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文字数 2,296文字

 朝香は久しぶりに運転席に座り、一路桜田門の警視庁へ向かっていた。
 一方、助手席に座る真誉は自分の格好――ブラウスとスカートという刑事らしからぬ出で立ち――を頻りに気にしている。
 朝香は苦笑する。
「一体どうしたのよ。吉良さん相手に見せた威勢の良さは、どこに行ったの?」
「……い、勢いで出て来たのは良かったんですけど、冷静になったらすっごく大それたことをしてしまったかのような……!」
「大丈夫よ」
 真誉はもう泣きそうになる。
「そ、そうでしょうかぁ」
「真誉だって言ってたじゃない。誰にでも初めてはある、って。でしょう?」
「あ、あれはあの場の勢いでして……!」
「やれる所までやりましょう。課長からの命令なんだし。ね?」
 それでも膝に両手を置いた真誉は、とても冷静ではいられないようだった。
 そんな後輩の姿を、朝香は微笑ましく眺めた。

 荷物検査を受け、暴力団捜査を管轄する組織犯罪対策部四課へ向かう。
 女性二人組の姿に、課員たちが物珍しそうに視線を寄越してくる。
 朝香は傍にいる課員を捕まえる。
「――すみません。最上警部補はいらっしゃいますか」
「クマさーん! 昨日に引き続き、またも女性が面会したいそうですよー!」
 朝香と真誉は顔を見合わせる。
「クマさん……?」
 しばらくして白いものが目立つ初老の男性がやって来た。
 初老といっても身体はがっちりして、その物腰に隙は無い。
「私に用、ということだが」
 さすがに暴力団と対峙しているだけあって紳士的な印象ながら、目は研いだ刃のように鋭い。
 朝香と真誉は若干気圧されながらもバッジを見せ、自己紹介する。
「私は未解決事件・再捜査課の法条朝香巡査です。こちらは犬童真誉巡査。吉瀬美和さんから話を聞きまして、現在、捜査をしておりまして。事件に関して少しお話しをお聞かせ願えないかと……」
「場所を変えよう」
 信太郎は小会議室へ案内してくれる。
 
 場所を移すと信太郎は言う。
「彼女、行ったんだな」
 朝香は頷く。
「はい。先程……。警部補が吉瀬さんに捜査書類を見せたと窺いました」
「クマさんで良い。みんなそう呼んでるからな」
「クマさんが書類を見せてくれたと……」
「未解決で部外秘とはいえ、放置同様の案件だからな。――最初は不良なオヤジのことなんざ早く忘れろと言ったんだが、どうしてもと聞かないもんで」
「クマさんも当時の捜査本部に?」
「いた。だが有力な手がかりは掴めないまま、二週間程度で帳場はたたまれた。何せ、被害者がヤクザもんだからな。ま、伊達殺しの犯人は分からずじまいだったが、殺人容疑を理由に駿河尚武会の本部にガサをかけられて、打撃を与えられたことには感謝するけどな」
 真誉が信じられないと顔を曇らせる。
「そんな! や、ヤクザかもしれませんが……れっきとした被害者のはずなのにっ!」
「だが、容疑者が多すぎる」
 真誉が言う。
「対立組織の仕業ではないんですか?」
「かもしれないが、当時も暴対法の締め付けはきつかったからな。下手に手を出し、ヒットマンが捕まれば、そこの組の組長が使用者責任を追及される。まあ、優秀な幹部を消すんだったら相応の危険も覚悟でやるだろうが、相手は時代遅れの下っ端。そこまでの危険に侵す価値があるとは、思えん」
 朝香は眉を顰める。
「時代遅れ、というのは?」
「今は切った張ったじゃ組長に迷惑をかけるだけの時代で、重宝がられるのは一にも二にも金を稼いでくる奴なんだよ。それに比べりゃ伊達って男は時代遅れの武闘派って言うか……高校中退して、その柔道の腕前を買われて組に入ったくらいだからな。評判は悪くはなかったし、腕っ節も根性もある。だが今の時代に使い道はないってな」
 真誉は粘る。
「本当に何も手がかりはないんですか? 恨みを抱かれていたとか、個人的に問題を抱えていた、とか……」
 信太郎は、思案顔になる。
「実はな、もう駿河尚武会ってのはないんだ。だから今なら何かが出てくる可能性はゼロとは言えん。元組員で、伊達と親しかった奴がいる。当時は大したことは聞けなかったが、今なら歌うかもな」
 信太郎は手早く名前を記したメモを渡してくれる。
 メモには、志村均とあった。
 真誉はそれを「ありがとうございます!」と頭を深く下げ、受け取る。
 その大仰な仕草に信太郎は苦笑する。
「しかしそっちの課は進んでるな。女性刑事が二人もいるなんて。うちは男所帯でむさ苦しくって……っと、こういうのはセクハラになるんだっけか!?
 真誉は首を横に振る。
「大丈夫です。……それでつかぬ事をお伺いするんですが。どうしてクマさん、と? お名前は最上信太郎さん……ですよね?」
「ああ。それならこっちへ」
 課に戻るよう促した信太郎は、自分のデスクを見せる。そこには大量の捜査資料に混ざり、幼稚園生くらいの大きさのクマのぬいぐるみがでん、とスペースを占めていた。
 真誉が「可愛い!」と黄色い声を上げる。
「このクマのぬいぐるみ、警部補のですかっ!?
 信太郎は苦笑する。
「ああ。孫娘からもらったんでね。娘が私が危ない仕事をしていると聞いたらしくって。お守りにね」
 真誉はムッ中になって、クマをしげしげと眺める。
「おじいさん想いのお孫さんですね。首に巻いてる黄色いスカーフかわいーっ!」
 朝香は咳払いをする。
「真誉」
「あ、す、すみません!」
 信太郎は苦笑する。
「構わなんさ」
「情報ありがとうございます。失礼します」
 朝香たちは信太郎の元を辞去した。
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