報告し、お前の異動を申し立てる」
「吉良先輩。そんなひどいですっ」
「犬童。口を閉じていられないんだったら部屋を出ろ。法条。どうなんだ」
 朝香と徹は視線を交わす。下手な言い訳で逃れられる雰囲気ではない。
 朝香は意を決した。ここまできたら気味悪がられようが、本当のことを言うしかない。
「……私が捜一から異動になった理由はご存じですか?」
 徹は真誉を見る。
 真誉は首を横に振った。
 朝香は説明する。
「指名手配になった連続強盗殺人の犯人を見つけ、その追跡中に刺されたんです。犯人は私が刺されて気を失った際、逃走を図りましたが、私が足を銃で撃ちました。その銃声で通報が入って無事に逮捕されたんです」
 真誉が驚く。
「あの犯人を逮捕したのって朝香先輩だったんですか!? すごい大手柄じゃないですか!」
 真誉と正反対に冷静に徹は言う。
「当然続きがあるんだよな。手柄を立てたのに、うちに来る訳ないもんな」
「二ヶ月後には現場には復帰できました。そしてとある現場に出向いたんです。そこは強盗殺人の現場で床一面、血の海でした。そこで私はおばあさんを見たんです。そのおばあさんは……被害者だったんです」
 徹は朝香の言葉が要領を得ないことを訝しむ。
「被害者の遺体ってことなら――」
「遺体じゃないんです。私が見たのは、亡くなられていたおばあさんだったんです。最初混乱して、他の捜査員にそれとなく聞いてみましたが、誰も私が見ているはずのおばあさんを認識できていませんでした……。私はどうして自分でそうしたのかも分かりませんが、おばあさんに近づいたんです。その途端……私の頭の中に被害者の視点で殺害当時の状況が再生されたんです」
 朝香は徹と真誉を見る。当然だが二人ともどう反応して良いか、困っているようだった。
 朝香は言葉を続ける。
「目の前の黒い人影に何度も何度も包丁で刺される映像です。幻でも白昼夢でもない生々しいくらいの質感で、本当に刺されて、死を覚悟するほどだったんです。そして私は気を失いました……」
 真誉が唖然とする。
「それって吉良先輩が見たのと……」
「そう。それから病院に逆戻り。CTスキャンや脳波、はては精神科医にまで診て貰った。でも特に異常はなし……。経過観察の為に長期入院になったんです。もし、そこで何もかも終わっていたらって思います。でも終わらなかった。それから何度も何度もあの映像が浮かんでくるようになったんです。まるでおばあさんの想いが取り憑いたみたいに……」
 朝香は話しながらその時のことを思い出す。自分でも分からない焦燥感に駆り立てられ、追い詰められていった。そもそも入院のことや前回の強盗犯逮捕の際、応援を仰がなかったことで、同僚たちの朝香を見る目は厳しいものになっていた。それでも復帰出来たのは上層部が凶悪犯逮捕を行った朝香に対して警視総監賞を与えていたからだ。警察上層部としては女性刑事の功績を称えることで、警察での女性の活躍を社会にアピールしたかったのだろう。
 それまで庇ってくれていた先輩刑事はもうおらず、朝香は針の筵だった。
「……私はある意味、脅迫されたみたいな気持ちになって病院を抜け出し、一人で捜査を始めたんです。人目を忍んで現場に行きました。捜一は犯人は金をせびっていた孫が怪しいと、参考人として取り調べをしていました。しかし私が捜査資料や現場を見る内、殺害当時のとは別の映像が浮かんできたんです。それはおばあさんの日常でした。そこでおばあさんが、いかがわしいセールスマンから金をたかられていたことを知ったんです。どうしてあの映像が真実であると思ったのかは、分かりません。でもあれは実際に起きたことなのだと直感的に分かったんです。その結果、現場の近所で法外な値段で物を売りつけると言う相談があったことを知りました。私は単独で捜査に当たり、彼を逮捕しました」
「……あれはお前だったのか」
 徹は驚いたように目を瞠る。
「吉良先輩。知ってるんですか?」
「同期が浅草署の刑事課にいるんだ。で、今法条が言った事件の帳場は、そこにたったんだ。で、突然、入院しているはずの女刑事が容疑者を引っ張ってきたって大騒ぎになったって聞いたぞ」
 朝香は頷く。
「自宅の家宅捜索を行った所、処分に困っていた凶器の刃物が置かれていました。供述では被害者が困窮し、突然警察を呼ぶと反抗的になり、それを包丁で脅そうとした所、刺してしまったと言うことでした……」
 真誉の唖然とした表情をする。
「つまり本当に朝香先輩におばあさんが取り憑いて、犯人を教えたってことですか?」
「……分からない。それからも何度か同じ事が起きたわ。その時には私を監視する為に先輩刑事が相棒について……でも、今の説明をする訳にはいかないから、こっそり夜中に捜査をしたの」
 徹は腕組みをした。
「正直、今のが全て作り話だったらって思ってる」
 真誉が徹を窺う。
「吉良先輩、そんな言い方……」
「なら、犬童。お前は信じられるのか?」
「それは……。で、でも事件を解決しているのは本当なんですよね?」
「……まあ、今の話は全部裏は取ろうと思えば取れるだろうが……正直、現場で被害者に取り憑かれたって話は……」
 徹は首を傾げる。
「それじゃあ今回も現場であんなことが遭ったのは、またそれが起きたからか?」
「……そうです。正直、こちらの部署に異動願いを出したのは、現場に出なくとも仕事が出来ると思ったからなんです」
「しかし意に反して被害者の片桐佳子に会って、取り憑かれた?」
 朝香は小さく頷く。
「……感覚的に言うと、そうです」
「お前の言ったことがもし本当だとすればこれで事件解決だ。誰が刺していた? 顔だけでも大きな手がかりだ」
 朝香はかぶりを振った。
「分かりません」
 徹は呆れたように溜息をつく。
「なら、これまで話したこと全部撤回か? 早すぎるだろ」
「そうじゃありません。何もあらゆるものが明瞭に見える訳じゃないんです。実際、片桐さんの首を絞めている相手は、黒いシルエットだけで誰であるかは班別出来ませんでした……。でも捜査を進め、理解を進めることでそのシルエットは取り払われていくんです。これまでもそうでしたから」
 徹は言葉を選ぶように言う。
「……お前、元々そういう、霊的なもんを見る奴なのか?」
「いいえ。幽霊とか霊能力とか全然信じてません。あ、でもそういう番組を観てはいました。あくまでエンタメとして、ですけど。――心当たりは一つだけ」
 真誉が興味津々に前のめりになる。
「な、何ですかっ」
 真誉くらい好奇心を露わにしてもらえると、話しやすい。
 気を遣われたり、腫れ物に触るように扱われるよりずっと気が楽だ。
「これは担当のお医者さんから聞いたんですけど、私が入院中一分以上心臓が止まっていたことがあったそうです。もちろん私にそんな記憶はありませんし、自覚症状がある訳でもない。でも一分以上心臓が止まり、死んでいた……。それ以来、自分の中で何か分からないけれど欠けてしまっている……そんな想いをずっと抱いていたんです。全部後付けですけど、そのせいじゃないかなって」
 真誉が言う。
「つまり、その欠落を埋める為に被害者の魂を受け入れてるってことですか?」
「正直、私が見ている何かが幽霊なのかも分からないけれど……」
「臨死体験とかはありましたか? お花畑とか三途の川とか」
 朝香はかぶりを振った。
「残念だけど何も見なかった。あるのは空白だけ。覚えてないだけかもしれないけど」
 しばらくの沈黙の時間をおいて、徹は朝香を見る。
「正直、お前の話したことを信じるかと言われれば信じられない……。だけど、今は捜査中だ。手は多いに越したことはない。お前は実力で捜査一課に入れたんだ。今の話はともかく、捜一に入れた実力と根性は頼りにする。今すぐ動けるか?」
「はい! 大丈夫です!」
 真誉は心配そうだ。
「朝香先輩。でもすぐに無理はなさらないほうが……」
「ううん。平気。こんなところでじっと何てしてられないものっ」
 徹が肩をすくめる。
「病院を抜けだれても困るしな」
「真誉。そういうことだから」
「朝香先輩がそう仰るなら、全力でサポートします!」
「お願いね」
 徹が釘を刺す。
「法条。問題があればすぐに言え。良いな? 足手まといは、ごめんだからな」
「分かりました」
「――犬童。課長にはうまくいっといてくれ。問題ありで、どこかに異動されたら戦力が減る」
「了解です!」
 朝香が徹と一緒に廊下に出ると、徹が何かを差し出してきた。
「ほら。これ」
 それはジッポだった。
「ありがとうございます! これをどこで?」
「お前が倒れた時に落としたんだ。それ、彼氏からのプレゼントか?」
 朝香は苦笑して、首を横に振る。
「いえ。違います。私は煙草を吸いませんので。……捜一時代に教育係兼相棒として突き合って下さった先輩の愛用品なんです」
「悪い。茶化しちまって……」
「先輩は死んでません」
「そうなのか? だったら……」
「先輩……東英吉巡査部長は犯人追跡中の事故で脊髄を痛めて、刑事を辞められたんです。これは先輩からと別の先輩から受け取ったんです。私が煙草の匂いが嫌いだって言うのを知ってて……。実はここの部署のことを教えて下さったのもその先輩なんです」
「その先輩って前に言ってた、“人間に良心がある限り”の人か?」
「はいっ」
「そうか……。んじゃ、俺たちを煙に巻いた志摩さやかのところに行くぞ」
「お供しますっ」
 朝香と徹は肩を並べ、病院を後にした。
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